第十三回転 捕食のために腹は鳴る

「シュタッ! 大地よ、あたしは帰ってきた!」

「にゃぐー」


 大きく足を開き、腰を落とし、左手を地面につけ、右手を横に広げたポーズで着地を決める六花ちゃんとニャルさま。

 ゆっくりと上がったどや顔は、なかなか堂に入っている。

 恐ろしく腰に悪そうだったが、なぜか朱里子さんも同じようなポーズで着地する。

 ……流行っているのだろうか?


「……う、ううう。俺の夢が……〝宗教〟で最高のレア邪神を当てる願いが……」


 うなだれた様子で、井坂さんも無事着陸を果たす。

 そういえば、通学路で六花ちゃんが防犯ブザーを鳴らし、そのあとあんなにもド派手な騒ぎがあったというのに、周囲には人影ひとつ存在しなかった。

 通学時間が過ぎたから……と考えるのは、いささか牽強付会かもしれない。


「そんなことより名もなき少年くん。この愛知らぬ哀れな不審者をどうするか、決めましょう」

「朱里子さんの言うことはわかりますが、ぼくらにどうこうする権利はないですよ」


 ぼくらはただ、ゲームをしていただけだ。


「ですが! あなたたちふたりは、私が来なければ命の危機に瀕していたんですよ?」

「それにはすごく、感謝しています。ありがとうございます、朱里子さん。昨日より今日のほうがかっこよく見えましたよ?」

「──っ」


 途端に、そっぽを向き、うつむいてしまう朱里子さん。

 なぜだか耳が赤い。


「痛い」


 横にいた六花ちゃんが、無言でぼくのすねを蹴った。

 暴力ヒロインは流行らないという風潮はどこに行ったのだろう。

 謎だ。


「ともかく、彼には今後、このようなふるまいをさせないように──」


 朱里子さんが、なにかを提案しようとした。

 そのときだった。


「う、うわああああああああああああああああああ!?」


 ひどく狼狽したような、恐怖がじっとりと染みついたような悲鳴が、一帯に響き渡った。

 その声の出どころは、本当にすぐ近くで。


「やめ、やめろおおおお!!」


 ぼくが見たのは、井坂さんに飛び掛かる、イタカの姿で。

 そして、イタカは。

 彼の頭を。



 ──もきゅもきゅした。



 もきゅ、もきゅ。

 冒涜的で、名状しがたい咀嚼音がこだまする。

 朱里子さんは明らかに引いた様子で言葉を失っており、頼りになりそうもない。

 ぼくは、隣で平然とした顔つきをしている六花ちゃんに、説明を求めることにした。

 辞書の代わりに出門部院だ。


「……このゲームには、マスクデータ──つまり見えない数値として、空腹値が存在するわ。これが低下すると、ゆる邪神は飢餓状態か、休眠状態に陥る」

「すると、どうなるの?」

「知らんのか? 課金以外の方法では、二度とプレイできなくなる」

「……え?」

「飢餓状態では、エルダーサインやその他のゲーム内アイテムを、ゆる邪神が無差別に消費してしまい、休眠状態では、文字通り眠りについて、一切のプレイを受け付けなくなるの。このゲームをあたしがくそげーと評したのには、きちんと理由があったわけ」

「それは、なんとかできないの?」


 ぼくが問いかけると、六花ちゃんは端正な顔を歪めてしまった。


「本来なら、SAN値バトルでの勝利や、儀式クエストと呼ばれるミニゲームをこなすことで、空腹値は改善されるわ。でも、一度でも飢餓か休眠状態に陥ると、戻す方法は課金しかないの。そして、あの社畜には、たぶんもう……」

「朱里子さん」

「いま彼のスマホを回収しましたが……だめです、ロックがかかっていて、開けません」

「それじゃあ……」


 ぼくは、戸惑いとともに井坂さんを見た。

 白いギリースーツに身を包んでいた彼。

 目の下にはクマが浮かび、髪はぼさぼさでフケだらけ、無精ひげは伸び放題だった不審者。

 だけれど、そんな彼は。


「いあー」


 満足そうな鳴き声を上げて、イタカは井坂さんの頭から離れる。

 ぼくと朱里子さんは、思わず目を覆った。

 六花ちゃんの、冷酷とも取れる言葉が響く。


「ゲーム内で空腹値が最大に達したゆる邪神は、再び目覚める日まで眠りにつく。夢見るままに待ち至り──そして、それは現実において、こういう形で反映されるみたいね。つまり──


 ぼくらの眼前で、ゆっくりと井坂さんが立ち上がった。

 その表情に、先ほどまでの殺気立ったものはない。

 穏やかな、いま目が覚めたばかりのような顔つきで──


「あれ? 俺はなにをしていたんだ……? こんなかっこうで、こんな場所で……いけねぇ!」


 はっとした表情で、彼が大声を出す。

 井坂さんはぼくへと駆け寄ってきた。

 反射的にだろうか、ぼくを守るように立ちはだかった朱里子さんに、彼は焦った表情でこう尋ねた。


「いま、何時だ!?」

「え?」

「掘った芋いじんな!」

「えっと……午前8時45分ですけど……」

「完全に遅刻じゃないかー!」


 絶叫し、ギリースーツを脱ぎ捨てると、彼はその下に着込んでいたスーツ姿になって、どこかへと駆け出して行ってしまった。


「部長にどやされるぞ!」


 去り際に、ひどく爽やかな笑みを浮かべて。

 


「…………」


 呆然とするぼくらの前には、棒きれを積み上げたようなお腹を満足げにさする、イタカだけが残された。


「いあいあ」


 くーちゃんがそう鳴いて、そのお腹が、グーっと鳴った。


「くーちゃんも、ぼくが食べたいの?」

「くー?」

「ちょっと、あんたなに言ってるの! 安心しなさい、場合によってはあたしがSAN値バトルで負けてあげるから──」

「いいよ、食べて」


 ぼくはひょいっとくーちゃんを持ち上げると、自分の頭の上に置いた。

 くーちゃんはそんなぼくを、不思議そうに見つめて。


「くー!」


 そのぷにぷにほっぺたを、ぼくにこすりつけてきた。

 そうしてそのまま、ぼくの頭から飛び降りると、くーちゃんはイタカへ歩み寄り。


「いあいあ くとぅるー ふたぐん」


 ばっと触腕を広げたかと思うと。

 そのまま一息に──イタカを、飲み込んでしまった。

 イタカがなにかをする暇なんて、存在しなかった。

 あまりに慄然たる光景に、六花ちゃんと朱里子さんが息をのむのがわかった。


「くー!」


 満足そうに触腕を持ち上げるくーちゃん。

 ぼくは。


「ごちそうさまだね。美味しかった?」


 そんな風に、くーちゃんに問いかけるのだった。




 NEXT ROLL ── 出門部院六花の憂鬱

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