火の無い所に立つ煙ー第6話

 土曜日の放課後、学校近くのファミレスで話をすると言うので、俺達は二人が店内に入るのを見送った後店に入る。

 沢木さわきに背中合わせになる真後ろの席に廉太郎れんたろう樹里じゅりが座り、俺はその向かいに座った。


 小柄な沢木は廉太郎と樹里の背中に隠れてほとんど見えないが、細身で長身の川端かわばたと言う男は頭一つ飛び出ているので表情まで良く見える。

 終始スマホを弄る振りをしながら、男の表情、瞳孔、身振り手振りをじっくり観察した。

 見た感じ気の弱そうな顔をしているが、頼んだ珈琲を飲む前に必ずそのカップの中を覗きこむ。

 粘着質そうな本性が、顔立ちに出ていないのが余計に質が悪い。

 段々と川端のリアクションが大きくなり、必死か! と突っ込んでやりたくなる。

 周りの喧騒で会話までは良く聞き取れないが、見ている限りでは面倒臭そうな男だ。


 沢木と背中合わせに座った二人の表情が反比例するかのように、廉太郎は青褪め、樹里は怒りで顔を赤くしていた。

 テーブルの上で握り締められた樹里の拳が震えているのを見てガチでギョッとした俺は、廉太郎にナニゴトかと視線をやった。


 スマホにラインが届く。廉太郎からだった。


 〉ヤバいよ、トロ。あいつストーカーだよ。


 会話の内容が聞こえていない俺は、出よう、と廉太郎に視線で返す。

 それにコクリと頷いた廉太郎は、会計表を持って樹里の手を引いて先に席を立った。

 沢木を置いて行くわけには行かないか……と一瞬考えて、俺はテーブルの上のお冷の入ったプラスチック製のグラスをテーブルの端に置き、立ち上がる振りをしながらそれをわざと床に落とした。

 カラーンと鳴ったプラスチックのグラスの音に、一斉にその場が静かになる。


「すいませーん、こぼしてしまいましたー」


 適当に近くにいた店員を、片手を上げて呼んだ。

 沢木はグラスが落ちた音にこちらを振り返っているが、その目には涙が滲んでいる。

 おいおい……。泣く程、何があったんだ……。

 想定外の表情を見せられて、後頭部を掻いた俺は「沢木さん」と声を掛けた。


「か、上条かみじょう……君……?」


 展開が読めてないらしい。


「後ろにいたの、沢木さんだったんだね。気付かなかったよ」

「君は?」


 川端が祭で売っている面の様な安い作り笑いでこっちを見たので、俺も上等な作り笑いで返す。


「沢木さんの友達で上条と言います。あー、すいません。今から皆で勉強会するんで、この先生連れて帰って良いですかね? 先生いないと勉強会始まらなくて」

「え、えにしは今、僕と話してるからダメだ! また今度にしてくれ」

「沢木さんは、まだこの人と話あるの?」


 俺が笑っているのがそんなに不思議なのか、それとも現状に思考が付いて来れていないのか。

 目に涙を溜めたまま、ポカンと口を開け「ナイ……です」とだけ零した。


「じゃ、先輩。さようなら」


 そのまま沢木の手を掴み取り、席を立たせる。

 足早に店を出ると、大通りの横断歩道をさっさと渡って待機していた廉太郎と樹里が、車道を挟んだ向こう側で恥ずかしげもなく両手を振っていた。


「恥ずかしいヤツらだ……」


 点滅する歩道の青信号を振り切る様に、沢木の手を掴んだまま横断歩道を渡り切り、路地裏へと逃げ込む。


「ちょっと、上条! 一発くらい殴って来たんでしょうね!」

「はぁ? バカか。俺は会話まで聞き取れてないんだ。そんな必要が何処にある?」

「あいつ、噂になってしまったから形だけでも付き合ってくれって言ったのよ? バカにするにも程があるでしょ! それだけに留まらずに、付き合ってくれなきゃ死ぬとか言い出して! 死にたきゃ一人で死ねば良いのよっ! へタレっ!」

