夢路にて、拓け扉

Re:第十六回転 繋いだ手は放さないから

「────」


 誰かの、とても懐かしい声を聞いたような気がして、ぼくは目を開けた。

 ぺチリ、ぺチリと、頬に粘性の高いゴムのような触感が、何度も当たる。


「くー!」

「くーちゃん」

「くー、くー!」


 どうやら、くーちゃんがぼくを起こしてくれていたらしい。

 かわいい。


「ここは?」


 起き上がろうと、地面に手をつく。

 すると、しゃらりと指先が滑った。

 見遣れば白い、途方もなく白くて粒の小さな砂が、見渡す限りの一面に広がっていた。

 砂浜、だろうか。


「くーちゃん、ここはどこだろう」

「ここは、夢路の門の内側──銀の鍵によって開かれた、星とそれ以外が、夢と交錯する場所よ」


 懐かしい声音。

 聞き覚えのある声音。

 ぼくは、ゆっくりと振り返る。

 ほんのついさっきまで、砂しかなかったその場所に、どこまでも広がる海が、存在していた。

 黒々とした、なにもかもを内包する、母なる海だ。

 その波打ち際に、彼女は立っていた。

 長い濃緑食の髪に、巫女のような奇妙な衣装。

 その背中には、黒いマフラーが二条、垂れている。


「久しぶりね、創造神さん?」


 彼女は。

 六花ちゃんによく似た、彼女が大人びたようなその女性は。

 ぼくは、またそう呼んだのだった。


「なんのことかわかりません。あなたとぼくは初対面です」

「この姿なら、ね。そしてあなたの、その魂も」

「ここはどこですか?」

「説明しても理解できないんじゃないかしら? その位階にまで、あなたは身をやつしている」

「わかりやすくお願いします」

「かつて全知全能盲目暗愚だった神様が、沢山の争いに憂いて、みんなが仲良くできる世界を作ったの。すべてを毀し、すべてをつなぎ、世界を巡り、その眼はなにを見る?」

「質問に疑問形で返すの、やめて下さい」


 そして理解した。

 これだけは、わかった。

 この特徴的な話し方。このひと、六花ちゃんのお母さんだ。


「そう、あたしは六花の母親。出門部院水母」

「水母さん、初めまして」

「ドーモ、造物主=サン。ゴッドスレイヤーです」

「あなたは、神を殺す刃でも、猛毒でもない」


 そんなことは、いくらぼくでも知っている。

 だってこのひとは、六花ちゃんのお母さんなのだから。

 そう口にすると、彼女はとても困ったように、あいまいな笑みを浮かべて見せた。


「あっちの世界は、本当に平和なのね……涙が出ちゃう、女の子だもん」

「え?」

「んー? いまの、え? は、ドゥーユー意味かしら?」


 おお、ゴウランガ。

 髪がうねっている。

 間違いない、これは親子だ。

 そして、若干だけど、この人のほうが、怒りのゲージがたまりやすい。


「さて、時間もないから、単刀直入に言うわね、創造神にして造物主」

「時間がないということなので、尋ねるのは自重します」

「よろしい。かつての世界は一度滅んだ。あたしと、そこのゆる邪神本体との戦争──そしてそれに触発された、あらゆる神々の戦い神意大戰において、生物は死に絶え、時空すらも破壊されたわ」


 ぼくは足元のくーちゃんを見る。

 くーちゃんは普段通り触腕を波打たせているだけだった。


「あたしたちは大いにそれを悔いた。だって、神様だったから。神様は、自分を頼ってくれるものがいなくなれば、存在できないのだもの。例外は三つ。そもそも神ではないニャルラトホテプと、この世の万象・時空・過去未来そのものであるヨグ=ソトース。そして、すべての神が崇める神、アザトースだけだった」


 ニャルラトホテップ。

 這いよる混沌。

 それは、そもそも神ではないのだと、彼女は語る。

 あれは、悪意の塊でしかないのだと。


「むしろ、世界が滅ぶことを望んでいたでしょうね。世界を失って、あたしたちはようやくその重要性に気が付いた。それに、そのときあたしは、すでに身重だったの。だから──願った」


 彼女たちが願った世界は、平和を体現するものだった。


「暴力的な争いなんかなくて、くだらないことで笑いあえて、狂っていた存在ですら、涙を流さずに済む場所を、祈り、願った。そして、あの世界が生まれた。あの世界を維持するための条件は多かったけれど」

「例えば?」

「世界を維持するためには、それが楽しい夢でなくてはいけなかったの。造物主の見る夢が世界よ。だから、楽しくないといけない」

「水母さん?」

「……まだ大丈夫。まだ正常よ。すべての邪神──支配者が支配することを放棄し、信じる者たちの思いを平等に分け合うことで存続する。それが一極化すれば滅ぶから、管理する者が必要で、ヨグ=ソトースはそれを買って出た。一度崩壊した世界に、ゲームという形の術式を流出させることで、大規模な魔術を発動したのよ」


 わからない、よくわからない。

 そうなれば、タナトスさんが、その、ヨグなんとかというものになってしまうのだろうか?


「いいえ。彼女は端末の端末よ。だからヨグ=ソトース自体を認識できないし、自分が作ったゲームが世界に溢れ出してしまった──という時点からしか、物事を観測できていない」

「もうちょっと、わかりやすく」

「世界は5秒前にスパゲッティーモンスターが作った」

「理解しました」


 それならそうと、早く言ってくれればいいのに。

 ぼくがため息をつくと、彼女はくすりと笑った。


「ただ、やっぱりそんな巨大な魔術には、不備があった。終わってしまった世界の、正気を失った者たちが、そのまま流れ込んでしまったのよ。かつて、ヘンリー・アーミテッジを名乗った正義の徒は、いまやただの狂気のバケモノよ。そこで、あたしは六花に話さなくてはいけないことがあるの」

「六花ちゃんに?」

「ええ、でも、じかに会うのはもう無理ね。見て」


 言われるがまま、視線を上げる。

 彼女が指さした先、空の上には、巨大な門があって。

 それはいまにも、閉じそうになっていた。


「こちらとあちらがつながっている時間は、もはやわずかよ。だから、最後にあなたへ、お願いをしたいの」

「聞きます」


 ぼくは、即座に頷いた。

 彼女が微笑む。

 六花ちゃんによく似た、笑顔だった。


「六花はあの世界の祈りと願いそのものよ。あの子が死ねば、すべてがうたかたの夢と化す。それゆえの渦動する破壊。だから──」

「ええ、それは大丈夫です」


 ぼくは、空の門へと向かって右手を伸ばし、言った。


「ぼくらの手は、いまも繋がっていますし──」


 なにより。


『──この手だけは、絶対に離したりしないんだから!!』


 ぼくの手を、誰かが強く引いた。

 ぼくはされるがまま、門へと向かって引っ張られる。

 最後に、背後から水母さんが──


「娘を──クトゥルフの娘、クトゥルヒをよろしく頼むわよ!」


 そう叫んだのを耳にして。

 ぼくの意識は再び、奈落の底へと落ちていったのだった。


 眼を開けたとき、世界はなにも変わっていなかった。

 六花ちゃんの温かなぬくもりは、この手の中にあった。

 なにも変わっていない。

 ぼくをにらみつけ、戸惑い、恐怖する網戸さんたちを除いては。

 ぼくは、告げた。


「退いてください。ここからは、ぼくらの征く道です」




 Re:NEXT ROLL ── 門より出でよ無垢なる怒り 部院に拓け正しき憎悪

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