文学と経験者と教授ー第4話
俺は生まれて初めて殺意と言うものを抱いた。一瞬だったけど。
「お前、そこで何をしてんだ?」
窓を開けて見下した俺に、ペロッと舌を出したのは廉太郎だ。
「良い雰囲気だったからつい……」
翳されたスマホには「抱き締めたようになった俺と沢木」が写っていて、俺は向こう一年分の酸素が体から抜ける様な溜息を吐き出した。もう酸欠で倒れても良いだろうか。
疲れる――――。
「覗いていたのは阿呆に変わりはないが、無害だ」
振り返った俺の言葉に、窓の外を覗き込んで「廉太郎君?」とキョトンと俺を見る。
「阿呆だなんて酷いなぁ。僕だってこの離れには一度も入れて貰った事無いのに、エニィちゃんだけズルいじゃないか。このくらいの悪戯許して貰わないとね」
「何しに来たんだ、お前」
「邪魔だからってそんな邪険にしないでよ、トロ」
「別に邪魔とは言って無い。用件を聞いているだけだ」
「樹里からエニィちゃんがトロの家に行くって聞いたから、一緒に遊ぼうかなーって」
絶対、冷やかしに来ただけだろ。暇人が。
「それに、今日エニィちゃんのお家はお留守で、樹里はエニィちゃんのお家にお泊りするんでしょ? 樹里がエニィちゃんの様子が変だったって心配してたよ? 何があったの?」
目的はそれか。
お前はダウジング機能でも搭載しているのか、と聞いてやりたくなる。
だが、もう凜子様と兄貴と慌てる沢木を相手にして、最後にトドメの廉太郎と来れば俺のHP残量はカツカツだ。
「あの……えっと……」
「居間に戻るぞ」
「えー、僕も離れに入ってみたいぃ」
「お断りだ」
ぴしゃりと窓を閉め切って、カーテンを雑に引き隙間から光が漏れない様にちゃんと閉めた。
「トロワ君、ごめん。ありがと……」
「何が?」
「その……本、当たらなかった? どこも怪我してない?」
「別に。平気だ」
落ちて来た婆ちゃんの文庫を縦に積み上げてデスクの脇に寄せ、離れを一旦出る。
開け放っていた縁側から中に入って来た廉太郎は、離れに入ってこようと思えば入って来れたはずなのに、そこは踏んではいけない地雷だと分かっているらしい。
普段は空気を読まない廉太郎だが、俺が何に本気で怒るかくらいは動物的本能で察知していると言うべきなのか。
冷蔵庫から麦茶を出して人数分のグラスを用意した。
冷凍庫から氷を掴み取り、適当に放り込む。
「ねぇ、トロ。僕達も今日お泊り会しようよっ」
居間から話し掛けて来る廉太郎の陽気な声が本気で暑苦しい。
「嫌だ。男同士で泊まって何が面白いんだ」
「じゃあ、女の子がいたらトロは楽しいのかい?」
「阿呆。お前と一夜を共にして俺に楽しい事は何もないと言っている」
「ふふっ、でも、男の子同士ってどんな話をするのか、興味があるな」
能天気な顔で笑いやがって。
さっきまで震えていた沢木の肩の感触がまだ残っている。
人数分の麦茶をグラスに入れて、持って行く前に自分のグラスの麦茶を一気に煽る。
「じゃあ、じゃあ、僕達もエニィちゃんのお家に泊まりに行っても良い?」
「ぶっ! ちょっ……れんっ……」
「ホントっ? 来てくれるの? 私の部屋は狭いけど、他の部屋ならお布団敷けるし」
「ちょっ、待て! 天然ド阿呆組!」
「「えっ?」」
「えっ? ぢゃねぇ! 保護者の居ない女子の家に用事も無いのに泊まりに行く意味が分からん。その内一組は付き合ってる男女と、もう一組は付き合ってる振りをしてる男女が同じ屋根の下で寝れる訳が無かろう。良く考えろ」
「やだなぁ、トロ。僕だってそんな節操無しじゃないよ。トロ達がいるのに樹里を襲ったりするわけ無いじゃないか」
「お、襲っ……?」
今、気付きましたか、お嬢様。
まさか俺や廉太郎がそんな事をするはずない、とでも思っているんだろうが、俺はともかく廉太郎は本能で生きてる動物だ。
「当てにならん。お前は自制心が無いからな」
「じゃあ、トロが見張ってれば良いじゃないか」
