第31話 ヒメル対アウルス夫妻 壱

「ここがデダラスの指定した倉庫だな」

 倉庫群のある一角にヒメルが足を踏み入れたとき、ゲアハルトが言った。

「遅かったの?」

「まあ、早すぎたということはなさそうだ」

 敷地内を見渡すと、まず黒焦げになった車両が目につく。車体の表面には熾火がこびりつき、細い黒煙を昇らせている。その内部には、運転手と小柄な男らしき焼死体があった。



「まさか、この老人がマイノングか。ヒメル、ちょっと屈んでくれな……」

「あ、あれ!」

 ヒメルが何かを発見して駆け寄った。無視された形のゲアハルトは苦々しく意見を述べようとするが、そこに見出したものに息を呑む。

小さな血潮の池に半面を浸して突っ伏す人物、その燃えるような橙色の頭髪は見間違えることなどない。



「アーマンド……! 死んでやがる……」

「倉庫にも二十人くらい倒れてるわ。〈青狼屋〉の構成員よね」

 ゲアハルトは無言によってそれを肯定した。

「全部、ブリジットがやったの?」

「信じがたいな。ブリジットがアーマンドを倒すとは。しかし、デダラスとシャルロッテの情報から、ここにブリジットが潜伏していたことは間違いないし。あいつが……?」

 ゲアハルトの意識が沈思によって浮遊しかけたとき、ヒメルが険しい目つきで肩越しに背後を見やった。



「婆さんやあ、こりゃあ、どうしたことかいなあ」

「爺さんやあ、こりゃあ、どうしたことかいねえ」

 穏やかだが毒々しい老夫婦の声がヒメルの耳朶を打つ。彼女の視線の先に立っていたのは〈青狼屋〉所属の識使、アウルス夫妻であった。その後ろには十人の組員が控えている。

「また面倒なのが来たわね」

 そう言ってヒメルが振り向く。相手を刺激しないようにカノーネは抜かないが、手をかけていつでも構えられるようにした。



「あれ、元締めの車だ! お前、元締めに何しやがった!」

「ここにいるのはブリジットじゃねえのか! 何で別の女が?」

 口々に喚く男達を前にして、ヒメルが弁明を試みる。

「ちょっと待って。私達は……」

「『私達』だと! そうか、お前はブリジットと組んでいたんだな!」

「違うってば!」

 私達、とはヒメルと相棒であるゲアハルトのことであるが、その発言を曲解されたヒメルが慌てて両手を振ってみせる。それを〈青狼屋〉勢は、真実を言い当てられて動揺するものと受けとった。いきりたつ一団に、もはや言葉は通じそうにない。

 アウルス夫妻が揃って左腕を目前に伸ばした。



「婆さんやあ、元締めが死になさった以上、仇を討たねばなるまいて」

「爺さんやあ、本当にまっことそうですねえ」

 二人の指環が燐光を発して演算式を紡ぐ。それが粒子となったとき、アウルス夫妻の両脇で空間が揺らめいて、新たな巨躯が姿を現した。体長五メートルはあろうかという巨大な狼だ。前回会ったとき、アウルス夫妻が脱出に使った狼に相違ない。今度はつがいである。



「あいつらは話し合う気なんてない。ヒメル、本気でやるんだ」

 ヒメルがカノーネを抜き放ち、油断なく構える。

「ア、アウルスさん、俺達も黙って見ているわけにはいきませんよ」

「好きにおし」

 アウルス媼に了承を得ると、男達は散開してヒメルを遠巻きに取り囲んだ。

 戦闘の口火を切ったのはヒメルだ。男達に向けて射出した砲弾が爆発し、戦いの開幕を告げる号砲となる。



 最初の一発で二人が爆炎に飲み込まれたが、他の男達は敏捷に反応して回避。剣を手にした六人がヒメルに詰め寄り、拳銃を持った二人が側面に回り込もうと動く。

 先頭の男が振りかぶった剣を斬り下げる。ヒメルはその刃を歯牙にもかけず、思いっきりカノーネを振り回した。強固な砲身に接吻した刃が根元近くから折れ、勢いを減じないカノーネが男の顔面を直撃した。男の頭部が千切れ飛び、一個の肉塊となって宙を水平に走る。それが最後尾の男に激突し、そいつは仰向けに倒れた。

