Re:第十七回転 殺神考察(後)
数多の仏、神、悪魔、天使──超越的存在すべてを内包し、すべてが観客としてそこにいる、三千大世界収容型ドーム──ドリームステージに、ぼくらは降り立った。
「ナンダ? ナンダコレハ……? ウヴヴ……」
「まるでニャルさまの怯える声ね。といっても、あたしの信じるニャルさまとは、ずいぶん違うみたいだけど!」
事実、彼女の目の前に立つバケモノは、ニャルラトホテップではない。
この宇宙の悪意という悪意、害意という害意が集積した、集合的無意識の攻撃的な側面であると言えた。
平和な世界を築く際に、置いてきた悪しきモノの塊。
それが、あの這いよる混沌の正体なのだ。
「なんだかよくわからないけど、だいたいわかった。偽ニャルラトホテップ! つまり、ここがあんたの桶狭間よ! さっきはよくも……あいつにひどいことしてくれちゃったわね! 月に変わって折檻しちゃうんだから!」
「小癪ナ……! ソモソモ貴様ハ戦ウタメノ邪神スラ持タヌデハナイカ! ダガワシラニハ、ニャルラトホテプ、ソノ呪イガアル! イデヨ! 這イヨル混沌!!」
邪悪が、その巨大な手に釣り合わないスマホを取り出して操作すると、そこからゆる邪神──とは、もはや呼べない、グロテスクなものが現れた。
ネジくれた頭部、かぎづめのような両手、長い尻尾、ゴム質の肌、煮え立つ混沌、咆哮するバケモノ。
巨大なそれが、目もないというのに、ぼくらを威圧的に睨みつける。
「む……癪に障る言い方だけど、確かにそうだわ。あたしはニャルさまを呼べない」
自分が窮地にいることなど、みじんも感じさせない様子で。
彼女はさっそうと、言い放つ。
泰然とスマホを操作し、淡々とニャルさまが呼び出せないことを確認しても、その余裕はみじんも揺るがない。
ニャルさまを呼び出せない理由は明白だ。
ここは滅んだ世界。
アバターではなく、邪神本体が眠る場所だ。
ゆえにここでは、普通のゆる邪神など呼び出すことは叶わない。
そうなれば、バトルする方法は、たった一つだ。
「六花ちゃん」
「なに? 逃げようって提案なら、ノーセンキューよ?」
「ガチャを回して」
「え?」
「ガチャを、回すんだよ。そうすれば、今の六花ちゃんに、もっともふさわしいゆる邪神が、力を貸してくれるはずだから」
ここは終わりつくしている。
ゆえに、すべての因果数率が揃っている。
混沌たるニャルラトホテップがいる。
銀の鍵と夢路の門により導かれたヨグ=ソトースがある。
幸運にも、ノーデンスの分御霊を手に入れることもできた。
クトゥルフたちの願いも、また集っている。
だから、彼女ならば呼べるはずなのだ。
出門部院六花なら──そのゆる邪神を。
「……わかったわ。どうせ、それ以外に方法なんてないもんね。任せなさい! 一発大召喚で、大当たりをたたき出してやるわよ!」
「すごく、期待してる」
盛り上がり始めて彼女が、スマホに手をかけるのを見届けて。
ぼくは、一歩後ろに下がった。
そのまま、ステージの端まで歩く。
「…………」
たとえば、彼女は疑問に思わなかったのだろうか?
幼馴染の名を、今日まで知らなかったことを。
ぼくの家が、彼女にしか自由に行き来できなかったことを。
疑問にさえ、思わなかったのだろうか。
自分が小学五年生──わずか11歳でもあるにもかかわらず、めきめきと、日に日にその知性を増していったことを。
旧い知識を、勝手に知っていることを。
一度も疑わなかったのだろうか。
ぼくが、彼女の味方でいるということの意味を。
カミサマは、死なないなどという幻想を。
「六花ちゃん」
その名を呼ぶ。
精一杯の、感情と思いを込めて。まだ手に残る、熱をしのんで。
六花とは、雪の結晶の別名だ。
水より出でる、美しき花の名だ。
旧神も、邪神も、終わりの日に、平和を願った。
その象徴として──彼女は生まれたのだ。
すべてのものに望まれて、彼女はこの世に、産まれ落ちたのである。
ぼくは、きっといつかこうなるのだろうと思っていた。
理解できないまま。
理解しないまま。
ただ、くーちゃんに──旧き神の王──クトゥルフと同じ姿を持つ、クタニドに、神判を仰ぎ、問い続けてきた。
ぼくを責めるか。
ぼくを罰するか。
ぼくを、食べてしまうかと。
彼の答えは、すべて否だった。
だから──
「……きっと、あの日きみが願った推しキャラでは、ないと思うけど」
どうか、それは我慢してほしい。
舞台から見下ろすすべては、いつか、這いよる混沌が現れたとき同然の、どこまでも続く永劫の奈落。
ここはブラックホールの真ん中のようなものだ。
飛び降りれば、即座に因果にまで分解され、消滅する。
「見てなさい! スーパーゲーマーの実力を! 最高の神引きってやつを見せてあげるわ……!」
彼女が ── ぼくは。
スマホに ── 奈落へと。
触れる ── 踏み出した。
お札が光る。
──星辰は今、正しき位置を指し示す。
びりびりと音を立てて、お札が砕け散る。
──旧き神の印は、盟約をもって破却された。
稲光みたいなエフェクトがちかちかと瞬いて、とつぜん画面が真っ黒になった。
──【混沌】【窮極の虚空】【暗澹たる螺旋状の渦動】──
次の瞬間、虹色の光が瞬いて──
──飢えて齧り続けるは、敢えてその名を口にするものとてなき、果てしなき白痴の魔王──
「大・召・喚!!」
そして──
「──ぼくは、安らかなる居場所を守るもの。六花に連なる天の星──
「バカナ!?」
バケモノが吠えた。
そうだ、アザトースは、くーちゃんの召還には実装されていない。
ありえべかざる可能性だ。
だから──ぼくが来たのである。
あのとき、這いよる混沌がそうしたよう。
自ら奈落へと落ちて、因子にまで分解され──再召喚されたのだ!
二枚貝の鎧をまとい、無数の触腕をマントのごとく翻す、翡翠色の瞳の神性。
アザトースの──世界で唯一、理性をもった化身たる──この
「六花ちゃん」
「────」
彼女は茫然としている。
一度背後を振り向いて、ぼくの不在を確認して。
そして、この姿のぼくを見て。
彼女は、ひどく泣き出しそうな顔になった。
でも、違うよ?
ジーとしててもドーにもならない。そういったのは君だ。
そして、悪魔と相乗りする勇気があるかと問うたのも君だ。
だから、ね?
「さあ、出門部院六花!」
「──ええッ!!」
彼女は、激情を押し殺し、頷いて見せた。
その美しい瞳からなにも零れ落とさないように、君は天を仰ぎ。
そして、両手を突き上げ、こう叫ぶのだ。
「ここからは!」
「あたしたちの、ステージだッ!!!!」
平和を賭した、最終決戦の幕が、いまあがる──
Re:NEXT ROLL ── 色彩をくれたひと
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