第36話 ヒメル対ブリジット 窮地

 空振りしてもブリジットは慌てることなく体勢を整えるが、我知らず力んでいたのかその動作に遅滞が生まれる。ヒメルはそれに乗じて銃把を握った左手一本でカノーネを閃かせ、横合いからブリジットに叩きつけた。ブリジットの右側から襲来する巨砲の殴打を彼女は左掌で受け止める。

 が、その衝撃を片手では相殺できず、頭部を守った右手の籠手に砲身が激突。金属質の高鳴りとともにブリジットが吹っ飛んだ。両足を踏みしめたまま大地を滑走し、靴裏が摩擦によって煙を上げた。



 両者の距離が開いたことで砲撃の好機を得たヒメルが敏捷に射撃の構えに移る。その砲口が砲弾を吐き出し、それは瞬時にブリジットまで達した。朱と紅をない交ぜにした爆炎が起こり、黒煙が逆巻く。爆心地から同心円状に広がった衝撃が石畳の一部を剥がしてその下の地面を露出させた。

 薄まった煙のなかで、両掌を前方に差し出した姿勢のブリジットが無事な全身を現した。ブリジットの掌を起点とした淡い光の盾が彼女の身を守ったのだ。ブリジットが間髪を入れずに疾走し、その勢いで辺りの塵芥を払拭する。その所作は何の痛痒も感じさせない。



 それに応じたのは、ゲアハルトの援護。砲口から三発の小型円筒弾ミサイルが射出され、不規則な軌道でブリジットに迫る。それらは着弾対象をブリジットに指定され、彼女を自動追尾するお利口さんである。

 回避が無駄であることを知っているわけでもないだろうが、ブリジットは直進して突っ込んでくるだけだ。自分で攻撃しておきながら、彼女の無謀さにゲアハルトが怯む。

 円筒弾と接触した瞬間、ブリジットは拳を振りかぶっていた。都合三発の爆破が連鎖する。団子状に連なった黒煙を突き破りブリジットは走行を止めない。光の盾を展開しつつ打撃で円筒弾を撃ち落としたのだ。



 自己の負傷を顧みないブリジットの突撃に、ヒメルが総身を粟立たせる。

『あ……、ヒメル、近寄らせるな。肉弾戦じゃ勝ち目がないぞ』

 ヒメルと同様の思いを抱いていたのか、ゲアハルトの忠告も精彩を欠いた。

 ヒメルがさらに砲弾を放つ。今度は直接ブリジットを狙わずにその進路上の地面を標的としていた。高く土塊を天に巻き上げ、ブリジットの前進を阻害する一撃だった。

 円柱の形に上昇した土砂は、一定の高さに達すると浮遊を経て下降する。降り注ぐ茶色の滝に穴を穿って細かい光弾の群れがヒメルに飛来した。

 カノーネを盾にして防ぐも、散弾銃のような広範囲の攻撃によってヒメルの手足に光弾が命中した。小粒の光なので威力は低いだろうが、その痛みはヒメルを萎縮させる。



 土塊の紗幕が全て地に散ると、左拳を突き出したブリジットをヒメルの瞳が捉えた。拳を入れ換えたブリジットの右拳が〈識〉による散弾の光を放出する。それが再びヒメルを打ち据えて足止めさせた。

 ブリジットが跳躍。空中に身を置きながら前転し、回転の慣性を乗せた踵落としをヒメルにぶち込む。それをヒメルは砲身を水平にして頭上に掲げて受け止めた。

「くぅッ!」

 耐えかねたヒメルが思わず声を漏らした。打ち下ろされた踵の圧力によって彼女の両足が石畳にめり込み、その亀裂が幾何学的な文様を走らせる。



 カノーネに接した右踵を支点にしてブリジットが宙に躍り上がる。ヒメルの視界で流麗な金髪が金色の粒子を振りまいて上方に消えた。ヒメルがそれを追って天を仰いだとき、結界である光の膜越しに遥かな空があるだけだった。

 踵落としの反動で跳び上がったブリジットは、反転しながらヒメルの背後に着地している。それに気づいて振り向くヒメルに先んじて、ブリジットが両拳を突き出して〈識〉を発現させる。奔流と化した光の飛礫がヒメルを飲み込んだ。



 たたらを踏んで後退するヒメルに、ブリジットがダメ押しの一発を打つ。渾身の右直拳が生んだ光芒に弾かれ、ヒメルは背中から地に倒れた。数回転して俯せに寝転がったヒメルは苦痛に身を震わせる暇もなく、自ら横に転がってその場を避難する。寸前までヒメルがいた地面を追い縋ったブリジットの拳が打ち砕いた。石の欠片が飛び散り、腕を半ばまで埋め込んだブリジットがヒメルの行方を目線で追う。

