文学と経験者と教授ー第9話
「お前、犯人が分かったんだろ?」
「……」
「お前はどうしたい? どうして欲しい?」
「トロワ君は……犯人が分かっているんだ……?」
「まぁな。多分お前が思っている奴と一緒だろう。だが、お前が死んでも良いと言えるのなら、俺は何もするつもりはないぞ」
「……けない」
「ん?」
「言えるわけ……無いよ。言わないよ」
「なら、一つ確認したい。お前が絶対に毎日欠かさずやる事は何だ?」
「……毎朝、五時から六時までの一時間、ピアノを弾く事」
「分かった。就寝はいつも何時だ?」
「大体十二時前かな……? ど、どうするの……?」
「まぁ、もう少し考えさせてくれ」
じゃ、また後で。と風呂場を出て行く前に、
「あー、一階の風呂場には暫く近寄らない方が良いぞ」
「えっ? 何で?」
「お前が友達のキスシーンを拝みたいって言うなら別だがな」
「……あのっ」
Tシャツの裾を掴まれて引き留められ、予想外の行動に思いの外驚いてしまった。
「な、何?」
「ちょっと、話がしたくて……」
「良いけど、ここじゃいつあいつら来るか分からんぞ。聞かれても良い話、では無いんだろう?」
コクリと頷く沢木は、持っていたスポンジを洗い流して、風呂のお湯張り機能のボタンを押すと、俺の手を引いて突き当りのベランダに繋がっている部屋へと連れて行く。
取りあえず、何故そんなに赤面しているのかが謎だ。
そして掴まれた手が熱い。
「ちょ、お前、大丈夫か? ……熱でもあるのか?」
連れて来られた部屋は、だだっ広いピアノが一台あるだけの部屋で、大きな窓はカーテンが開け放たれていて、月明かりが蒼白く入る清閑な印象の部屋だ。
外には広いベランダが広がっていて、その先に赤いポストが佇んでいるのが見えた。
ベランダに背を向ける様に置かれたピアノは、闇の中に滑り込む様に佇んでいて、雰囲気の良い写真でも見せられている様な気分になる。
「ここなら、声が聞こえないから……」
完全防音完備ってヤツか。流石、ピアニストの家だ。
しかし、こんな贅沢な環境があるのに、何でわざわざ学校のピアノなんて借りて練習する必要があるのか、俺にはそれが分からなかった。
火曜日だけ学校に残って音楽室で練習する事に、どんな価値があるのか。
「で? 話って? あいつらに言えない事なのか?」
黙って部屋の鍵を閉める沢木の背中に、声を掛けたが……施錠するとは、何事だ。
男一人を鍵のかかる部屋に連れ込んでまで話す内容とは、何なのか。
それとも、お嬢様には俺は男として見られていない。
あ、そう言う事か。
そんな無防備だから、ストーキングなんかされんだろう。
ちょっとは学習しろ……。
「あの……」
「はい?」
まるで今から告白でもする様な雰囲気になってるのだが。え、告白? え?
「私……」
「……うん?」
声が上ずりそうになった。何だ、この得体の知れない緊張感は。
この部屋から今すぐ出たい。
男の俺が何でこんな囚われた様な感覚になってんだ。
「彼氏は要らないって言った……」
「あ、あぁ……そんな事も言ってたな?」
だから、偽物彼女を続けると言い切っていたからな。
「それは……」
「そ……れは……?」
タメが長い! 何だ、何が言いたい、ハッキリと言ってくれ。
「私、卒業したら留学するの」
「……はい?」
「高校は両親に無理を言って普通の高校に通わせて貰った。その代り、卒業したらパリへ行く約束なの。火曜日に音楽室を借りるのも、少しでも日本で、高校生活の思い出が欲しかったから……。まだ、ジュリィにも言ってない。この三年間は、普通の高校生したかったから……」
「な、何故……俺にそんな話を……?」
「何故かな……。偽物でも、彼氏だから聞いて欲しかった……のかな。トロワ君や皆と一緒にいると楽しいから、パリなんて遠い所行きたくないなぁって、思っちゃう」
「ずっと向こうに行くって事なのか? 何年か向こうで勉強するとかじゃ無くて?」
「今のところは、五年は帰れないって話になってる……」
五年、か。長いな……。
「何であいつらには言わないんだよ?」
「言ったらジュリィ、絶対泣くもん。ジュリィを泣かしたら廉太郎君に怒られちゃう。それに……」
「それに?」
「ふ、二人だけの秘密が欲しかったの……。特別にはなれないけど、特別な物が欲しかった……」
「それは俺が秘密を守れるかどうか、信用出来るかを確かめたいと言う話か?」
「信用はしてる。ただ、思い出みたいな物かな……」
謎過ぎる。
どういう意味だ。どう答えれば正解なのかが、全く分からん。
俺は首を傾げる。
「トロワ君、私は死んでもいいなんて絶対言わない。誰にも言わないわ。私は好きな人が出来たらその人の隣で生きて、生きて、ずっとその人を幸せにする。一人になんてしない」
理想論だ。
喉から零れそうになった言葉を飲んだのは、月明かりに浮かぶ沢木の姿が余りにも綺麗だったから。
狼狽えるな、冷静に、落ち着け。
自分の奥底を見透かされた様なその言葉に、自分の足元から震えが上がって来る気がした。
――――直ぐ帰ってくるから。
そう言って帰って来なかったあの人の事を、沢木は知ら無いハズなのに。
俺がそれを恐れている事を見透かしている様な、真摯な視線から逃れる事が出来ない。
小さくて、いつも人の事ばかり気にして、自分の危機には無頓着なドン臭い女なのに、今は後ろに軍隊でも率いているかの様な目をしている。
絶対的な意思を持ったその大きな瞳の中に浮かんだ満月は、琥珀色の光を放っていた。
――――月が、綺麗だな。
でも俺は、五年も待てない。
相馬君、母親、きっと自然の摂理に抗う様な形でもう一度失えば、二度と誰かを信じるなんて出来ないくらい、俺と言う人間の根幹に関わってくる問題だ。
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