第30話 ブリジット対アーマンド

「部下を犬死にさせて心が痛まない?」

「お前が避けなきゃ、犬死にではなかったんだが。哀れなものだ」

 悪びれずにアーマンドが言う。不意にいつもの砕けた表情を打ち消し真顔になった彼は、その顔つきに相応しい声音を放つ。

「さっきも言ったが、俺は本当にお前のことを気に入っていた。残念だと言ったのは、俺がお前を殺すことになったからじゃない、お前が今まで俺を殺そうとしなかったからだ」



 その意図が掴めないブリジットは、防御を固めたまま話の続きを待った。

「何のために、お前が狙われていることを仄めかしてやったと思う。お前が万全の状態で俺と戦えるようにするためだ。寝入ったところをバンッじゃ、味気ないからな。心構えのために充分な時間をやったつもりだった。それが……」

 アーマンドの声に失望の調律が乗る。

「俺と戦り合う程度の気骨を持っていると思っていたが、お前は失踪した。完全に俺の見込み違いだ。これだけ落胆がっかりしたのは、久しぶりだよ」

 如何にもブリジットに落ち度があるような語調だが、身勝手なこと甚だしいとブリジットは感じる。殺し合いたいのはそちらの都合であり、彼女としては隠れるに決まっている。



 アーマンドの瞳がブリジットを捉える。常ならば極限まで引き金を絞られた拳銃を想起させるその瞳は、失意に揺れていた。

「お前の考えは分かっているつもりだ。自分より敵の方が強い場合、逃亡を選ぶのは当然だってな。だが、最近その例外を目にしたせいで、期待しすぎた。分かるか、あのときの〈カノーネの恋人〉という女のことだ」

 自分に屈辱の苦杯を舐めさせた女を思い出し、ブリジットの血液が急沸騰する。



「あのヒメルとやらは、どれだけ攻撃されても俺に向かってきた。『傷つく人間を減らす』とかいう題目には失笑するが、最後まで怯まなかったのは称賛ものだ。その点、〈金光のブリジット〉という大仰な二つ名を有するお前ときたら、戦う前から脅えまくりだ」

「精神論に頼るってのは莫迦のすることよ」

「俺もそう思う。実力差を精神論で埋め合わせようと考えるのは、ただの愚か者だ。しかし、同時にな、実力差を埋め合わせられるものは精神力と幸運だけだ。そして、幸運はそれなりの精神を持つ者を選び、気紛れに力を貸す。〈カノーネの恋人〉に精神力はあった。あのときの彼女は運に恵まれなかっただけだろう。ま、満足な精神すら持ち合わせないお前じゃ、幸運は振り向きもしないだろうがな」



 ブリジットが歯を噛み締めて怒りに打ち震える。アーマンドは、ブリジットがあの女よりも下等だと言っているのだ。

 憤激がアーマンドへの恐れを上回った。奔騰した感情の腕に抱きとめられたブリジットが、これまでの躊躇をかなぐり捨ててアーマンドに叫ぶ。

「うるさい! 私をあんな奴と比べるな。私は俊英を謳われた〈金光のブリジット〉だよ!」

 ブリジットが強打を虚空に放つ。その直線状に先ほどとは比較にならない特大の光が射出された。術者が拳に込めた力の強弱によって、光の大きさも変動するのだ。

 地と平行に走る光はアーマンドの目前で霧消する。高位識使のみに許される、瞬時の演算で純粋な情報を相殺し、低級な能力であれば無効化する〈還元〉の力能だった。渾身の一撃は通じなかったが、初めてブリジットがアーマンドに弓引いた瞬間である。



「やるじゃないか。さあ、ブリジット、〈カノーネの恋人〉に勝るという証明をお前の実力で示してくれ」

 アーマンドが銃を連射する。ブリジットが突き出した掌を起点として淡い光が生じ、銃弾の弾道が逸れて後方に流れて行く。これも〈動作知〉の効能であった。

 ブリジットは左手で防壁を展開し、右手で複雑な演算をこなしている。これが〈動作知〉の利点であり、身体の動作だけで力能が発現されるため、演算力を他に回せるのだ。



 演算を終えたブリジットの右直拳により、その拳から複数の光芒が放たれた。さすがに無手で還元することができず、アーマンドが横っ飛びで逃げる。

 続けざまの攻撃を巧みに躱したアーマンドが発砲で反撃に移った。その銃弾が再び阻まれるかと思いきや、非物質の盾を破って銃弾がブリジットの肌に食らいつく。ブリジットが苦鳴を漏らして姿勢を崩した。

