第12話 ヒメルのお仕事
「ここだ」
デダラスが運転する警察車両に乗ったヒメルが到着したのは、街中にある三階建ての建物の前だった。車を止めたデダラスが外に出ると、ヒメルもそれに続いた。建物の周囲は警官が配備されており、その物々しい雰囲気に野次馬が溢れ返っていた。野次馬とそれを制止する警官で、場は喧騒に満ちている。
ここはマイノングの下部組織が所有し一見すると廃墟のようだが、ときどき人の出入りがある。どうやら表沙汰にできない仕事に使う拠点の一つらしいと説明されていた。
道すがらヒメルは、デダラスからおおよその経緯は聞いている。
今夜、〈四宝組〉の事務所に男が押し入り、そこにいた〈四宝組〉組長を誘拐した。組長を守ろうと立ちはだかった組員四名が死亡しており、その実行犯はアーマンドと思われる。
急報を受けて事務所に集合した組員達に〈青狼屋〉から連絡があった。組長を返してほしくば来いと、建物の位置を知らせて電話は切れた。公然と宣戦布告してきたのである。
組長を攫われて挑発までされた組員は、いきりたって現場に向かった。武装した三十名のなかには識使も含まれ、大きな抗争となる可能性が高い。
デダラスら警察は、事務所の留守をしていた組員を締め上げて、ようやくこの建物を特定したのだそうだ。身内の恥となる事件だけに、簡単には組員も口を割ろうとせず、すでに事件から一時間が経過している。
「静かじゃない」
デダラスに先導されて建物の正面玄関前に立ったヒメルが呟いた。
ヒメルの言葉通り、争うような声どころか物音一つ漏れてくることはない。また、建物の照明は落とされていて暗闇の他には内部の様子を窺い知ることができなかった。
「今のところはな。もしかしたら、平和的に話し合いでもしているのかもしれん。刑事の勘が、それはないと言っているが」
「素晴らしい勘だな。だが、刑事じゃない俺にでも、そんなこた分かるよ」
ゲアハルトに皮肉られると、デダラスは笑みを零した。それは一瞬だけで、入れ替わった刑事の表情はしかつめらしいものだった。
「さて、依頼だ。お前達には警官隊より先に建物内に潜入し、内部を探索してもらいたい。なかの状況は逐一報告してくれ。もし戦闘が行われているようであれば、直ちに制圧。俺達もすぐに突入する」
「了解。それじゃあ、早速行こっかしら」
「気をつけろよ」
ヒメルが歩を進めると、デダラスは後退して車両の後ろに身を隠す。
入口の扉を押してみると、それは抵抗なく開いた。音を出さないようにヒメルは慎重に扉を開け、その隙間に身を滑り入れる。
屋内は広くて遮蔽物となるような内装品はなかった。本来なら事務所や貸店舗として利用される作りをしている。光源は一切なく、外から警官隊が照らす光がなければ視界は利かないだろう。ヒメルの鼻孔に埃の匂いが忍び寄ってくる。
ヒメルは一階を見渡すと、不用心とも思える大胆さで歩き始めた。邪魔になるのでカノーネを構えてはいないが、左手を砲身に当てて一挙動で抜けるようにしている。罠や索敵はゲアハルトに一任しているし、ヒメルは隠密行動が不得手でもあった。
『一階は異常無さそうだな。デダラスへの報告は俺がするから、お前は二階に行くんだ』
ヒメルは階段を上がり、踊り場で足を止めた。
『血の匂いがする』
『血だと』
ヒメルは首を縦に振ると、手で顔の下を覆った。ゲアハルトは嗅覚がないため匂いを感じないが、ヒメルには耐えがたいほど強烈らしい。
踊り場を折り返して上り、次の踊り場が二階の入口となっている。ヒメルが壁に身を寄せて部屋の様子を窺う。
さらに血臭は強まり、それに臓物の生臭さが加わっている。外から照明の残滓が届いても、それは部屋全体の闇を和らげる効果しかなかった。
ヒメルの目には、床に散乱する無数の物体の輪郭しか映らない。人間にも見える影が幾つも転がっていて、足の踏み場もないほど小片が散らばっていた。
『これって、死体よね』
『死体、だろうな。……怒鳴るな、デダラス。お前に言ったんじゃない。何、誰のだと? 数が多すぎて誰の死体か特定できないんだよ』
窓の外からデダラスの驚愕の叫びが聞こえた。
『やれやれ、通信の意味がないな。ヒメル、恐らく〈四宝組〉の組員だろうが、一応調べてみてくれるか』
ヒメルは肉片を踏まないように注意を払って室内に入る。手近な一体を見定めるために不安定な姿勢で屈み込み、その人物の服装に目を凝らした。
それを見計らったかの如く、突如として屋内の照明に光が点った。
視界いっぱいが全身を引き裂かれた死体で埋め尽くされ、ヒメルは驚きのあまり悲鳴を発しざま身を引く。姿勢を崩して尻餅を着き、その拍子に内蔵まで剥き出しにした隣の死体の腹部に腕を手首まで突っ込んだ。
「何よ、いきなり、どうなってんの! きゃー、腸が絡んで……! うえぇー」
喚くヒメルをゲアハルトが制した。
『落ち着け、ヒメル。こいつら、やはり〈四宝組〉の組員だ。血液の固まり具合から見て、全滅してかなり経っているだろうな。デダラス、聞いているか。死んでいるのは〈四宝組〉の連中だ。警官隊は待機させろ。まだ三階が残っている』
ヒメルが気味悪そうに死体の服で手に付着した血液を拭いている。ちょっと涙目だ。
『何やっている。上に敵がいるかもしれないんだぞ、油断するな。明かりを点けたのは、俺達が侵入したことに気づいているという脅しだ。どういうつもりか知らんが、奴らは誘いをかけているようだ』
「受けて立つわよ。こんな恥かかされたとあっちゃ、黙ってられないわ」
ヒメルが憤然と立ち上がり、目尻の涙を袖で拭った。
『その意気だ。招待されたからには、断るなんて不粋なことはできないからな。相手のもてなしが悪ければ、それなりの対応をすればいい』
ヒメルは上階を目指した。階段の仄かな明かりのなかで踊り場から振り仰ぐと、三階の室内から光が注がれている。焦ることなく階段を上り、ヒメルは堂々と部屋に入った。
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