「ど、どうどう……樹里ちゃん、落ち着いて……」

「噂になって迷惑してるのはエニィの方だって言うのにっ!」


 樹里まで泣きそうな勢いだ。こうなっては誰にも樹里を止められない。


「と、取りあえず、場所を変えよう」


 そう言って、廉太郎は何故か俺の家に行こうと言い出すのだった。


「何で……俺んちなんだよ?」

「だって、女子は二人共電車通学、僕の家は誰かいるし……。トロの家なら、教授だけでしょ?」

「それは、そう、なんだが……」

「朝起きる時間、寝る時間、部屋着の色、休日の行先、君の事なら何でも知っている……」

「廉太郎、何の話だ? 全然見えん」

「川端がそう言ってたのさ。エニィちゃんの事を何でも知ってるって、ね」

「……どんだけだよ」


 他人の生活にそれだけ執着出来るとは、川端と言う男は余程の暇人らしい。


「トロ、ちゃんと手繋いでてよ? 川端が攫いに来るかもしれないんだから……」


 言われるまで気付かなかった。沢木の左手を握ったまま歩いている事に。


「あ、すまん……。忘れてた……」

「いえ……」


 俯いて、今にもまた泣きそうな顔を堪えながら「ありがとうございます」と無理に笑顔を作る沢木は、また親指を握りしめる様に胸元で拳を握る。


「ちゃんと繋いでないとダメだってばっ! トロ」

「喧しい。攫いに来るなんて、非現実的な事あるわけないだろっ!」

「でも、後を付けられてる可能性はゼロじゃない」


 それは、確かに……そうなんだが。

 ニヤリと笑った廉太郎に、返す言葉が無い。

 ならば、武士の様な樹里に手を引かせようと思い付いた矢先に、そんな事はお見通しと言わんばかりに、廉太郎が樹里の手を引く。


「……チッ」


 チラリと俺を見る廉太郎が、さも楽しそうに見えるのが癪に障るが、隣で俯いたままの沢木の旋毛が気になるのも確かだ。


「沢木さん……」

「は、はいっ……?」


 呆然としていた、と言わんばかりに俺の声に反応した沢木は、俺が差出した左手を不思議そうに見た。


「嫌なら別に……」

「あっ、いえ、あのっ……ありがとうございます……」


 両手で握るヤツがあるか。犬の散歩じゃあるまいし……。

 その時、ふと、視線を感じて振り返った。

 川端、ではなく数十メートル先に見えるのは、ストライプのYシャツを着た男と、髪の長い地味な格好をした女だった。

 女性の方は見覚えがある様な気がして目を凝らすが、夕暮れの西日で陰になり、距離があるので顔までハッキリとは見えない。

 だが、向こうも明らかにこっちを見ている。


「あ、たちばな先生……」

「え?」


 沢木は俺の反応をスルーして小さく会釈をすると、遠くに見える「橘先生」は軽く手を上げて応えていた。


「一緒にいたの、浜岡はまおか先生じゃん?」


 樹里が言ったその言葉で、見覚えに思い当たった。

 そうだ、あの地味なグレーのアンサンブルが似合う、国語教師の浜岡だ。


「あの二人、同じ高校の同級生らしいわ。婚約間近って噂もあるわね。橘先生、イケメンだから、浜岡先生女子に嫌われちゃって……」

「ふーん……」


 俺の代わりに興味の無さそうな廉太郎が答える。確かに、ふーん、だ。


「最近学校近くで変質者が増えてるから、巡回してるって橘先生が言ってたよ」


 沢木のその言葉に、廉太郎がニヤニヤと笑いながら、俺を見る。


「変質者ねぇ……。確かに、川端みたいなのが他にもいるかも知れないよね」


 だから、その手を離すなよ、とでも言いたげだ。

 俺はその視線を煙たがる様に視線を逸らした。

 喋っていたらいつまででも弄られそうなので、ここは黙秘で回避する。

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