「そう簡単に俺の攻撃を防げると思うなよ。こっちも〈二丁拳銃〉の二つ名を背負っているんだぜ。銃の扱いに関しては、後れをとることはない」

 高度な〈識〉によって貫通力を高めた銃弾は、鉄板を難なく穿つ威力である。人体など水風船に等しい。配下の男を貫いたのは、この能力によってであった。



 ブリジットが苦痛を無視し、腕を交差させて疾駆する。嘲笑を浮かべたアーマンドが指を引くと、カチッと空虚な音が響いた。左手を伸ばしかけて、アーマンドが舌打ちする。彼の二つ名に反してアーマンドが使えるのは一丁だけであった。

 右手の〈夜の光〉に弾丸を装填する一瞬裡に、ブリジットは彼の懐に飛び込んでいた。接近戦を本領とするブリジットの手数は、ヒメルのそれを軽く上回る。四肢を効率的に駆動させた拳と蹴りの乱舞がアーマンドを押し包み、彼に不得手な肉弾戦を強要した。



 ブリジットの連打をアーマンドはよく防いだ。左右の直拳から連繋した右鉤打ちと左昇拳を上体のみでかわし、蹴りは器用に受け流す。隙があれば至近においても正確な銃撃で反撃するが、ブリジットもさすがに射線から身体を外して痛手を甘受しない。

 一方的な攻勢であるかに見えたが、ブリジットの方が余裕を失った表情をしていた。彼女の土俵であるのに有効打を与えられていない。アーマンドは遠距離戦の専門家でありつつ、近距離でも高水準の技術を発揮した。

 ブリジットは打撃を放ちながら演算を並行させ、力能を発現させる。演算式が虚空に溶け込むと、彼女の筋力が増強されて神経伝達速度が向上した。



 一時的に身体能力の飛躍したブリジットをさすがに持て余したのか、アーマンドがブリジットの射程内からの離脱を試みる。ブリジットの肉体に幾つもの球状の光が宿った。銃弾の着弾点を指定する彼の技を、ブリジットは知っていた。

 アーマンドが上方に向けて発砲する。垂直に放たれた赤い流星の群れが急角度で軌道を変え、ブリジット目がけて亜音速で殺到。ブリジットは光球の位置から銃弾の動きを予測し、籠手でその部位を防御した。

 両腕を肩まで覆うこの籠手は武具であると同時に、頑強な防具でもある。金色の表面に傷すらつけることなく弾かれた弾丸が床に零れる。



 両腕を交差させているブリジットにアーマンドが銃口を向けた。この体勢なら撃たれても深手を被ることはないが、彼の意図は別にある。

「クソ」

 アーマンドの目的を察したブリジットが口中で呟いた。

 銃声とともに両者の間で空間が爆ぜる。アーマンドが弾丸で衝撃波を生み出したのだ。ブリジットは籠手で防御を固めていたものの、直撃を浴びて後方に吹き飛んだ。アーマンドは衝撃に逆らうことなく自ら跳んで距離を稼ぎ、間合いを確保している。

 ブリジットは空中で巧みに身を捻って片手を地に突き立てると、そこを軸とし体位を整えて着地した。アーマンドはとっくに両足を踏みしめている。



「おー、痛い、痛い。俺も無傷というわけにはいかなかったな」

 アーマンドが首を回して具合を確かめた。彼はそれだけで済んだが、ブリジットには痛撃となった。目立った外傷は見られなくても、衝撃波は体内の器官に損傷を与えている。ブリジットの視界が歪み、食道は胃の内容物を逆流させそうだった。

 ブリジットが血の混じった唾を吐き捨てた。

「やはり本気になれば強いじゃないか、ブリジット。格闘じゃ、ちょっと肝を冷やされた」

「あんたも早撃ちだけが取り柄じゃないようだね。おかげで苦労させられるわ」



 アーマンドの警戒心は増したはずだ。再びブリジットが密着するのを、簡単には許しはしない。その分、勝利から手が遠のいたのはブリジットかと思われた。

「もう、んなっちゃうわ……」

 ブリジットが疲労の糸を幾重にも絡ませた声を押し出す。

「さて、決着をつけるか。まだ、〈カノーネの恋人〉という楽しみが残っていることだし。正直言って、あっちの方が楽しめそうだ」

 何気ない一言だったが、それは銃弾よりもブリジットの心理を傷つける。その理由を、彼女自身は自覚していた。



「止めろ! 私の前でその名を出すな!」

 以前ブリジットが〈カノーネの恋人〉、ヒメルと邂逅したとき、瀕死状態であったヒメルがブリジットを投げ飛ばした。その痛撃それ自体は重要ではない。ブリジットにとって忘れがたいのは、ヒメルに睨まれた瞬間、彼女がヒメルに圧倒されたことである。その狼狽が不覚をとることに繋がったのだ。

 それでは、なぜブリジットは気圧されたのか。アーマンドの言葉にその手がかりがあるように思えた。彼はブリジットとヒメルの差異を、その精神の有りように求めている。

 その精神とやらが、ヒメルのあの目に現れていたのだろうか。あの瞳に込められた光を見たとき、確かにブリジットは臆していた。

 そうだ。あの目が気に食わない。あの瞳を思い出す度に、ブリジットは苛立たせられる。この名状しようのない胸中の熱を冷ますには、あの女を殺すしかないとブリジットは脈絡もなく確信した。



