白い謎ー第11話
口元を隠すのは俺の癖だ。
そして、考えている時はそのまま人差し指で額を叩く。
じんわりと纏わり付く湿度が上がって、俺は盛大に溜息をついた。
「お前達、もし自分にとって大事な人間が危篤に陥った時、どんな理由ならそこへ行かない可能性が出て来ると思う?」
「そんなの、交通機関が止まったり、自分が病気になって動けないとかじゃ無ければ駆け付けるに決まっているわ!」
樹里は何を馬鹿な事を、と言わんばかりの勢いだ。
「そうだな……僕は知らなかった場合を想定するかな。周りの人間は知っていたけど、お父様の耳には入っていなかった。だったら、行かなくても当たり前じゃないか」
まぁ、確かに。
だが、一年間闘病していて、経過を知らないなんて事あるだろうか。
俺の考え込む仕草を見て、廉太郎は「例えば、だ」と前置きして得意気に胸を張り人差し指を立てて喋り出す。
「こんなに広い屋敷なんだ。闘病中の奥さんが急に悪くなって病院から電話が掛かって来たけど、お父様はここでこの部屋を夢中になって作っていた。勿論、こんなに母屋から離れた庭の隅にいたお父様には電話の音なんか聞えちゃいなかった。だから、お父様は危篤に立ち会えなかった、と言う事なら説明が付くと思わないかい?」
「廉太郎君、凄い! 確かにそれなら、説明が付きますね!」
沢木は爛々と目を輝かせている。廉太郎のその説は、沢木好みの結末だ。
お父様が病院に行かなかった理由としては最も「仕方ない理由」であって、お母様の事を嫌っていた訳では無い、と言う結論に持って行ける。
「廉太郎、お前の家に居ないのに、この屋敷に居るのは何だと思う?」
「金の亡者」
相変わらず話が繋がらんヤツだ。
「お前、本物の阿呆だな。お前は知らんだろうが、家の管理をすると言うのは大変な事だ。こんな広い屋敷なら、尚更だ。お父様が一人でこんな広い屋敷にいたとは考えられん。お前の家には専業主婦の母親がいて、毎日掃除洗濯してくれるだろうが、この家には当時夫人すら居なかったんだ。なら、お手伝いの一人や二人、庭師の一人や二人、いると想定するのが定石だろう」
古い平屋に猫の額ほどの庭がある程度の俺んちでさえ、掃除も庭の管理も結構手間が掛かるもんだ。暑くなる前に庭の草取りもしなければならんが……。
「いたかもしれないけど、いなかったかもしれないだろぉ?」
わざわざ隣に座って頭の天辺をグリグリと俺の二の腕に押し付けて来る。
「ウザイ。纏わり付くな」
「エニィはどう思う?」
樹里は思い出したかのように沢木に話を振った。
「そうだな……私なら……」
胸の前で手を握りしめて、右上を見る。何かを想定しようとしているらしい。
「何か、約束があったのかも? とか思うかな……」
「約束?」
俺の言葉に躊躇いがちにまた右上を見て、
「例えば、トロワ君が瀕死の重体だったとしても、トロワ君がこの扉の開け方をずっと気にしていて、私がそれを解明すると約束していたとしたら……私は謎を解明してからトロワ君の所に行こうとすると思う。死ぬ前に望みを叶えてあげたいって思うから」
……飛躍的な妄想だが、一理ある。
死にそうな人間に、何かを託されたり、頼まれたりしたら、そっちを優先すると言う事は、無きにしも非ずだ。
「勝手に俺を殺すな」
「あっ、ごめん……」
「じゃあ、エニィはお父様がこの部屋を作ったのはお母様の為だって言うの?」
「だって、そう考えないと……お母様が可哀相で……」
樹里の問いに、そう答えた沢木はまた渋い顔をする。
自分が生まれても無い二十一年前の事にこうも敏感に表情を変えるヤツも珍しいだろう。
「じゃあ、まず一つ一つ状況を消去して行こう」
「樹里の言った事は、まず無いね」
俺の代わりに廉太郎が口を挟む。
「何でよ? 廉ちゃん」
「交通事情で遅れたのなら息子であるご主人も最初は感情的になって怒ったとしても、二十一年もネチネチ怒っているとは思えないし、自分が病気ってのはもっと無いだろう。動けない程患っていてこの部屋を作るなんて、不可能だよ」
「そっか……」
樹里にとってはそれ以外の理由で愛する人間の危篤に駆け付けないなんてあり得ない、と言う話だろうが、ここは廉太郎の言う通りだ。
「だが、廉太郎の話も却下だ」
「いや、完全否定は出来ないはずだよ?」
「コンマ一くらいの可能性しか残らん」
「それは少な過ぎやしないかい?」
しかし、意外にも沢木の意見は無碍に却下出来ない可能性がある。
死に際の人間の望みを叶える事と、死に際の人間を看取る事。
秤にかけたら、前者を取る人間が多い気がする。
「最期に……」
「この部屋をお母様の為に作っていた、としたら他の誰も入れようとしなかったと言うのは説明が付くね」
人の話を遮って廉太郎は得意気に人差し指を立てる。
「じゃあ、廉太郎。お母様は何を所望したと思う? この部屋は何の為に作られた?」
「私を貴方だけのものにして! って事でここは監禁部屋だった!」
「こんな所で変態S気を全開にするな」
「えー……ありそうじゃん」
「取りあえず、そのお母様の為に作られた説が正しいと仮定するなら、どこかに必ず入口はある。もう一度探してみよう」
「上条もしかしてあんた、まだ疑ってたの? 本当は入れないんじゃないかって……」
「樹里、俺達は開かないと言われただけで、中に入った事のある人間は今存在してない。お父様がここに遺品を運び込んだと言う話も、どこまで信憑性があるか分からん。もしかするとこれは部屋ではなく、巨大なブロックかもしれんと言う可能性が捨てれなかっただけだ」
「何の為にそんな嘘つかなきゃならないのよ」
「俺が知るか」
周りをくまなく探してみるが、隠し扉の様な物も見つからない。
ならば地面かと、足元を注意深く探索してみるがこれと言って怪しいものは見つからない。
建物の裏手には廉太郎が言った様に、無数の白と黒のペンキ缶の横にセメント袋が積み上げられ、雨風に吹かれたせいで中身が零れ出し、小さな土砂崩れを起こしている。その隣には錆びついたドラム缶が置いてあった。
閑静な庭からは建物に遮られて見えないが、建物が綺麗な割には、裏が
二十一年も放置してあるとすれば、よほどここの家人はこの部屋に興味関心が無かったと言える。
「ドラム缶……」
俺はその不自然さが何なのか、暫く考えたが面倒になって考えるのを止めた。
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