Re:第十回転 旧神の兆し
世界は静止している。
機材も、ゆる邪神も、観客さえも。
六花ちゃんも、呀太くんも、双子たちも。
ぼくらとくーちゃんだけに、色彩が残留し、動くことができていた。
「いあいあ」
「お腹が減ったの? くーちゃん?」
そういえば、ぼくらは一度、セーブポイントまで戻っている。
であれば、あのとき食べたイタカは無効になるのだろうか。
イタカを除くのならば、いまのところくーちゃんが口にしたのは、たい焼き一つだけだ。
それは、おなかも減るだろう。
「凍れる時の中で、誰かと口を利くのは久しぶりだ」
マスターガーチャーが、悠然とこちらに歩み寄りながら、そういった。
その傍らには、サンドロ・ボッティチェッリの〝ビーナスの誕生〟のように、開いた貝殻の上に腰かける、いかつい表情のゆる邪神の姿があった。
たぶん、それがノーデンス本来の姿なのだろう。
「なるほどコモンゆる邪神か。さては出門部院くん、これを見越して君をメンバーに加えたな。私は既に全力を出し切った。あとはこのフリーズした時間の中で、好きなだけメダルを獲得するつもりだったが──そういうわけにもいかなくなった」
ガーチャーの顔が、険しさを帯びる。
「これは、彼女なりの全力だ。ならば、こちらもまた、限界を超えた全力で相手をしなくては、失礼極まる! そうは思わないか? 私はそう思う!」
「この止まった時間は、どのくらい続くんですか?」
「スキルの効果時間はそう長くない。あと10分ほどだろう。ゆる邪神がゲームより出てくる以前から、そうだったのだから」
……ん?
ゆる邪神が、ゲームから出てくる以前?
「マスターガーチャーさん」
「ガーさんでいい」
「では、ガーさん。ガーさんは、ずっとくーちゃんの召還で遊んでいるんですよね」
「ああ、このゲームに事前登録したころからの付き合いだ」
「初めてノーデンスを使ったとき、この現象は起きましたか?」
「ゲームの中でだけね。本来はこう言う仕様ではないらしいのだが──」
「ウム、それは吾輩が、因数を打ち間違えたからだナ!」
突然、甲高い声が割って入った。
ぼくらが振り向くと、ジャグラーのような、英国紳士のような恰好をした女性が、リングに降り立つところだった。
「郁太・T」
「タナトスさん」
「YES! I AM!」
上機嫌に杖を振り回す彼女の横には蒼い犬──ティンダロスの猟犬が寝そべっている。
「なぜ、私の静止した時の中で動ける、郁太・T?」
「開発者特権……というよりだネ。一度でも時の秘術、時の禁忌に触れたものは、もはや時間静止程度では止まらないのだヨ。つまり、この状態は、とあるハザードを引き起こした元凶を見つけ出すに、最適というわけサ」
もっとも、そちらの目論見は失敗だったのだけど、とタナトスさん。
「むしろ今問題にすべきは、そのクトゥルフだったものについてなんだヨ」
「くーちゃんは、くーちゃんですよ」
それ以上でも、それ以下でもない。
「そう、それ以上でもそれ以下でもない。そのどちらにも含まれず、どちらにも含まれるという矛盾が、奇跡のように〝くーちゃん〟という個体を成立させていル」
「どういう意味だね?」
怪訝そうに訊ねるガーさんに、タナトスさんは、右手と左手、その人差し指を一本ずつ立てて見せた。
「くーちゃんの召還には、いくつものマスクデータが存在すル。ひとつは、すでに知れ渡っている通り、空腹値。そこのくーちゃんのようになる症状だネ。そしてもうひとつ、陣営というものがアル」
「陣営?」
「そう、ゆる邪神たちにも派閥があるのサ。そして、ノーデンスは旧神と呼ばれる、ゆる邪神を許さない神だ──そのアバターだ。よって、すべての邪神に対して、高い制圧性能を有すル。因数……正確には因果数値の設定ミスだが……レベル10であれば、レアリティーなど関係なく、制止させてしまうほどにネ」
「待て、郁太・T! ならばこれをどう説明する!」
ガーさんが、くーちゃんを指さして見せる。
たしかにくーちゃんは、「いあいあ」とつぶやきながら、くるくると踊り、周囲のメダルを砕いて回っている。止まっていない。
でもそれは、くーちゃんがぼくと一緒に、過去に戻ったからで。
「いや、それは違うんだよ少年ボーイ。最初に配布されるクトゥルフ。あれだけはすべてのプレイヤーにとって例外なのサ……いまはまだ、語るべき時ではないけれどネ──っと、これでは吾輩が敵役のようダ、ニシシシ」
彼女は悪そうな顔でおかしそうに笑うと、マスターガーチャーを焚きつけ始めた。