 カノーネだけは手放さなかったヒメルが、膝を痙攣させながらも砲身を杖のように支えにして立ち上がる。息が荒いのは体力の消耗を端的に示しているのだろう。



 ブリジットが腰だめに構えた拳に〈識〉の演算を乗せている。強力な攻勢は目に明らかで、ゲアハルトは焦燥の色濃い声を発した。

『まずいぞ。動けるか、ヒメル?』

 ブリジットが正拳突きを打ち、威力の集約された眩い光弾が走った。ヒメルは砲弾で迎え撃つが、両者が接触すると同時に難なく爆風の噴煙を細切れにした光が直進する。

 その光弾がヒメルを直撃し、弾かれたように飛ばされた彼女は、背後にあった建物の壁面を粉砕してその内部に倒れ込んだ。

 塵芥が風に流されて仰向けになったヒメルの周囲に吹き渡った。建造物の破片を胴体と頬に被せたヒメルの横顔は眠っているようだ。



『おい、大丈夫か、ヒメルッ? まさか死んでいないよな!?』

 ゲアハルトの呼びかけに反応したヒメルが薄く目を見開いた。

「その大声が、いい眠気覚ましになったわ……。あー、やられた。痛いわね」

『おお、生きていたか。よかった。どこが痛い』

「頭と……それ以外全部」

 ヒメルが頭を押さえて立ち上がった。

「強いわね、ブリジット。実感では、アーマンド並みかそれ以上だわ」

『俺も驚いている。もう俺が知っているブリジットじゃない。何より恐ろしいのは、あの捨て身の覚悟だ。自分の生命を無視してまでヒメル、お前を殺そうとしている。いったい、何があいつをそこまで駆り立てるんだ』



 ヒメルが外に出ると、ブリジットが腕組みして待ち構えていた。

「遅かったね、〈カノーネの恋人〉。もうちょっと頑丈だと思っていたけど」

「見れば分かるでしょう。か弱いのよ、私って」

 弱々しいながら減らず口を吐いたものの、ヒメルの姿はアウルス夫妻やブリジットとの連戦によって凄愴を極めている。衣服の端々が破れ、そこから露わになった肌には裂傷や打撲が刻まれていた。布地に染み込んだ鮮血が衣装を重く濡らしている。

ブリジットもアーマンドとの戦闘でかなりの手傷を負っているが、ヒメルの有り様を前にすれば目立たないほどのものである。そのブリジットが腕を解いて両脇に垂らした。



「今まで超克したいと思っていた相手がこの程度だったなんてね。残念だわ。でも、あんたを殺さなければ私の気が静まらないの。戦いはもう終わりにするよ」

 横に回り込みながらヒメルが砲弾を二連射し、爆炎がブリジットを包む。だが、それが通用していないことは先ほどの攻防で明らかだ。ブリジットがあっという間に肉迫、彼女の両拳が弾幕となってヒメルに注がれる。



 ブリジットはもはや細かい打撃を放たない。大振りで叩きつけられる左右の拳が、カノーネで防御しているヒメルを圧倒する。砲身越しに伝播した衝撃に翻弄され、ヒメルの肉体が激しく揺さぶられていた。

 下段蹴りから右の直拳に繋げたブリジットの連撃により、ついに疲労の見えざる手がヒメルの足腰に抱きついた。耐えきれずに膝を曲げたヒメルが腰砕けになって後退する。



 ブリジットの鋭い手刀がカノーネの防壁をかいくぐってヒメルの首筋に着弾。鈍い音が折れた鎖骨の悲鳴であるのをヒメルは感じた。続けざまのブリジットの右拳がカノーネを捉え、頼れる相棒はヒメルの手から宙へと投げ出される。

 ヒメルは馬鹿力を所有しておりその身体能力も卓越しているが、格闘術の心得はない。彼女の体術は常にカノーネを持っていることを前提としている。反抗手段のないヒメルが防御の姿勢をとるが、ブリジットから見ればそれは隙だらけだった。



 頭部を狙うと見せかけて軌道を変えた左拳がヒメルの腹部にめり込んだ。柔らかい感触がブリジットの拳に伝わり、呼吸を詰まらせたヒメルが涎を垂らして上体を屈める。すでに満足な構えもとれないヒメルに向けて、ブリジットが会心の笑みを浮かべつつ獰猛に輝く籠手を走らせた。それはまっすぐ軌道上にヒメルの頭部を捉えている。

『ヒメル!!』

 地に横たわったカノーネが無力な叫びを上げた。ゲアハルトの声を頭の片隅で認識し、ヒメルは顔を上げる。

 そのとき、ブリジットの拳がヒメルに打ち込まれた。

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