「何で俺がそんな事しなきゃならん。家に居た方がよほどぐっすり眠れると言うもんだ」
「じゃあ、僕一人で泊まりに行くよ」
「阿呆太郎、人の話を聞いてたか?」
「あのっ……えっと、どしよかな……」
「エニィちゃんは樹里にこう言ったそうだね。家に誰もいないのが怖くて、だからジュリィお泊りに来ない? って」
「あ、はい……。正確にはお手伝いさんがいるんですけど……、何というか心細かったと言うか……」
「お手伝いさんに樹里がいる。ならば、心配する事もないだろ。廉太郎が行く必要はない」
「僕が言ってるのは、何故怖いか? って言う原因の方なんだけど?」
「それは……」
口籠る沢木は俯いてしまった。
樹里や廉太郎にはあの手紙の事を話して無いらしい。
「トロ、樹里は僕にこう言ったんだ。エニィがあんなに怯えているのは何故だろう? 私は大丈夫なんだけど。ってね。トロなら僕の言いたい事が分かるよね?」
――――私は大丈夫なんだけど。
樹里は川端の件を知っている。
沢木が何故樹里に手紙の話をしないのかは分からないが、沢木が怯えている理由が分からない事が樹里の妄想を飛躍させている可能性はある。
だが、本人が喋ろうとしない事を俺が漏らす訳にもいかない。
樹里が「大丈夫」と言う言葉を使うのは、大抵大丈夫じゃない時だ。
それを聞いて、ナイト様はここへやって来た。
姫を守る為には城へ入る必要がある、と。
彼女と彼女の友達がいる保護者の居ない家に、男一人で乗り込む訳には行かないから、白羽の矢で俺をぶっ刺しに来たと言うわけか……。
「条件が二つある」
俺はもう、どうにでもなれと息を吐いた。
「何さ?」
「就寝する時の部屋を別にする事。それと……」
沢木の方へと視線を向けた。
「は、はいっ」
「あの件を二人にもちゃんと話せ。そうしないと樹里の妄想が広がって恐怖心が募るだけだ」
「はい……。ごめんなさい」
「別に謝る事じゃない」
「ジュリィは夏休み明けに大会があって、心配かけちゃダメだって思って……。ジュリィに話して無い事を廉太郎君にも相談出来ないし、トロワ君は面倒臭がるだろうなって思って……言い出せなかった」
何か、微妙に俺が悪者みたいに聞こえるじゃないか。面倒臭がりで、悪かったな。
「事情は道すがら話すとして、行くなら早い方が良いだろう。どうせ廉太郎はそのリュックの中にオトマリセットを詰め込んでここへ来たんだろ?」
「楽しみだね、トロ」
……。
一睨みして一応一晩分の着替えをトートバッグに詰め込んで、教授の餌をこれでもかと言う程入れて、兄貴に書置きを残す。
――――廉太郎と泊まりに行って来る。明日には帰る。 瀞和
「さぁ、行こう! 樹里が待ってるよ!」
縁側の戸締りをしている俺を急かす様に玄関へと走り出す廉太郎は、思い通りになったのが嬉しいとばかりにはしゃいでいる。
「トロワ君」
「何だ?」
沢木はこっそりと耳打ちする様に近づいて来たかと思ったら、小声で躊躇いがちにとんでもない事をぶっ込んで来る。
「わ、私は、夜……ジュリィを一人にした方が良いの?」
「ばっ! 馬鹿か、お前は! お前も人の話聞いて無かったのか?」
「だ、だって……そう言うの、良く分からない。く、空気とか読まないとダメなのかなって……お、思って……」
「お前は樹里にしがみ付いて寝てろ! 阿呆が!」
とんだお嬢様だ。
真っ赤になってそんな事を言って来るくらいなら、能天気にそう言う事にも気付かなければ良いものを……。
ジリジリと焼けるアスファルトの照り返しを受けながら、俺はもう疲労困憊の重い身体を引き摺る様に駅までの道を歩く。
せっかくの夏休みに、何故こんな事態になっているのか。
そもそも、俺が行く必要があるわけじゃない。
なのに、何故俺はこいつらに振り回されているんだろう。
放っておけばいい。なのに――――。
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