「しかし──君の第三スキルを破った存在は、後にも先にも、たった二名だロウ? さあ、マスター! さあ、ガーチャー! いま全力を出さないで、いつ本気になル!」
「────」
「真剣に遊ぶのだロウ……心かラ! いまがそのときだヨ!」
「ッ」
それまで、どこか弛緩した様子だったガーさんの総身に、突如ちからが入る。
ゆっくりとあげられた顔には、ミラーグラスを通してなお、ありありと戦意がみなぎっているのが見て取れた。
「そうだ……そうだとも、この千載一遇の好機に、私はなにを浮かれていたのか……一年ぶりに、楽しかったぞ、少年! そして──もっと楽しもうではないか!」
そのとき、空気が変わった。
ノーデンスが、輝きをまとう。
「白銀をまとえ、もっと輝け、熱くたぎれ──ノーデンス!」
「アガー!」
稲妻の軌跡を描き、流星となってぼくらへと飛来するノーデンス。
その見えざる手が、くーちゃんへと迫る。
「くーちゃん!」
「くー……! くぅたっ!」
くーちゃんの無数の触腕がすべて直立し、伸長。
見えざる手を、瞬く間に撃ち落としていく。
「こちらが鈍い? いや、あちらが速いのか!」
「アガー!?」
止まらない、くーちゃんは止まらない。
その可愛らしい瞳に、赤い光を灯しながら、縦横無尽に触腕をふるう。
「くぅ……くたぁ……くー!」
「否! 私も座して待つ臆病者ではない! ノーデンス! すべてを解き放て!
不可視の手が、銀色に輝く。
それは千手どころか、万の手に届かんという膨大な質量の暴力。
それでも、くーちゃんは止まらない。
お互いのスタミナがガリガリと削れる。
アンストッパブル!
ノンストップ・ノーリターン!
「く、くくくくく、くく──くーっ、くたー!」
「アガガガガガガガガガ!」
「見事だ! 初期のチュートリアル用ゆる邪神で、ここまで抗ったのは君だけだ、少年! だが、プレイヤーとしての腕前は三流! スキルを使ってこその、SAN値バトルだぞ!」
「スキルは」
そう、スキルは。
「──まあ、彼はとっくに、使っているのだがネ」
タナトスさんが、ぽつりとつぶやいた。
そうだ。
くーちゃんはこれまで、ただ場外で遊んでいたわけじゃない。
踊りながらメダルを砕いて、正確にコンボを集めて──すでに、第三スキルまでを発動できるようにしていたのだ。
CoC Lv0:(変化の可能性)
時が静止する寸前、ぼくはこのスキルを発動していた。
それはたぶん直感だった。
デバッカーになったことで得た経験が、ぼくを突き動かしたのだ。
ジーとしてても、ドーにもならない。
それは、六花ちゃんの言葉だから!
「くーちゃん!」
「くたぁ──!」
ひかりが、集う。
青い、赤い、緑の、黄色い、黒い、白い、無数の、夢幻の、虹色の光が。
闇よりも深く、夜よりも優しく、世界よりも厳しく、夢のように儚い。
その輝きが、くーちゃんの双眼に宿ったとき。
奇跡が──起きた。
「この世の果て、夢の底、澱の中で眠る盲目暗愚なる主よ……この者がなす偉業を、どうか見届け給え! その、正しき献身を! 吾輩が許す。存分にやってしまえ、いまだ目覚めぬものヨ!」
「くぅぅぅ……たぁあー!」
ズバビズビビビビビビビビビビビビビビビビ──!!
ビーム。
刹那、くーちゃんの両目から放たれたのは、なんかよくわからない虹色のビームだった!
わからない、割と本気でここ数日一番理解できない。
そのビームは、次々に銀の腕を薙ぎ払う。
薙ぎ払われた銀の腕は、へにゃーっと力を失い、その場にぐてーとなってしまう。
そして、ビームは、
「あがー!?」
「ノーデンス!?」
貝殻のゆる邪神に、直撃した。
ゆらゆらと揺れたノーデンスは、そのままぽてっと地面に落ちる。
完全に戦意は喪失しており、その表情は涅槃にいるように安らかだった。
「くー!」
唖然としているガーさんのそばに、くーちゃんは静かに這いよると。
ゆっくりと、その触腕を振り上げて。
「いあいあ」
ぱくり。
ノーデンスを、ひとくちで平らげてしまった。
絶句するマスターガーチャー。
大笑いしたのは、タナトスさんだった。
「ゲームセット! アハハハハ! 見事、お見事だチーム・クトゥルフ・ファイターズ! 君たちの、勝利だとも!」
刹那、ノーデンスのスキルが崩壊する。
世界の時間は、再び動き出して──
Re:NEXT ROLL ── 表彰台は、いちばん上にいこう!
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