白い謎ー第14話

 調べた結果を廉太郎が得意げに話している間、俺は一人縁側に胡坐をかく。

 今回の結末は口に出しても誰も傷つかない。

 面倒ではあったが、それが唯一の救いだ。

 叩き付ける様な豪雨となった雨が庭中に煙る様を見ながら、借りたタオルを首に引っ掛け、淹れて貰った高級な香りのする珈琲を一口啜った。

 嘘が、真実を煙に巻く。その様をただぼんやりと眺める。

 傷つける真実は雨雲に囚われて、癒しの嘘が大地を潤して行く。


「何を見てるの? トロワ君」


 珈琲のカップを両手で包む様に持って来て、俺の隣に座った沢木は、まだ乾き切らない後れ毛が項に張り付いていて、俺はそれから目を逸らした。


「別に……」

「でも、開いて良かったよね。開かずの間」

「どうだろうな」

「お母様は……淑子よしこさんはきっと幸せだったと思う」

「そうか?」

「自分の為に星空を作ろうとしてくれる旦那さんだよ? 文句のつけようがないよ」

「そう言うもんなのか?」

「そう言うもんなんです。私が淑子さんだったら、会いに来ない理由こそが幸せだったかもしれない。自分を想ってくれている、何よりの証明だもの」

「なんだそりゃ」

「トロワ君ならどうするの? 好きな人が死にそうになってる時、望みを叶えてあげたいとは思わないの?」

「俺か……。俺は、どうするだろうな……」


 現実的に死が迫っているならば、出来るだけ傍に居ようとするかも知れないな、と思う。

 実際、爺ちゃんも婆ちゃんも病気だったけど、出来るだけ傍に居たかった。

 でももし他の事を望まれたなら、こんな俺でもそれを成し遂げたいと思っただろうか。


「あ、止んで来たよ」

「お前は……」

「ん?」

「いや、何でもない……」


 迂闊な事を口にするところだった。口を覆った手が熱を上げて行く。

 ――――お前は死ぬ間際、どうして欲しい?

 なんて、どうして俺はそんな事を思ってしまったんだろう。


「私は、死ぬ時の事まで分からないけど……」


 俺が何を聞こうとしたかを察したかのように窓の外を眺めながら、相変わらず両手で包む様にカップを握り締めて、言葉を切った。


「けど……?」

「今は、いつになったら名前を呼んでくれるかなぁ? とか思うかな」


 ……。

 俺がまだ一度も名前を呼んでいない事に、気付いていたとは。

 何を躊躇って名前を呼ぶ事を避けているかは漠然としていて理由も分からない。

 でも、調子を狂わされるこの沢木縁さわきえにしと言う存在から一歩距離を取ろうとしている事は自覚している。

 だから、その事を見抜かれない様に配慮していたつもりだった。

 なのに、沢木は用意周到に、機会を狙っていたかのように突然切り込んで来る。


「上条君、と言ったかしら?」


 不意に背後から声が聞こえて、答えずに逃げるチャンスとばかりに振り返ると、そこには夫人が立っていた。


「は、はい、何か……?」

「今日は本当にありがとう。これで主人も少しはお父様の事許せるかもしれないわ」


 俺は、言おうかどうしようか迷って、口を開いた。


「本当は、それが目的だったんでしょう?」

「……やっぱり、バレていたのね」


 夫人のその言葉に、沢木は首を傾げて俺に視線を寄越した。

 夫人の言っている事が、良く分からないと顔に書いてある。


「貴女はあの部屋が淑子さんの為に作られた物だと言う事を、源蔵さんから聞いていたんじゃないですか?」

「どうしてそう思ったの?」

「壁が綺麗だったからです。二十一年も経っているのに、あの建物は綺麗だった。定期的に掃除しなければあんな状態では保てませんから」

「えっ、でもそれじゃあ屋上は何で汚れていたの?」


 隣にいた沢木が不思議そうに顔を上げた。


「普通の家でもそうだと思うが、女性が外壁を掃除している姿を見た事はあるが、屋根の上に上ってまで掃除しているのを俺は見た事が無い」

「あぁ……確かに、言われてみればそうかも……」

「貴女は生前の源蔵さんからあの部屋の事を聞いて知っていた。だから、遺品があそこにある事も疑わなかった。最初は、貴方の視線の意味が何なのか分からなかったけど、貴方の利き手に気付いて、納得出来ました」

「利き手? 私の視線って?」

「貴女は樹里が何故壊さないのか? と聞いた時、右下に視線を落としたんです。普通右下に視線を落とす時は肉体的な痛みを思い出している時だ。だが、話の流れとそれが噛み合わなかった。それがずっと気になっていたんです。そして、気付いた。貴方は左利きだ」

「確かに私は左利きだけど……」

「左利きの人間の視線は右利きの人間の視線とは逆になる事がある。つまりあなたは、痛みを思い出していた訳じゃ無く、会話を思い出していた、と言う事です」

「トロワ君、凄い!」

「何だか、心を見透かされている様ね……」


 左手を口元に当てた夫人は、少し淋しげな顔をしている。


「お父様からはあの部屋の事は秘密にしてくれと言われていたの。だけど亡くなられてから、遺産がどうとか煩い事を言う人達が増えて、主人は壊してしまえと言うし、私はあの部屋の開け方までは教えて貰って無かったから。開かない部屋の事を私が口で説明しても信じてくれるような人達では無いのよ。それでも、壊してしまうのは……」

「それで第三者に開けさせることを考えた」


 コクリと頷く夫人は、「貴方達のお蔭でお父様の遺品を守れる気がするわ」と笑った。


「松平さん、一つ確認したい」

「何かしら?」

「建物の裏にあるドラム缶やセメント袋を片付けなかったのは何故ですか?」

「あぁ、あれはお父様が絶対に触るなと仰ってたから……ずっとそのままにしてあったの」

「なるほど、納得しました」

「どう言う事? トロワ君」

「俺達はあのドラム缶やペンキの缶、それからセメント袋を材料だと思っていたけれど、あれは空への階段の役割を果たしていたんだ」

「でも、セメント袋は破れてたし、トロワ君よりずっと背が高く無いと、あのドラム缶とペンキ缶だけじゃ屋上に上るのは無理なんじゃ……?」

「セメント袋が破れたのはつい最近だろう。土砂崩れの様になっていたが、まだ新しく見えた。ドラム缶の上にセメント袋を一つか二つ乗せて、ペンキ缶を持ってその上に上り、セメント袋の上にペンキ缶を乗せれば、俺より身長が低くても男なら這い上がる事位は出来るだろう」

「そう言う事だったのね……」


 夫人は薄らと笑っていた。


「まぁ、淑子さんを上らせるにはもっと立派な階段が必要でしょうけどね」


 きっとあの積まれたセメントは、空に上る階段を作る為のセメントだった、と沢木なら言うかも知れない。

 なんて俺の都合の良い妄想だろうか――――。

 ふと、思った。

 沢木縁はあの謎に、どう答えるだろう。

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