火の無い所に立つ煙ー第7話

 火曜日の放課後、明らかに川端かわばた沢木さわきを標的にした発火事件が起きた。

 火を使った所を注視すれば、獲物は川端だったと言う事になるだろう。

 いや、でも、それ自体がフェイクの可能性もある。

 もし、沢木に対しての嫌がらせを川端を狙った様に見せかけるには火を使うのが一番手っ取り早い。

 だが、そこまで考えて実行されたとすれば、沢木縁さわきえにしに相当の禍根があるとも言える。ここは普通に考える方がベターだ。

 冷静に、単純に、順番に、そして極めて普通に、だ。

 川端が音楽室で沢木に告白する事を知っていた可能性があるのは、中森なかもりしかいない。

 今川いまがわは目の敵にしていたくらいだし、川端が自分の告白現場を軽々しく漏らすとは考えにくい。

 中森なら川端の告白計画を聞いていた可能性も邪魔する動機もある。

 ならば中森が犯人と言う事で決まり、と言いたい所だが……。


「じゃあ、何故あんな事を言って来たんだ……?」

「え?」

「あ、いや……独り言だ」

上条かみじょう君、発火事件の事を考えてくれているんですか?」

「考えないと解けないだろう?」

「ありがとうございます」


 ほんの僅か、俺の左手を握る沢木の両手に力が籠る。

 思いの外、皮膚の感覚が固い感じがして、習っていた剣道のせいなのか、ピアノのせいなのか、想像より無骨だった。


「敬語、止めてくれないか……初対面だし警戒されても仕方ないが、あからさまに距離を取られると、やりにくい」

「べ、別に私は……距離を取ったりは……」

「敬語は警戒している証拠だ」

「警戒しているのは、上条君の方です……。そ、それに、私を苗字で呼ぶのは……上条君だけだし……」

「お、俺はいつでも誰に対してもこんな感じだ。それにあんたも、俺の事苗字で呼んでるだろ」


 ……この流れは、不味い。そう思った時にはもう遅かった。


「じゃあ、お互い下の名前で呼ぶ事にしましょう? その方が仲良くなれます」


 フワフワしている癖に、妙な所で切り返しが鋭い。沢木縁さわきえにし、侮れない女だ。


「よろしくお願いしますね、トロワさん」

「さん、とかいらないから……」

「よ、呼び捨ては流石に……」

「廉太郎も、樹里も、呼び捨てにしてるだろ」

「それはそうですけど……」


 納得いかない顔で返す言葉を探している様な沢木を余所に、俺は一瞬、朝自宅を出る時の状態を振り返った。

 不味い物は、無いな……。

 いや、別に普段から不味い物は無いが、男のほぼ一人暮らしともなれば、散らかしたまま出る事も無い訳じゃ無い。

 言葉を失って黙りこくっている沢木を、半ば引っ張って家の玄関の前まで来ると、玄関のガラス戸に壁ドン的構図で樹里に迫る廉太郎がいた。

 間髪入れず、廉太郎の尻に蹴りを一発入れてやる。


「人んちの玄関先で盛るな、この阿呆!」

「いった! 別に盛ってなんかいないよっ!」

「喧しい! 俺の目の届かんところでやれ、見苦しい!」


 鼻水垂れた子供の頃からの付き合いの幼馴染のラブシーン程、寒い物はない。

 真っ赤に赤面した樹里を見て、砂吐きそうになる俺の身にもなれ。


「きょうじゅー、ただいまー」

「んなー……にゃあ」


 人の気配がして、餌が貰えると思ったのか、今日はお出迎え付きだ。


「教授、また太ったんじゃん?」

「廉ちゃん、お腹抓んだら怒られるよ」


 廉太郎に抱き上げられた教授を樹里が撫でる様を、一番後から入った沢木が、好奇心旺盛な目で見る。

 どうやら、猫好きらしい事は見ていてすぐに分かった。


「猫さん、だぁ……」


 猫にさん、付ける辺り、呼び捨て出来ないのは彼女の性格もあるらしい。


「適当に居間に座っててくれ。珈琲入れて来る」


 玄関先に三人を置いたまま、先にキッチンへと向かう俺の後を教授が廉太郎の腕を擦り抜けて着いて来る。

 愛玩されるより、飯。うちの子は花より団子だ。

 足首に纏わり着いて来る教授を、肩の上に抱き上げて今日の分の餌を入れてやる。

 インスタントコーヒーの粉末をカップに適当に振り入れて、ポットのお湯を注ぐと、冷蔵庫の中に常備してある炭酸水を一気に飲めるだけ飲み干した。


 ――――……。なるほど、だからバルサンなのか。


「なぁ、火は見たのか?」


 名前が呼べなかった故に、徐に分かりやすく沢木に視線を投げて、そう問い掛ける。


「え? あ、そう言えば……見てません」

「え? 見てないの?」


 廉太郎の呆気に取られた返答に「はい」と短く答えた沢木は、首を捻って言葉を続けた。


「バン! と破裂して……ゴミ箱から煙が上がっているのを見て、燃えてるって、先輩が叫んで……」

「じゃあ、実際にお前が見たのは煙だけだったって事だな?」

「そう……ですね。今、言われて気付きましたけど……」

「じゃあ、何で川端先輩は燃えてるって言ったの?」


 樹里は本気で分からない、と言う顔をして俺を見る。


「思い込みだろ……多分」


 俺の言葉に「あぁ、なるほど」と樹里は納得した様だった。

 トラウマを持った川端だからこそ、ゴミ箱から破裂音がして、煙が上がった状況をそう思い込んだと言えるだろう。 


 多分、発火のトリックは俺の仮説で間違いない。

 だが、そのトリックが当たっていたとすれば、沢木に対しての醜悪で陰険な恨みを感じずにはいられない。

 そして、犯人が中森だとして、疑問は四つある。


 一つは鍵の借りられてない火曜日に、どうやって音楽室に入ったのか?

 次に何故自分が犯人であるのに、俺達に原因を解明しろと言って来たのか?

 そしてもう一つ、生物室の鍵と入れ替わっていたのは偶然なのか?

 最後に、あの噂が流れたのは偶然なのか、必然なのか?


 老朽化の激しい特別棟の年季の入った円筒錠なら、ドアノブを叩けば開く可能性が高い。明日にでも音楽室に行って調べれば明確になるだろう。

 残りの疑問を、どうするか……。


「犯人が分かったって、顔してるね、トロ」

「えっ? ホントに?」


 沢木に期待を含んだ視線を向けられて、俺は少し動揺した。


「いや……まぁ、多分な」


 本当の事を暴くと言う事は、それだけで他人の人生が狂ってしまう事さえある。

 俺はそれを身を持って知っているから、それを口に出す事を好まない。


 小学校一年の時、給食費が盗まれると言う事件が起こった。

 担任の教師は、犯人が名乗り出るまで誰一人帰さないと言う御触れを出して、俺達は教室に残される羽目になる。

 でも俺は誰がやったのか、分かっていた。

 落ち着かない挙動を見れば一発で分かるし、今思えば担任だって分かっていただろうと思う。

 なのに、担任教師は自ら名乗り出させようとしていた。

 だが、七歳の俺にそんな大人の意図が理解出来るはずもなく、数日前に爺ちゃんが拾って来た黒い子猫と遊びたいが故、その我慢大会を終わらせるべく、俺は一計を案じた。

 とは言え、子供の考える事で、大したことでは無かったのだが。

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