白い謎ー第8話

 沢木はそれを不思議そうに見上げる。


「時間だ」

「えっ、待たないの?」

「三十分の約束だからな」


 それに、廉太郎の事だから時間を把握した上できっともう、外で待っている事だろう。


「お支払いは?」

「一緒で」


 財布から千円札を抜いてカルトンの上に差出した。


「あ、あのっ……私、払いますよっ」

「別に良い」

「いやでも……」

「じゃあ、今度缶ジュースでも奢ってくれ」

「……じゃあ、好きなジュース今度教えて下さいね」


 俺は珈琲と炭酸水しかほぼ買わないが。


「絶対だよ?」


 ……その場凌ぎだと見抜いてやがる。

 感覚だけで動いている様な沢木は自分の感覚に素直で、それをあまり疑ったりはしない様だ。

 覗き込む様に俺を見て、反応を待っている。

 その視線は、普段人から倦厭されている俺には不慣れな真っ直ぐと向かってくる視線で、それを俺はまた逸らした。


「じゃあ……炭酸水だ」

「うんっ! 買い溜めして持って行くね」

「やめろ、一本で良い」


 またガタリと音を立てる扉を開けると、出て直ぐの所に二人してバカップルがしゃがみ込んで待っていた。


「ごめん……」


 廉太郎はバツが悪そうに謝って、沢木は「全然」と嬉しそうに笑う。

 俺は繋がれた手を見て一先ずどうにかなったのだと理解し、それ以上何も聞かなかった。喫茶店からパクって来たオシボリをポケットから出して樹里に渡す。


「目、擦ってんだろ」

「ありがと……」


 これでやっと目的が果たせると言うもんだ。

 さっさと歩き出した俺の横に走って来たのは沢木だった。


「トロワ君は優しいね」

「お前は、思った事を何でも口にするのか? それに俺は優しくなんかない」

「ふふっ、優しいかどうかを決めるのは自分じゃないですから」


 やりずらい事この上ない。

 論理的な説明など全く出来ない癖に、感覚で物事の核心をついて来る。


「外門が見えて来たよ!」


 後ろから付いて来ている廉太郎が叫ぶ。立派な屋敷だ。

 延々と続く白塀の真ん中辺りに木戸が見えた。


「デカい屋敷だな……」


 立派な格子戸の隙間から見える白塀の内側には塀に沿う様に松の木や、木蓮、椿などの木々が見えて、庭の真ん中は白く流れる枯山水が波を打っている。

 格子戸から飛び石が玄関まで並び、その右手には花の時期を終えた紫陽花が群れを成して並んでいた。


「あれが件の部屋じゃない?」


 廉太郎が外門の格子の隙間から指さしたのは真四角の白い建物で、確かに庭の隅に白い箱がポツリと建てられている。


「ごめんください」


 外門のインターホンを鳴らすと、奥の玄関から一人の女性が現れた。


「まぁまぁ、こんなに若い相談役の方が来られるとは……」

浅沼凜子あさぬまりんこの弟、廉太郎です」

「凜子さんが頼りになる方だと仰るから、もっと年配の方が来るのかと思ってましたわ」


 綺麗な所作でやんわりと笑う女性は、さすが社長夫人と言った雰囲気があった。

 水色のアンサンブルにシンプルなスカートで清楚感満載だ。

 和風な顔立ちだが綺麗に化粧されていて、自宅にいる時でも気を抜かないタイプ。

 そして、顔を隠す左手の小指は微妙に立っている。

 非常に女性的で、割と注目を浴びたい人だ。


「お邪魔します」


 料亭も顔負けの日本庭園に出迎えられ、外門から玄関までが遠い。

 故に、端っこにひっそりと立ち竦んでいる様な白い箱が余計に違和感を放っている。


「ねね、トロ、この屋敷には絶対かっぽーんがあるね!」

「かっぽーん? って何だ?」

「鹿威しの事でしょ……」


 泣いて疲れたのか、樹里の突込みに覇気がない。

 反比例したかのように廉太郎の残念さ具合は絶好調だ。

 一悶着が解決して、気分爽快になりやがったらしい。

 沢木は明後日の方角を見て何か考えている様にも見える。

 ジッと眺める沢木の視線を辿って、白い箱にぶち当たる。


「どうした?」

「あ、いえ……あの白い建物の所だけ、何も無いなぁと」

「あぁ、まぁ、確かに」


 綺麗に手入れされた庭だが、あの白い箱の周りだけが何もなく、ただ孤立した様に四面四角な謎が佇んでいる。


「あれが開かずの間ですか?」


 俺の問いに「そうなの」と苦笑いで答えた夫人は、やっとたどり着いた玄関から座敷へと案内してくれた。


「暑かったでしょう? 何のお構いも出来ませんけど、少し涼んで下さいな」


 透き通った水羊羹と冷たい緑茶が、薄氷で出来た様な擦りガラスの茶器に入れて出される。

 広い座敷の床の間には、白い椿が飾られていた。

 椿と言ったら雪とセットだと思っていたが、こんな時期にも咲くのか……とぼんやり眺めていた。


「夏椿だね……綺麗」


 俺の視線に気付いた沢木が小声で話し掛けて来る。

 あまりにも座敷が広いので小声になる気持ちも分からなくはない。


「へぇ、そんな花があるのか」

「主人の、お母様がお好きだった花なの」


 夫人は俺達の会話を掬い上げる様に、自然と零した。


「それで、あの開かずの間の事なんですけど……」


 好奇心が枷を振り切る勢いで暴れている廉太郎には、花の話などどうでも良いらしい。目の前に獲物があるのに、ちんたら待ってはいられないのだろう。


「主人のお父様が作られた物なんだけど、四月の終りに交通事故で亡くなられてしまってね。遺産の話とか、色々あって……あの部屋にも財産になる物があるんじゃないかと、それを私達夫婦が渡さない為に開けられない等と言っているのだろう、なんて言う人まで出て来てしまって……」

「ちなみにその遺産はいくらっ……た!」


 廉太郎の後頭部と下世話な質問を一緒に叩き落とす。

 ごめんなさいね、と金の話を持ち出した事に僅かな羞恥があるらしい夫人は、口元を細くて綺麗な指で隠す様に笑った。

 ふくれっ面の廉太郎が俺を睨んでいたが、その視線を無視して話を続けた。


「その、部屋を作った方と言うのはどんな方なのですか?」


 俺の質問に、少し考える様な素振りで「厳格な方だったわ」と一言で表した。


「分かりやすく、趣味とかは?」

「多趣味な方だったから、これって言うのは難しいかしら……」

「収集癖は見られましたか?」

「そうね、一時期凝った物は集めてらっしゃった様だけど、興味が無くなると止めてしまわれる感じだったかしら」

「あの開かずの間が出来たのはいつですか?」

「お母様が亡くなられた年だから、二十一年前じゃないかしら……」


 夫人が嫁いでくる前にお母様とやらは亡くなっているらしいのだが、あの開かずの間を建設中だったお父様は病院にも行かず、アレを作るのに没頭していたのだそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る