文学と経験者と教授ー第12話

「その事を話してくれた時に、初めてジュリィは私の前で泣いた……」


 カーテンの隙間から入る月の光に少し瞼を伏した沢木が、ゆっくりと口角を上げる様がスローモーションの様に見える。


「何でジュリィが泣くのか最初は分からなくて、その男の子が廉太郎君だと思っていたけど……あれは、トロワ君の事だったんだね……」

「な、何でだよ……。廉太郎が解決したのかも知れないだろ……?」


 沢木にあの事件の事を知られるのが怖かった。

 人に嫌われるなんて慣れてるハズ、誰にも執着される事無く、何を言われ様が気にしない。

 だけど、もしその事件の当事者がもうこの世にいないと知ったら、きっと沢木は俺を嫌うだろう。

 それは怖い……そう、思った。


「さっきジュリィが言ってた……。悪いヤツ見つけ出すのは得意でしょ? って……。ジュリィにとってあの事件を解決してくれたトロワ君も大事な人なんだよ、きっと……」

「……あの事件に、樹里は関係ない。お前の買いかぶり過ぎだ」

「でも、解決したのはトロワ君なんだよね?」


 その言葉が、物凄く重く感じられる。

 相馬君を追い込んだのは、お前だろ? とでも言われている様な気がして来る。


「あぁ……」

「ジュリィは気が強いけど本当は怖がりで、しっかりしてるけどいっつも不安な人。大会前とかになると、ひたすら練習する事で安心しようとしてる。大丈夫って言える何かが欲しくて……」

「あいつは自分に厳しいからな」

「でも、そのジュリィがトロワ君を頼って、そのトロワ君がどうにかすると約束してくれた。きっと今頃、安心して寝てる……」

「それは……」


 覇気のない俺に本気でイラついてるだけだろう、と言おうとして遮られた。


「ちょっと、羨ましいな……」


 泣き笑いとでも言えば良いだろうか。

 そんな下手な作り笑いするくらいなら、笑わなければ良いのにと思えるほど笑えていない。

 何をそんなに羨ましいと思うのか、俺にはさっぱり分からなかったけど、その顔の破壊力は想定を超えていた。

 どうにかしないといけない、そう思うだけの威力があった。


「泣きたい時に笑ってんじゃねぇよ、泣けばいいだろうが……」

「う、ん……。うんっ……」


 布団に潜り込んで泣き出してしまった。さて、どうしたもんか……。

 時計は十二時を指そうとしている。


「り、凜子さんが……」

「凜子さん?」

「今日トロワ君のお家で、凜子さんに言われたの。もし、あの暗号に応えられない時は、死んでなんかやらないって言ってやんなさいって……。私、誰かに死ねって言われてるのかと思って、ずっと怖くて……」


 ……そりゃ怖いわ。凜子様め、余計な事を吹き込みやがって。


「でも、そう言う意味じゃ無かったんだから、もう気にするな」


 確かに、ツキガキレイデスネと言う言葉で「愛してる」なんて言って来るヤツには沢木の口から「死んでなんかやらない」と言われた方が効果覿面だろうけど……。

 人の感情に揺さぶられやすい沢木を犯人の前に連れ出すのも、俺としては避けたい。

 決定力に欠けるとしても、接触させたくないと言うのが本音だ。


「どうにかするって言っただろ……。だから、お前は大人しく寝てろ……」

「うん……」


 多分廉太郎ならこう言う時、ドラマの科白の様な無駄に説得力のある言葉を吐くんだろうけど、俺にそんなスキルは付いてない。

 温くなった洗面器に濡れタオルをもう一度浸して絞る。

 小さな額にあまり効果の無い温いタオルを乗せて、部屋を出ようと椅子から立ち上がった。


「お前さ……」

「うん?」

「何で人間には翼が無いと思う……?」

「へ?」

「あ、いや……何でも無い。ちゃんと寝てろよ……おやすみ」


 後ろ手に閉めた扉がカチャリと音を立て、きちんと閉まった事を確認してから一階へと降りた。

 人気のない広い家は、俺の家と同じ様な空気を漂わせているのに、俺の家より広くて天井が高いせいなのか、余計にその闇の威力は強く感じられる。

 こんな所に、あんな小さくて優しい人間が一人で居れば、何事も無かったとしても精神不安定になるやも知れない。

 薄暗い玄関まで来ると更にその闇が濃くなって来て、広い廊下の向こうに何かが見ている様な気さえしてくる。

 気配が無い、と言う事を意識し過ぎると感じてしまう恐怖の様な物がそこにはただ浪々と彷徨っている。

 スニーカーの履き潰した踵をきちんと立てて足を通す。

 Tシャツに短パン、それにスマホだけを持って玄関を出る。


「準備は出来たか? 廉太郎」

「上々だよ、ホームズ君」

「それ止めろ」

「門の所にはセンサーライトが付いてる。あのポストに人が近づいたら、三十秒ほど点灯するみたいだ。一応、時間稼ぎにポストの蓋の所に見えない様にセロテープ貼ってる」


 赤いアメリカンポストが左正面に見える外門の塀と薔薇の垣根の間に蹲る様にして二人で見張る。

 俺より少し小柄で華奢な背中を小さく丸めて蹲った廉太郎はさも楽しげで、脳天には好奇心の花が揺れている様に見える。


「さっき言った通りにやれよ。勝負は一瞬だ」

「わーかってるよ。顔と表札と、ポストに入れる瞬間が勝負!」

「お前のその無駄な能力に掛かってるからな」

「酷いよ、トロ。そんな事言ってたら、トロとエニィちゃんが抱き合ってるあの写真、学校の掲示板に貼っちゃうからね!」

「それは威してるつもりなのか?」

「……エ、エニィちゃんが可愛そうだからそんな事しないけどっ!」

「だろうな」


 時計が十二時半を回った頃、月明かりが雲に覆われて辺りがより暗くなって来ていた。

 夜だから分かりにくいけど、この湿気の多い夜風と蒸し暑さは雨が降りそうな予感がした。


「雨が降りそうだな……」

「一晩くらい濡れたってどってことないでしょ」

「……お前はホント、元気だよなぁ」


 青臭い薔薇の葉の匂いと遠くで咲いている花の香りが混ざる。

 こんな所に男二人で蹲って何してるんだろう、なんて冷静になればなるほど、自分らしくない自分に驚かされる。

 今までの自分なら多分断固としてやらなかったハズだ。

 誰かの為に、自分がやりたく無い事をやるなんて考えられない。

 自分が関わらなければ、傷つく事も傷つけられることも、責められる事も問い質される事もない。

 そうやって俺は、誰かと関わる事自体を避けて来たんだ。自分を守る為に。

 傷つくくらいなら真実なんて知らなくて良い。

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