第十五回転 時をかける全裸

 ぼくは無言で窓を蹴った。


「ちょ、ま!? これが人間のやることかネ!?」

「く、くー!」


 ぼくの腕の中で荒ぶるクトゥルフのポーズをとったくーちゃんは、ジャンプ一番、窓に向かって追撃を見舞う。

 素晴らしいムーンサルトボレーだった。


「あいやー!?」


 無様に落下してく全裸の成人女性。

 二階の雨どいをぶち破り、屋根に激突し、転がり落ち、そのまま一階まで落下。

 めぎゃりという音ともに、首から地面に落ちて大地と壮絶なキスを交わした彼女は、そのままぴくりとも動かなくなった。

 むかし六花ちゃんと見たジャッキー映画で、似たようなのを見たことがある。

 確か、ジャッキーは首の骨を骨折していたはずだ。

 あの超人でもそうなのだから、結果は考えるまでもないだろう。

 ぼくはひとつ頷き、ベッドに戻ろうとする。


「──こんの、ゲロカスがぁ! なんてヒドイことをするんだ、激おこぷんぷん丸なんだからナ! 吾輩が時間遡航じかんそこうできなかったら少年ボーイはいまごろ殺人犯だぞ!? 未必の故意って、知ってル?」

「──!」


 これには、さすがにぼくも吃驚を覚えた。

 つい先ほど地面へと失墜し、首の骨が完全に折れたはずの変態が、また窓に張り付いていたのである。

 しかも、まったくの無傷で。


「あなた、なにものですか」


 思わずそう尋ねると、彼女はいましがたまでの怒りなどまるでなかったような笑顔を浮かべ、


「吾輩の名はタナトス! なんでもできるタナトスさんだネ! どうかナ? 現時点でタナトスは、この程度のパフォーマンスを発揮できますガ!」


 そんな、意味不明なことを口にした。

 ぼくは首を傾げ、尋ねる。


「それで、変態さんはなぜ、ぼくを食べたいと?」

「その前に、中に入れてはくれないかネ、少年ボーイ? いさかかここは」


 へっくちゅん。


「……寒さが、骨身に染みるのだヨ」


§§


「話をしよう。これはいまから三年と一か月、二十一日前……いや、君にとっては、明日の出来事だネ」

「粗茶ですが」

「あ、悪いネ! あったまるヨ!」

「あおーん!」

「ワンちゃんには、ささみを」

「ずるいゾ、ティン! 吾輩も空腹なのだがネ! あ、気にしないでくれたまえ少年ボーイ!」


 ……なんなのだろう、このふたり。

 とてもやりにくい。

 ぼくはお昼の残りのカレーと、それから全裸のままでは見苦しいので、上に羽織る毛布を手渡し、タナトスさんに事の次第を訊ねる。


「全裸に毛布とは……少年ボーイもカルマがディープだネ!」

「無駄口は叩かなくていいので、質問に答えてください。ぼくはなぜ、あなたに狙われているのですか?」

「ウン? 簡単に言うとだネ、君からは時間の禁忌に触れた臭いがするのサ」


 はっきりいうが、彼女の言葉は支離滅裂で、さらにひどく難解なものだった。

 けれど、根気よく要約すると、おおよそこうなる。

 彼女の持つ、ゆる邪神のティンは、ティンダロスの猟犬という邪神のアバターで、時間の秘密に干渉した存在を感知するスキルを持っている。

 そして、タナトスさんは刻限の守護者であって、ティンとともにその秘密を悪用しようとする人間を追いかけているらしい。

 筋書はよくある話だけど、ちょっと飲み込みずらい。

 最大の問題は、どうやらその時間の禁忌とやらに触れたものと同じ匂いが、ぼくからしているらしいということだ。

 むろん、覚えはない。


「覚えはないカ……あり得る事柄だネ。記憶の操作も、時間への干渉へ含まれる事象だヨ。で、だ。とりあえず、ティンに食べられてはくれないかナ? そうすれば、吾輩は職務を全うできる。今回は縁がなかったと思って」

「なにひとつ解決しませんよね、それ?」

「どうしても見つけ出さなければならいものなんダ。どれだけ遠くにあっても、どんな時間軸にあっても、どれだけ危険でも……ずっと追いかけているものなのサ。そのために、本来の役目さえ投げ打ってネ」

「変態さんの職務というのは?」

「タナトスな! タ・ナ・ト・ス! さっき言ったとおり、刻限の守護サ。もしくは世界の運営と言い換えてもいい。吾輩は自動的なのだヨ」

「へー」

「…………」


 よくわからなくなったので、くーちゃんと遊び始めたのだけれど、タナトスさんはなぜかぼくを凝視する。あまり心地よくない視線だ。

 ややあって、ひどく難しい表情で、彼女はこんなことを口にし始めた。


「特異点という言葉の不正確性はだれしも知るところだが、しかしこれはそれ以外の形容が見つからない。事象の外だ。知られる限り、その位置──負位置とでもいうべきか──に存在できるモノは限られている。ならば、ティンの感覚は正しい。そして、この場合執るべき最適解は、世界の維持につながるはずだ。そもそも、おそらくはこの少年こそが──」

「あおーん!」

「……そうだネ! 難しい話はやめヨウ! 少年ボーイ、君は無自覚で自覚的だから、サービスで今回は見逃すことにすル。そのうえで、一つだけ忠告をあげヨウ」


 そうしてタナトスさんは、会話をこう締めくくったのだった。


「出門部院六花にはせいぜい気を付けることだネ。あれは──すべてを巻き込んで自滅する、渦動の破壊そのものだヨ」


 彼女は至極真剣な表情で。


 口元をカレーで汚しながら、そういったのだった。


 ……まったく、締まりがないものである。





 NEXT ROLL ── MMR襲来

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