第十九回転 境界線上のデバックモード
──どうしてこうなったのだろう?
そんな疑問とともに、ぼくはぼんやりと
通学路、学校、給食センター、公園、ビル街、街並み、世界。
なにもかもが、うねり粟立つ泥濘のような闇のなかを、どこまでもどこまでも落下し続けていた。
シャボン玉のような闇が浮かぶ、海のなか。
そらの最果て。
すべてが急速に遠のいていく。
まるで、夢幻の虚。
世界が丸ごと、底なしの奈落へと向かって落下しているのに、たったひとつだけが、頂点に
ひかりのない、見開いた目から、乾いた涙をこぼす少女。
六花ちゃんの肩の上で、ソレは。
這いよる混沌──ニャルラトホテップは哄笑を上げていた。
ゆる邪神、ではない。
無数のオバケ、無数の怪物が溶融したような、地獄めいたバケモノだ。
「どうして」
ぼくの口から、力なくその言葉がこぼれた。
「──では、吾輩が説明してあげヨウ」
見る。
ぼくは、意識的に隣を見た。
そこに、彼女がいた。
タナトス。
以前出会った時のような、全裸ではない。
英国紳士のような、
「やっぱり、あのフローチャートでは、この結末に至ってしまったネ」
「なんなんですか、これは。なにが起きているんですか?」
「この静寂のなか、きみだけが騒がしく、故に、きみだけが愛おしい……いや、真摯に答えよう。原因の一端は吾輩にあル」
「あなたが、こうした?」
「違う。本来、この結末は没案とされたものダ。こんなつまらないエンディング、観客はお気に召さないからネ。無貌にして千貌の神ニャルラトホテップ──いくつもの姿かたちを持つ彼において、〝這いよる混沌〟は、いわば千の貌の象徴だ。すべてを統括するものだともいえル」
「わかるように話してくれませんか」
「少年ボーイ、君は無自覚に自覚的だ。どうせ与太話だけをしても理解するだろう。単刀直入にいこウ。あのニャルラトホテップには、潜在的にすべての邪神と互換可能であるという可能性が秘められてイタ」
「は?」
すべての邪神との互換性。いくつもの形もつ邪神。
つまり、それは。
「
わからない。
でもそれは、脳髄が理解を拒んでいるからだ。
わかりたくない。
これが正しい。
それでも、タナトスさんは容赦しなかった。
まるで、ぼくがそれを知ることが、義務であるというかのように。
「すべての邪神そのものになった這いよる混沌は、必然的にあらゆるfanaticを獲得すル。この世のすべてに崇拝される神、それは全知全能だ。這いよる混沌はアザトースの夢の、真の主人公となり、くーちゃんの召還の勝利者として、この惑星を、この宇宙を、三千大千世界を支配しタ」
「あれが、なにもかもを手に入れたってことは、六花ちゃんは……?」
ぼくがそう問うと、ん? とタナトスさんは片眉を上げて見せた。
それから、ああ、と、納得したようにうなずく。
「見えていないのカ。連中が、もうすぐ滅ぼすだロウ」
「え?」
「上だよ」
言われるまま虚空を見上げる。
玉座に坐す六花ちゃんと這いよる混沌。
その怪物に、知っている人たちが──MMRの三人が、躍りかかるところだった。
彼らは手にそれぞれ、スマホを持っており、そこからは炎がほとばしっている。
可愛らしい目が付いた、丸い炎──
「さすが常識人。たしかにクトゥグアは最適解だ。這いよる混沌が苦手とする数少ないものサ。でも、あの神を殺してどうナル? この世界そのものになった神が死ねば──」
「世界が、終わる」
「そうだ。そして吾輩は、それを止めるために、こんなことを繰り返している!」
彼女は、おちゃらけていた表情を、清冽なものに変えて、そう叫んだ。
気が付けば、ぼくはぽつりと呟いていた。
「郁太・T……」
「そうだとも! 吾輩はくーちゃんの召還の産みの親! 郁太・タナトス! この世界の時間を守るもの! 何者かの
本来は実装されなかったはずのルート。
システム。
ギミック。
彼女が産み出したゲームの世界にはなかったはずのもの。
「それが、何者かの手で、この世界には刻まれてしまっている。あの場に〝闇にさまようもの〟と〝輝くトラペゾヘドロン〟が揃っていたからこそ、未実装という可能性の壁を突破して、〝這いよる混沌〟は召喚されてしまった。これはバグだ! それも人為的な代物だ! 仕組まれたものだ! だが……残念ながら吾輩は、すでにゲームマスターではないがゆえに、世界に干渉できない。バグを取り除くことができない。だから──!」
彼女は。
タナトスさんは、まっすぐな金色の瞳で、ぼくを見て、こう尋ねた。
「きみが、世界を救ってくれないか、少年ボーイ?」
この世界を、デバックするんだよ。
彼女は真剣なまなざしで、そういったのだった。
NEXT ROLL ── ※※※※
Re:START ── そのままニューゲーム
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