文学と経験者と教授ー第8話

 一見、こう言う事は出来なさそうに見えるのに、家事はちゃんと出来るのかと、少し驚いた。

 ドン臭そうなので、食器や調理器具をばら撒いてそうなイメージだ。


「両親がこっちにあんまりいないから、食事を作るのは結構得意なの」


 俺の表情を読みやがったな。右脳型の直観力はこういう所で働くのか。


「へぇ……」

「トロワ君は何が好きなの? ご飯」

「何だろうな……サバの味噌煮とか、かな」

「じゃあ、今度それ作れるように頑張るね」

「別に良い。自分で作れるから」


 自炊歴は俺も長いからな、大抵のものは自分で……。

 樹里の視線が刺さっている。


「ほんっと、心理がどうとか言う割に、情緒の無い男ね!」

「まぁまぁ、樹里。トロだから、しょうがないでしょ」


 む。兄貴の様な科白を言いやがって。何が悪いと言うのだ。


「女の子が頑張って作るねって言ってんだから、ありがとうって返しなさいよ! この肉体だけ十代男! 中身、干からび過ぎでしょ!」


 ……。肉体だけ十代って。あんまりじゃないか。


「悪かった……」

「あ、いや、そんな……。別に私気にしてないよ」

「俺は小学校の時から自炊してるから、人に作って貰うなんて考えた事も無かっただけだ。気を悪くしたのなら謝る。別に作って欲しくないとか、そう言う意味じゃ無い」


 廉太郎も樹里も知ってる話だ。別に今更隠す様な事でも無い。


「そっか……」


 だが、これを言えば樹里が気落ちする事は分かっていた。


「ごめん……言い過ぎたわ……」

「別に。お前の言う通り、俺は人の気持ちを無碍むげにするところがあるのは自覚している。だが、まぁ、お前らにそう言う誤解をされたくないから言ったまでだ。だからお前が謝る必要はない」

「それはトロ、エニィちゃんに誤解をされたくない、の間違いじゃないのかい?」

「同じ事だろ……ごっそさん」


 食器をシンクに下げて、片付けようとしたら沢木がすっ飛んで来てそのままにしておけと言うので、テレビの前のソファで項垂れる。

 確かに、誰かが作ってくれた飯と言うのは食べた気になるもんだ、なんて思う。


「そう言えば、あの言葉の意味が分かったんだよ。ね、トロ」

「あぁ……」

「どう言う意味なの? 教えてっ!」


 食器を洗っていた沢木がシンクから駆け寄って来る。

 濡れ手に粟、いや、泡状態だ。


「そんな慌てなくてもちゃんと説明するから、まず手を流して来い」

「あっ、はい」


 片付けが終わり、珈琲を人数分入れた沢木はたどたどしくトレイを両手で抱えて持って来る。

 不器用に揺れているカチャカチャと鳴るカップの音だけでこっちが不安になる。


「さて、謎解きと行こうじゃないか。夏目漱石の暗号解読!」


 自分が正解を知っているもんで、今すぐ言いたいと廉太郎の顔に書いてある。

 黙っている様に釘を刺したのに、犯人じゃ無きゃ喋っても良いと判断する辺り、流石狡賢い廉太郎だ。


「夏目漱石の暗号?」


 樹里は俺が知る限り本を読むより、外で暴れているか、格技場で拳を振るっているタイプなので、多分ピンと来てない。


「お前、月が綺麗ですね、の意味が分かるか?」


 俺は徐に沢木を見て聞いた。


「へっ? あ、はいっ……。えっと、あい、あい……あいぃ……」

「もう良い、分かった。分かっているならそれで良い……」

「トロ、今の言い方だと、トロがエニィちゃんに告ってるみたいに聞こえるでしょ」

「…………あぁ、悪い。そうじゃ無くてだな」

「告ってるって、何で? 上条、分かる様に……」

「説明するから、ちょっと待て。お前、大丈夫か?」


 沢木が真っ赤になってしまったのは、俺のせいなのか? いや、でもそれ以外にどう聞けばよかったんだ。

 沢木は胸に当てていた両手で頬を包んで、ふーっと大きく息を吐くと、両手を握りしめて親指を握り込み、俺の方に向き直る。


「はいっ! 大丈夫です!」

「お、おぅ……。つか、近い……」

「あ、ごめん……」


 廉太郎にした説明をもう一度二人にもして、「月が綺麗ですね」と言う言葉で二十回告白されていた、と言う結論まで喋ってそこで俺は言葉を切った。

 さて、犯人をどうしようか、と頭を捻る。


「でもやっぱり、そんな回りくどい事をするって事は、正直に告白できない理由でもないと不自然じゃない?」


 まぁ、確かに樹里の言う通りだ。そして俺はその理由に心当たりがあった。


「やっぱりまた川端先輩なのかな……?」

 

 樹里のその発言は、沢木の肩をビクッと跳ねさせる。


「でも、確かにあれだけストーカー発言してまだエニィちゃんを付け回すとしたら、正直に言えなくて、こんな方法を取る可能性も無きにしも非ずだよね。エニィちゃんの生活を知っていれば、どの時間なら見つからずにポストに入れるかを考えるのも簡単だ」

「か、川端先輩じゃないと……思う……」

「何でそう思うの? エニィ」

「筆跡が、違うから……」

「それは確実性のある証拠だね。僕達は川端の筆跡を知らないけど、見た事のあるエニィちゃんがそう言うのなら、疑っても仕方ないしね」


 握りしめられた手がまた震えている。

 この時点で、沢木はあの筆跡が誰のものかを思い出したのだろう。

 そして、沢木も犯人に気付いてしまった。

 見えていなかったハズの太陽が、その姿を現してしまった……。

 中森が「真実が分かると良いわね」と言ったのは、この事を知らせようとしていたんだろう。そして、それが分かった今、中森の本当の目的も見えて来た。


「取りあえず、風呂にでも入らないか? ちょっと、頭の中を整理したい」

「あ、じゃあお湯張って来るね……。廉太郎君とトロワ君は二階のお風呂使って。私とジュリィは一階のお風呂使うから……」


 各階に風呂があるのか。流石、ピアニストの家は違う……。

 浮かない顔でリビングを出た沢木は二階へと上がって行った。


「あ、じゃあ私、一階のお風呂準備して来るよ。この前泊まりに来た時に使わせて貰ったから、やり方は分かるし。凄く広いお風呂なの!」

「へぇ、じゃあ僕もそれ見に行く!」


 連れ立ってリビングを出て行く廉太郎が、何か企んでいる事は察したのだが、ちょっとくらい二人きりにしてやっても良いか、と見て見ぬ振りをした。

 二階へと上がって、入ってすぐの扉が開いていたので、そこが風呂なのだと思い中に入る。


「おーい、いるかー?」

「あ、はーい……」


 脱衣所に入ると、ガラス戸越しに風呂を洗っている沢木の後姿が見えた。


「入るぞ」

「えっ?」


 両手を上げて「何もしない」とジェスチャーすると、スポンジを握りしめたまま俯いてしまった。

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