「不思議だな。俺よりもお前の方が〈カノーネの恋人〉に執心しているらしい」

「あの女を殺す役は、私がもらう」

「ほーう。それでは、俺にはどんな役があるのかな」

「死体よ」

 そう言って、ブリジットが跳び退すさる。彼女の眼前で複数の衝撃波が広がり、寸陰の差でブリジットの位置した空間を蹂躙した。

 アーマンドが弾切れを起こし、その間隙に乗じてブリジットが拳を撃ち込んで閃光を放出。意に介することのないアーマンドは、回避の素振りも見せず待ち受けた。

 光弾が還元によって無効化されたかに思われた瞬間、相殺しきれなかった破壊力の余波を全身に浴び、アーマンドがよろける。

「む?」

 演算を誤ったのかと自己を疑うアーマンドが呻いた。初めて彼に動揺の色が浮かぶ。



 好機を捉えたブリジットが矢継ぎ早に繰り出す拳は光の奔流を生み、アーマンドの肉体はそれに飲み込まれる。

 ついにアーマンドの還元を潜り抜けた一発が直撃し、彼は大きく後退した。痛覚よりも驚愕が彼の表情に鮮やかだ。

「俺の演算を超えたのか。ブリジットの奴が……?」



 アーマンドは彼自身が口にした言葉を思い返す。実力差を埋められるのは、精神と幸運だ、という言葉。ブリジットの内面に何らかの変化が生じたとしよう。そうであるとして、彼女に幸運は味方するだろうか。

 埒もないことだ、という風にアーマンドは首を振った。銃を撃ってみないと、そんなこと分かるはずもない。

「蛇のつもりで藪をつついてみたが、もっと厄介なものが潜んでいたかもしれん。せめて二丁あればなあ」

 一丁しか拳銃を手にしていない〈二丁拳銃〉アーマンドが、そう呟いた。





 マイノングは倉庫の外に停車している車両の後部座席で戦闘の行方を見守っている。そうは言っても、アーマンドの勝利に疑問の入る余地はなかった。アーマンド一人がいれば充分以上だが、二十を超える手勢もつけてあるのだ。

 気づいたときには倉庫から響く銃声が止んでいた。静まり返った場の沈黙を破ったのは、錆びた鉄扉が開かれる音だった。



 薄暗い倉庫の内部から姿を現したのは、マイノングが最も信頼する腹心の男である。アーマンドは心なしか酔ったような足取りで白昼に進み出た。嗜虐と血に酔うというのは、あの男なら有りうることだと、マイノングは気に留めない。

 マイノングは車両の防弾窓を開けて、アーマンドに声をかけた。

「ご苦労でしたねえ、アーマンド。楽しめましたかい。報酬は弾ませてもらいますよ」

「いや、元締めよ、俺はどうやら店仕舞いらしい」



 その発言の真意をマイノングが尋ねるよりも先に、アーマンドが耐えかねたように口唇から鮮血を吐き出した。夥しい量の血液で地面を紅に彩ると、彼は自身が作り出した血溜まりへ糸の切れた人形の如く崩れ落ちた。

 言葉を失うマイノングの視界に、もう一人の人物が出現する。それがアーマンドに始末を命じたはずのブリジットだと知り、彼は年甲斐もなく戦慄に震えた声を出した。



 勝敗を制したブリジットの方が血塗れの様相をしている。各所に血が滲んで黒ずんだ衣装は、アーマンドの奮闘よりもブリジットの凄惨さを際立たせていた。

「は、早く車を出しなさい!」

 マイノングに急かされて運転手が車両を発進させる間を与えず、ブリジットが右直拳を放った。打撃の威力を可視化した光が車両の側面に打ち込まれ、横滑りした車両が黒い轍を地面に残す。歪んで開かない扉にマイノングが手こずっていた

 駄目押しの一撃が車両を横転させ、上下逆になった車体の座席にマイノングの白髪が見えた。それも一瞬のことで、動力部が火を噴くとそれは爆発へと変貌する。猛火に包まれた車両は、そのままマイノングを火葬に処した。裏社会の支配者としては、派手であったが呆気ないマイノングの最期だった。

 


黄金の瞳にその業火を映すブリジット。窮鼠猫を噛むという言葉があるが、この場合はそんな生易しいものではないだろう。虎が猛虎を噛んだのだ。猛虎を破って猛り狂う虎は、或いは猛虎よりも危険かもしれない。

「待ってなよ、〈カノーネの恋人〉さん」

 ブリジットは歩き出した。その爪先がどこに向くかは、彼女にも分からなかった。

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