 首なしとなった死体と擦れ違いヒメルが第二陣と接敵。二手に分かれた男達が左右から剣戟を放つ。ヒメルは右の金髪の男の方に踏み込んで左側の刃を避け、金髪の剣はカノーネで受けた。左の髭の男は空振りしたまま直進し、反転してヒメルを背から狙う。



 さらに残りの二人がヒメルを挟み、彼女は四方を囲まれた形になる。劣勢となる布陣を許してもヒメルに動揺や恐れの色はない。

 ヒメルがカノーネを押し出すと、鍔迫り合っていた金髪が軽々と後方に吹き飛ばされる。続いてヒメルは砲身を引き戻しざま銃把を軸にし、カノーネを頭上で旋回させた。怯んだ男達が攻撃の手を止めてわずかに後退する。

 その隙にヒメルは右側の男に砲身を突き出した。砲口と反対側の噴射口が男の腹部にめり込む。そこに込められた膂力は、かつて手加減されたヒュージの比ではない。内蔵を破裂させた男は身体を丸めながら悶死した。



 ヒメルは男の死にざまに目もくれず、引き金に当てた指先に力を加える。砲口の先にいたのは対極に位置する男だった。砲弾は男の胴体を貫通し、その延長線上にいた拳銃の男を巻き込んで爆発する。

『ヒメル、油断するな。あれが来るぞ』

 背中を地に打ちつけた金髪が立ち上がったとき彼の上に影が差した。訝しげに振り返った彼の前で、狼が巨体を誇るように見下ろしている。

「あ……」

 呻いた金髪の上半身が弾け飛んだ。狼が煩わしげに振った前脚によって、金髪の上半身は遠方の倉庫の外壁に突撃し、極彩色の抽象画を描いた。残った下半身が腸を垂らして黒血を肉の隙間から噴き出し、痙攣の後に膝を折る。



 もう一体は、仲間の頭部に当たって昏倒したままの男を無情に踏み潰してヒメルに迫る。髭面に蹴りを与えて沈めたヒメルが気づくと、二体の巨狼が彼女を見つめていた。

「この犬っころは、ちょっと手こずりそうね」

 一体が牙を剥き出しにし、涎をまき散らしながら突進してきた。巨躯に見合わない俊敏さに意表を突かれたヒメルが、かろうじてその牙から逃れる。地べたに身を投げ出して回転したヒメルの眼前に、前脚を振り上げた別の一体が待ち構えていた。

「まずーい……」

 巨大な棍棒で殴られたような一撃をカノーネで防御する。直撃は防げても、その衝撃が人形のようにヒメルを空中に投げ出し、彼女は放物線を描いて飛んだ。その上昇が頂点に達して下降に向かうと、その着地点に先回りしようと二体の狼が疾走する。

 意識が遠のいているヒメルを現実に呼び戻すため、ゲアハルトが大声を張り上げた。



「ヒメル、起きろ! 犬の餌になるのはともかく排泄物になるのはご免被りたいだろう!」

「……え、何? ま、私ってば飛んでる!?」

「落ちているんだ! 下を見ろ」

 真下に狼の真っ赤な口腔が二つ並んでいるのを目にし、ヒメルが叫び声を上げた。すぐさま砲口を下に向け、砲弾を二連発する。攻撃を躱した狼の背後で爆破が生じ、その尻尾の先端を焦がした。



 黒煙を突き破ってヒメルが地面に激突した。受け身はとったが反動を相殺しきれず、もう一度宙に跳ねて俯せに倒れる。

「生きているか、ヒメル!」

「あ、あー……。死んだかも」

 このとき、誰にも忘れ去られていた最後の男が拳銃を捨てて逃走に移った。常人の立ち入る隙はないと実感したのだ。不幸なことに、それを見逃す寛容な上位者ではなかった。



「ほっほ」

 笑ったアウルス翁が指環に光を宿らせる。

 石製の地を割って緑の蔦が絡まり合い、茎の途中と頂点に幾つもの青い花弁を咲かせた植物が佇立する。花びらの中央に鋭い棘が並び、銃弾のように発射されるときを待っていた。その花は動くものに反射するのか、慌ただしく動いたその男に向けて棘を噴射した。

 背から棘で刺し貫かれ、男は天に血を吹き上げると、棒が倒れるように真正面から地に伏した。棘には強力な出血毒が含まれているのか、男の胸が溶け出している。

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