第14話 アウルス夫妻との戦い

「さあ、お食べなさい」

 アウルス媼の命令に、喜々として狼達は従った。四肢を躍動させてヒメルに食らいつこうと疾走する。その巨体で一瞬のうちに距離を詰め、先に肉迫した一頭が身体全体を使って圧し掛かってきた。

 かろうじてヒメルが横飛びで躱すが、続く二頭目が牙を剥き出して突っ込んでくる。

 四方に空間的余裕のないヒメルは、咄嗟にカノーネの砲身を床に垂直に突き立て、その反動を利用して跳び上がりカノーネの上で倒立を決めると、身を捻りながら狼の頭上をやり過ごして着地した。

 一頭目は素早く身を翻し、二頭目は突進の慣性を殺し切れずに壁に激突、痛そうに首を振ると憎しみのこもった目でヒメルを捉えた。



「何なのよ、あれ。狼にしても、普通じゃない」

『あの婆さんは、〈識〉で獣類を強化する獣科識使なんだろう。年季が入っているだけあって、結構な手腕を持っているな』

 ゲアハルトの冷静さに対する呪詛の声を上げようとしたヒメルだったが、その間を与えられずに、床を転げまわって狼の猛攻をしのぐことに専念する。

 ヒメルは面と向かって振るわれた爪を避けると、好機と見てカノーネで狼の横面を殴りつける。そいつが悲鳴を発して倒れた隙を突いて、別の狼に相対した。

 もう一頭は全身の筋力を駆使してヒメルに跳びかかってきた。その牙が彼女に届く寸前、横にしたカノーネを狼の口に押し込んで閉じられなくすることでヒメルは一撃を防ぐ。

「躾がなってないわね。この犬っころは……!」

 ヒメルは自ら後ろへ倒れ込みながら、足で狼の腹を蹴り上げる。巴投げの要領で投げ飛ばされた狼が背中を強打し、苦しげな呻きを漏らした。

 ヒメルが立ち上がるのに先んじて、狼が反撃の咆哮を上げて跳躍した。



『ヒメル!』

 ゲアハルトの声に応じ、ヒメルが照準を合わせて砲弾を射出する。一条の赤い線が狼の無防備な腹部にめり込み、そのまま勢いを減じずに巨体がガラス窓を打ち破って屋外に飛び出した。細かな欠片が照明を浴びて光の粒子となり、狼が吹き飛んだ軌跡を彩っていた。

 空中に投げ出された狼の腹で閃光が炸裂。爆発光が夜空を一瞬だけ白昼の明るさに染め上げる。爆破の衝撃で粉砕した窓の砕片が室内に降り注ぎ、四散した狼の肉片が石製の床に紅の色彩を散らした。

 窓が割れて換気のよくなった外気を伝って警察のどよめきが聞こえる。デダラスが部下に指示を飛ばし、顔に飛び散った鮮血に毒づいたのを通信も介さずにヒメルは聞いた。



 ヒメルが振り向くと、兄弟を失った残りの一頭が憎悪を瞳に滾らせて襲いかかってくる。大きく開かれた口がヒメルの上半身を狙うが、牙が捉えたのはヒメルの肌ではなく無機質な鉄製のそれだった。

 カノーネを口腔に押し込まれた狼は首を振って強引にヒメルを振り払おうとする。ヒメルも負けじと、ともすれば浮き上がりそうな両足を踏ん張って耐えている。左右に引きずられるヒメルの靴が高い擦過音を鳴らした。

 勝負の趨勢を決める膂力において、ヒメルが辛くも打ち勝った。ヒメルが腕を捻ると鈍い音が響き、頸骨の稼働限界を超えた角度に狼の首が回転する。狼の胴体が力を失い、続いて頭部が地に落ちた。狼の口から涎が広がり、異常に長い舌がはみ出している



「あれまあ。酷いことをなさる」

「どっちがよ!」

 嘆くようなアウルス媼の声に、ヒメルが抗弁する。

「爺さんやぁ。私の可愛い子がやられてしもうた」

「婆さんやぁ。そんなら、わしの子の糧にしようか」

 今度はアウルス翁が手を上げ、薬指の指環が光を帯びる。

 ヒメルの前後の床が割れ、そこから緑色のつるが生えてきた。つたは幾重にも絡まって垂直に伸び、頂上で大輪の花を咲かせる。その花弁の中央にあるのは黒い空洞と、その周縁に隙間なく配されたのこぎりのような棘だった。

『ヒメル、あれは食肉植物だろう。爺さんの方は、植物に品種改良を施す植科識使だ。草花だからといって甘く見るなよ』



 ヒメルは黙って前後の植物を見比べた。急速な成長を遂げたものの、その花はそれ以降動く気配を感じさせない。戸惑ったヒメルが横に移動しようと足を踏み出した瞬間、反応を許さない速度で花がヒメルの身に食いついた。

 苦痛を噛み殺したヒメルの口から激しい息が漏れる。喚き立てる痛覚を無視して、ヒメルは肩に棘を立てる後ろの花に手を伸ばし、その茎の部分を握り潰した。茎と花弁を切断された花はヒメルから離れようとしなかったが、手で払われると呆気なく床に転がる。

 前方の花はヒメルの腹部を挟み込んでいた。ヒメルはその茎を掴んで力任せに引っ張り、彼女の腕力に負けた花の鋭い歯が離れて石製の床から生えた根が引きずり出される。

 ヒメルが忌まわしげに花を床に叩きつけると、その花は動きを止めて沈黙した。

「隠居後の盆栽いじりにしては、なかなか手が込んでいること」

 ヒメルがアウルス翁に吐き捨てる。

「あれまあ。手塩にかけた我が子が哀れじゃのう」

 アウルス夫妻はさすがに動揺したのか、視線をヒメルに注いだまま瞠目している。それでも手札はまだ残っているらしく、今度は夫婦揃って指環で演算を開始した。

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