火の無い所に立つ煙ー第4話

「えぇっと……」


 赤面したまま、眼球が落ち着かなく右往左往する沢木さわきを見かねて、樹里じゅりがその葛藤をバッサリ切る。


「告白されたのよ、先輩に」

「へぇっ! それで答えは? イエス、ノー、どっち?」


 いや待て、廉太郎れんたろう。それはどうでも良い。


「あ、お返事はまだしていなくて……」


 廉太郎の爛々と好奇心に満ちた目に、たじろいでいる沢木は困った様に笑った。

 綺麗に伸びた背筋、膝の上で指を交差し握りしめる様に組まれた手は、左の親指が上に来ている。


 ――――右脳型か。厄介な……。


「それで? それから沢木さんはどうしたんだ?」

「先輩のお話をお断りしようと思ったら、突然破裂音がして……」

「破裂音……?」


 振り返ると、ゴミ箱から煙が出ていた。

 と言う事らしいのだが、その後「川端かわばた先輩が……」とまた歯切れが悪くなる。


「先輩が?」


 椅子に仰け反る様にして小柄な沢木の旋毛を見ながら、端的に話しを促す。

 その俺の言い方が気に入らなかったのか、樹里が一瞬俺を睨んだ。


「私にしがみ付いて、腰を抜かしてしまった様に怯えてしまわれて……。半ば先輩を振り切って、踊り場にある消火器を取りに行ったんです」

「え、沢木さんが消火したの?」

「はい」


 年長の、しかも男が、しがみ付いて腰を抜かす。

 しかも好きな女の前で……。

 それがどんなへタレだったとしても、男が腰を抜かすほどの爆発なら、もっと騒ぎになっているだろうと思えた。

 この件で学校は消防にすら通報していない。

 何か明瞭としない違和感があるのは、隣にいる沢木が小柄で見るからに細くか弱く見えるから、だけとは言い難い。


「川端先輩も不運だよねぇ。せっかくの告白を、そんなトラウマ公開記念日にしちゃうなんてさ」


 そう言って得意気に俺を見たのは、廉太郎だった。


「廉太郎、お前、何か知ってんのか?」

「ちゃーんと、材料は集めてあるよ? 僕はワトソン役だからね」

「知ってる事があるならもったいぶらずに全部吐け」

「別にもったいぶってなんかいないよ。話すタイミングってものがあるだろ?」

「良いから、早く喋れ」


 急く俺を揶揄するかのように廉太郎は肩を竦める。


「川端先輩は、小さい頃火事に遭って酷い火傷を負ってるんだ。だから火の気が怖い、所謂トラウマってヤツだね。中学の時、キャンプファイヤー見てパニック起こしたって証言もあったくらいだから、信憑性は高いと思うよ」


 得意気に人差し指を立てているが、たった一日で一体何人から話を聞いて来たのか。廉太郎の暇さ加減とバイタリティにはいつも拍手を贈ってやりたい位だ。


「トラウマか……」

「あの時の火事は、本当に酷かったですからね……」


 そう呟いた沢木は、食べようとしたアイスのカップをもう一度テーブルの上に戻した。


「あんたも、あ、すまない。えっと、沢木さんも知ってるのか? その火事の事……」


 言い直したのに、また樹里に睨まれる。


「火事があったのは私達が通っていた剣道教室なんです。私も帰るのがもう少し遅かったら巻き込まれていたかもしれません」

「エニィちゃんが巻き込まれなくて良かったよ。その綺麗な肌に傷がつかなくて」


 ド天然男が、口から砂が零れそうな科白を笑顔で吐く。

 俺は時々、廉太郎のこういう科白に、本気で唖然とさせられる。

 何処で覚えて来るんだ……と。


「ふふっ、ありがとう、廉太郎君。あの時、先輩は背中と左の二の腕に大きな火傷を負って、多分それを見た事ある人も沢山いると思うし……」


 確かに、男子なら着替えの時に見た事あるヤツもいるだろう。


「問題はこっからよ」


 機嫌悪そうに樹里が突っこんで来る。


「問題?」


 俺は樹里の言わんとする事が分からずに、眉間に皺を寄せた。

 その「問題」と言う響きが露骨に面倒臭そうだったからだ。


「火曜日、音楽の橘先生は休みで合唱部も部活は無い。そんな音楽室で、男女が抱き合っていた……。なんて、誰が見ても良からぬ想像をするでしょ?」

「ちょ、ジュリィ……言い方が恥ずかしいよ……」

「だって、そう言う事でしょ? 川端先輩と、エニィが音楽室でラブラブしていたって」

「……バカバカしい」


 つい、本音が口を突いて出た。


「ははぁん、なるほどねぇ。怯えた先輩に抱きつかれた所を、見られちゃったんだ?」


 何が、ははぁん、なのか。

 皆まで言うな、と言わんばかりの得意気な廉太郎の顔が阿呆に見える。


「私が消火し終えて先輩に声を掛けた時、先輩まだ……その、えっと……怖かったみたいで……」

「また、抱き付かれた、と?」


 俺の問いに沢木はコクリと頷いて、恥ずかしげに苦笑いで誤魔化した。


「その噂を流しているかも知れないヤツに、心当たりがあるよ」


 さっきまで得意気に鼻息の荒かった廉太郎が、突然萎えた顔をして話し出した。


「この話を解決してくれ、と言った中森なかもり先輩と川端かわばた先輩は小学校からの幼馴染らしいんだけど、この二人と、幼馴染ってヤツがもう一人いる」

「そいつが噂を流してるって言うのか? 幼馴染、なのに?」


 頬杖をついた廉太郎は、あからさまに嫌そうに「うん」と頷いた。

 さっきまでの威勢は何処へ行ったのか。喜怒哀楽の怒以外の感情が露骨に出る廉太郎らしいと言えばらしいが、何故そのもう一人にだけそんな態度になるのかが謎だ。


「剣道部と美術部を兼部している今川大輔いまがわだいすけと言う三年生だ。川端先輩を目の敵にして、ある事無い事言い触らして回る様な、いけ好かないヤロウだ」


 萎えた顔の理由はそれか。納得だ。

 ヤツの嫌いなピーマンを目の前に出された時と同じ顔をしている。

 廉太郎は、普段から頭に花が咲いた様な浮かれた男だが、曲がった事や姑息な事を嫌う。まして、陰でコソコソ言う様な輩は、ピーマンよりも嫌いだろう。


「音楽室の隣は美術室。あの件があった時、隣の教室に今川がいた可能性は高い」

「でも、何で今川は川端を目の敵にしているんだ?」


 それは俺が廉太郎を目の敵にして、ある事無い事吹聴して回るのと同じ様な事だ。

 よっぽど仲が悪いか、それ相応の禍根があると言えるだろう。


「嫉妬じゃん? 今川は川端先輩に剣道でも勉強でも、一度も勝った事無いらしいから。それに中森先輩は川端先輩に惚れてるってもっぱらの噂だ。運動も勉強も色恋沙汰でも勝ち目がないとなったら、卑屈になるって事なのかねぇ?」

「下らんな……」

「ホントだよ。僕はトロの方が成績良くても、劣っているなんて思った事も無いけどね」

「お前は基本、他人の事なんかどうでも良いだろ」


 興味がある事以外は。

 だから廉太郎は、誰とでも平等に一定の深さまでは仲良くなれる。

 執着もしなければ、特別深入りもしない。浅く広くの典型で、その協調性はある意味天性の才能と言えるレベルだ。

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