Re:第十三回転 ぼくの名は

「──なんのことか、わかりません」


 ほんのわずかに言葉に迷ったすえ、ぼくはありのままを答えた。

 理解しない。

 理解できない。

 それが、ぼくに許されたスタンスだ。

 あるべきものを、あるがままに、あいまいなまま受け入れる。

 ぼくは、そんなことしかできない。

 だというのに、


『そんなことはないはずよ。それが約定だもの。私は覚えているわ。あの下劣な太鼓と、か細いフルートの中で交わした願いを、祈りを。私は確かに聞いたのよ。いまさら、それを反故にはできないわ』

「だとしても、ぼくは全知全能ではないのです。ぼくはただの」

『そう、あなたはただの、残響。投影。模写。名前のない、ありとあらゆる怪物の繭。でも、おかげで娘は、こんなにも表情豊かになった。こんなにも感情を手に入れた。幸せと、居場所をその手にした。さあ、私を家に入れて頂戴、招いて頂戴。娘に、六花にいまこそ、話さなきゃいけないことが──』

「──貸して」


 ぼくの手の中からスマホが消える。

 視線だけ向ければ、スマホを奪い取った六花ちゃんの姿が目に入った。

 彼女はひどく冷めた表情で、スマホを耳に当てると、一言、


「こいつは、あたしの友達よ」


 そういって、通話を切ってしまった。

 静謐な冬の空気のような沈黙が、場に流れる。


「くー?」


 ……うん。そうだね、くーちゃん。

 どうして多くのものは、自分から夢や世界を、壊したがるんだろうね。

 ぼくには、とてもわからない。


「くーちゃん、ぼくを食べる?」

「くー……くー!」


 首を横に振るくーちゃん。

 ぼくは頷く。

 それからゆっくりと。

 ぼくは、六花ちゃんを見上げた。


「六花ちゃんは、ぼくを誰だと思う?」

「あんたは、あんたよ。ほかの誰かじゃない。それ以上でも、それ以下でもない」


 タナトスさんは言った。

 それ以上でもそれ以下でもないという言葉は、矛盾していると。

 たぶんその矛盾が、ぼくを人間として、彼女の友達として、いまの世界に繋ぎとめているのだろう。


「六花ちゃん、水母おばさんがね、話したいことがあるって」

「いやよ。ママと話したい気分じゃないもの」

「そう。じゃあ、くーちゃんと遊ぶ?」

「ねぇ、違うの。ちがうのよ。あたしはね、あんたと遊びに来たの」


 どこか精彩を欠いていた彼女の瞳に、綺羅星のような輝きがともる。

 その長い髪が、うねるように踊る。

 彼女はまっすぐに、愚直さの見本のような、らしからぬ口調で、ぼくに告げる。


「あたしは、あんたといるのが楽しいの。あんたと毎日だべってるのが、無駄に時間を過ごすのが、それが一番好きなの!」

「────」

「ねぇ、お願いよ。一緒に、出掛けましょう?」


 彼女は言った。


「駅前のたい焼き屋さん、また行くのもいいわ。マスターガーチャー、訪ねたらきっと歓迎してくれる。礼坂おばさん、たぶんお金持ちよ。郁太・T、あのひととはもっとお話しがしてみたい」


 どこでもいいわと、彼女は言う。

 どこかに行きたいと彼女は言う。


「あんたと、一緒に」


 まるで急展開。

 まるで打ち切り前の漫画みたい。

 でも、ぼくは納得していた。


 あの時もそうだった。

 〝彼女〟もそうだった。

 だから。


 世界は/反転したのだから。


「ッ」


 六花ちゃんが身構えた。

 玄関が、激しくノックされている。


「十回ノックする」

「なによ、それ」

「おまじない」

「なんの?」


 ──六花ちゃんが、犯人にならないための。


「六花ちゃん」

「なによ?」

「ぼくの名前、いえる?」

「当たり前じゃない! あんたの名前は──」


 なにかを言いかけて、彼女は戸惑った表情になった。

 そして驚きと、悲しみと、恐怖に支配されたように、その可愛らしい顔を歪める。

 その可憐な口唇が震え、だけれど、彼女が望む言葉は出てこなかった。

 ぼくは、小さく首を振る。


「じゃあ、行こうか」


 ぼくは言った。

 彼女は目を丸くする。

 ぼくは構わず、くーちゃんを抱え上げて、胸に抱いた。

 それから。

 精一杯の思いで、彼女の手を取って。

 こう、答えた。


「どこか、遠くへ。目が覚めるような場所へ──」


 次の瞬間、窓が激しくたたかれた。

 はじかれたように、六花ちゃんがそちらを向く。


「いやぁ、今度こそ間に合ったようだネ! 少年ボーイ、捨て鉢になるには、まだ早いゾ!」


 金色の瞳。

 青い髪。

 褐色の肌。

 銀の髪。

 ──全裸。


 タナトスさんが、いつもどおりのアクが強い笑顔で、そこにいた。


「君に見せるべき夢は、まだ終わっていないのだヨ!」





 Re:NEXT ROLL ── おいしいシチューの作り方

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