第13話 〈青狼屋〉の面々
「ハハッ、どんな鼠野郎が忍び込んだかと思ったら、子猫ちゃんとは予想外だ。ちょっと色気が足りないが、捨てたものじゃないな」
鋭利な刃でも銃弾でもなく最初にヒメルに浴びせられたのは、その笑声だった。
「ま」
『莫迦、本気にするな。冗談だ』
「ちっきしょー……」
ヒメルは落胆を視線に乗せて、目前の男を見やった。
派手な橙色の髪をした十人並み以上の男で、茶色の瞳と泣き黒子の相性が印象的だ。カノーネを見ればヒメルが戦科識使だと知れるはずなのに、緊張した色は認められない。
その佇まいからヒメルは直感した。あれが、アーマンドだろう。
彼の隣には、椅子に座らされた男がいた。俯いているが、その表情を想像するのは難しくない。死に対する恐怖か、みじめな哀願の名残が顔に貼りついているはずだ。男のこめかみから頬に血流が伝わり、そこから垂れた深紅の雫が衣服の布地に染みている。
「それ、〈四宝組〉の組長ね」
「そうだ。お嬢ちゃんは奴らに雇われたのか」
「まさか。別口よ」
アーマンドは頷いて、窓を一瞥した。彼女が警察の差し金であることを察したのだ。
「この建物は警察に包囲されているわ。逃げられないわよ」
「警官を全滅させたら逃げ道なんて必要ないだろう」
「そんなことをさせないために私がいるの。抵抗するなんて、賢い判断じゃないわね」
「俺が賢くないとすれば、お嬢ちゃんは、どうする?」
目線をヒメルに据えると、アーマンドは試すように問いかけた。決して威圧しているわけではないが、口元に笑みの片鱗を浮かべるだけで、他者に限界まで絞られた引き金を連想させる男だった。
『ゲアハルト、どうするの』
通信でヒメルはゲアハルトに意見を求める。答えたゲアハルトの声は、相手がアーマンドであることの不安からか平静より硬くなっていた。
『やるしかない。警察に突入を要請するから、お前は時間を稼げばいい』
『待ってよ。警官がアーマンドと戦えるの』
『多少の犠牲は止むを得ない。相手が悪すぎる』
それを聞いたヒメルが強く歯を噛み締める。ゲアハルトが薄情なのではない。彼はヒメルの身を案じているため、他人に血を流させようとしている。
『私があいつを弱らせる。そしたら警官隊を呼んで』
『この室内じゃ砲弾なんて使えないんだぞ。一方的にお前の分が悪い。意地になるんじゃない、ヒメル!』
ヒメルが素早くカノーネを抜き、左手で銃把を握って砲身を右肩で支えるとそれに右手を添えるといういつもの構えに移った。彼女の瞳は一直線にアーマンドに向けられている。
「そうね。あんたと遊んでみたいわ」
アーマンドが楽しげに口笛を鳴らした。
『くそッ! デダラス、これから交戦状態に入る。……止めろ、ヒメルが待てと言っている。アーマンドがいるから被害を抑えたいんだよ、ヒメルは。上司なんぞ黙らせておけ』
脳内でゲアハルトが苛立った声を上げている。ヒメルは通信にも乗らない心の奥で、我がままを許してくれる彼に礼を言った。
「いい根性だな、お嬢ちゃん。気にいったよ。だが、俺は前戯が面倒な
そう言ってアーマンドは脇に退いた。
彼と椅子の背後から小柄な二つの人影が現れる。容貌の似通った老爺と老婆だった。細い目が皺に馴染んで、如何にも親切そうな老人の夫婦である。その表情は、純粋なまでに穏やかなものだ。この場には、似つかわしくないほどに。
「南部のスズラン同盟では知らぬ者はいない。〈人食い〉アウルス夫妻と言えば、こっちでも有名な殺人鬼だ。人格破綻者が夫婦になった、いい見本だな。殺した人数だけなら、俺よりも遥かに多い。どうだい、濡れるだろ?」
アーマンドの声を割って、老夫婦が進み出てきた。優しげな微笑にも見える面差しの深奥は、年齢によって刻まれた皺に埋もれて判別できない。外見で性別を判断できる材料はその服装のみである。夫と思われる片割れが先に口を開く。
「婆さんやぁ。今日は、活きのいい肉が己から出てくるなぁ」
嗄れた
「爺さんやぁ。
ヒメルはいつでも迎撃できる体勢をとった。二人の強さは予測できない。それ以上に、危険性が測り知れなかった。
『ヒメル、例のアウルス夫妻だ。分かってるか』
『分かってなきゃ、こんなに警戒しないわよ』
『奴らについての情報は皆無だ。まずは先方の出方を見てだな……』
『分かってるってば』
先ほどヒメルが我を通したことによる屈託があるのか、些か統率を欠く二人とは対蹠的に、アウルス夫妻は鏡映しのように正確な挙動でヒメルを見つめた。
「婆さんやぁ。若い
「爺さんやぁ。さて、どの子に食わしてやろうかいねえ」
「ほれ。育ち盛りの兄弟がおったじゃろう。あの子らがいいのお」
「そうですねえ。いい栄養になりますねえ」
そう言うと、アウルス媼が枯れ枝のような腕を突き出した。その左手の薬指にはめられた
空気中を伝播した衝撃がヒメルの黒髪をはためかせる。動じることなく正面を見据える彼女の瞳が、新たに現れた巨躯を映していた。
脈絡もなく老女を挟み込んで出現したのは、体長二メートルはあろうかという巨大な二頭の狼だった。忠犬のようにお座りをしているが、その両目はヒメルを獲物と定めて獰猛な光を放っている。開かれた口腔からは獣臭い呼気が吐かれ、汚れた犬歯が覗いていた。
『そうか、こいつら自分では戦わない召喚専門の識使か』
〈識〉によって情報を操作すれば、それに合わせた実体が現実世界に顕現する。それは生物でも変わりない。つまり、元から存在する生物の情報を入力することで、空間的に離れた存在でも任意の場所に召喚することができるのだ。
「さあ、お食べなさい」
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