文学と経験者と教授ー第5話
電車に乗って二駅。その間に沢木は手紙の概要を廉太郎に話していた。
廉太郎は白い封筒の中身を興味津々に眺めて、人差し指を立てては思い付いた事をさも「そうであるか」の様に喋って、俺に却下される。
「これは寝れず、と書きたかったのに、濁点を忘れているんだ!」
「二十通も繰り返し間違えるとしたら、そいつは阿呆を通り越して立派な馬鹿だな」
「じゃあ、直筆って所を考えて愛の告白とか!」
「こんな分かりにくい告白があるか。告白ってのは相手に伝えたいからするもんだろう」
「告白した事無いトロにそんな心理わかるのぉ?」
「論点がズレてる。告白した相手に伝わらなければ意味が無い、と言う話だ」
「じゃあ、トロはこれが何だか分かるって言うの?」
「分かってたらわざわざこんな所まで来てない」
電車から降りて大きなショッピングモールやドラッグストアが立ち並ぶ大通りから一つ横断歩道を渡り、中通りへと入ると大きな家が点々と立ち並んでいた。
「うわー、この辺りって大きな家が多いんだねぇ」
廉太郎は感嘆の声を上げながら、両手を大きく広げて相変わらず感情表現が大袈裟だ。
「そうだね。戸建てが多いし、昔は山しかなかったってお婆ちゃんが言ってたけど、ベッドタウンってヤツかな?」
入り組んだ下町の様な俺や廉太郎が住んでいる街とは違う、現代的な戸建てが立ち並ぶいかにも金持ちの家、と言った風情だ。
「ここです」
赤いアメリカンポストが印象的に映える白い家。
松平邸程の広さは無いが、玄関の右脇には普通乗用車が五台は停められる駐車場のシャッターが降りている。
一般家庭に五台も車があるなんて、早々ないだろう。
広がっている庭には、薔薇園と言って良い程の薔薇が咲いていた。
二階には広いベランダが突き出していて、その向こうに一代のピアノが見えた。
「どうぞ。さっきジュリィからもうすぐ着くからってラインがあったから、中で冷たいお茶でも……」
芳香剤の匂いか、下駄箱の上に飾られた生花の匂いなのか、玄関を開けたら花の匂いが出迎えてくれる。
「あら、まぁ……お友達ですか? お嬢様」
お嬢様。ガチでそう呼ばれている人間を初めて見た。
何だかこの沢木縁と言う女は世界が違うとは思っていたが、こいつの親は何者だ。
「あ、吉野さん、ただいま。同じ学校の浅沼廉太郎君と、上条トロワ君。今日、ジュリィと四人で……」
言い訳を考えて無かった、と顔に書いてある。
「夏休みの課題で、星の観測をテーマにした発表があって。沢木さんのお家には広いベランダがあると聞いたので、こいつと二人で無理を言って今夜、観測させて貰えないかとお願いしたんです」
俺は無駄に膨れた廉太郎のリュックを掴み上げて、あたかもその中に望遠鏡でも入っている、と言う芝居をした。
「あら、まぁ、そうでしたの」
「あのっ……パパとママには……」
「はい。内緒で御座いますね」
吉野さんニッコリと笑って「分かっていますよ」と言う視線で頷いた。
物わかりのいいお手伝いさんで良かった。
「すぐにお茶のご用意を。さ、皆様リビングへどうぞ」
細腰に揺れるエプロンの紐を見て、遠い記憶が蘇りそうになる焦りを溜息と一緒に吐き出して、無かった事にする。
「トロ、ナイス!」
「トロワ君、凄い!」
嘘を付いてこんなに褒められるとは。
「悪い事をしているのに、はしゃぐな」
「守る為の嘘だろ? トロは精神年齢が老化し過ぎだよ」
「うっさい」
リビングに入ってものの五分もしない内にインターホンが鳴る。
「多分、ジュリィだね」
そう言って、沢木が玄関先まで出て行ったかと思ったら「えぇ? 何で廉ちゃん達がここにいんの?」と言う、樹里の声が玄関から響いた。
「心外な反応だなぁ、樹里。そんなに僕と会いたくなかったの?」
リビングの入口に寄り掛かって、樹里を弄ろうと意気揚々なのは分かるが、そもそも樹里に知らせてなかったのか、と俺は思う。
「いや、だって……」
「へぇ、嫌なの」
「そうじゃなくって!」
「バカップル、煩い。良いから中に入れ」
吉野さんが良い人だったとしても、俺の嘘を全部信用した訳じゃないだろう。
下手に付け焼刃がバレたら、言い訳を考えるのが面倒だ。
樹里に手紙の説明をする為に、お茶をトレイに用意して、吉野さんの手を煩わせる事の無い様に準備した後、二階へと移動。
階段を上がって直ぐの所に一部屋、廊下を挟む様に二部屋づつ部屋が並び、扉の間隔から見て、一部屋が相当広いと見える。
一番奥の突き当りは外から見た時にベランダがあった位置で、もう一つ部屋がある。
「あの奥の部屋はベランダに繋がっているのか?」
一歩前を歩く沢木に声を掛ける。
「あ、うん。あそこはピアノがある部屋で、いつもあそこで練習しているの。ここが私の部屋だよ」
突き当り手前の部屋の扉を開けて、促されるまま入る。
意外と物が少ない部屋の様に見えるのは、整理整頓されているからだろう。
壁際の本棚にはびっしりと本が並んでいるが、少女マンガ等の類の物は一つも無い。
らしいモノと言えば大きなクマの縫い包みと、夏の西日を遮断している淡いピンクのカーテンくらいで、勉強机の上に置かれているのはヘアゴムで束ねられた白い封筒の束だった。
「これで全部か?」
「あ、うん……」
俺はゴムを外して封筒の中身を全部出し、封筒の上に置いて並べて行った。
気が気でつい、寝れす。
気が気でつい、寝れす。
気が気でつい、寝れす。
気が気でつい、寝れす……。
しつこい。
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