第32話 ヒメル対アウルス夫妻 弐

 土中から生えた植物は三株、さらに二頭の狼とヒメルは対峙した。数の上でも不利だが、その脅威は先ほどの男達とは比べるべくもない。

「ヒメル、ここなら遠慮はいらないからな。少し派手にやっちまうか」

 ゲアハルトが砕けた口調で言った。普段は慎重すぎる彼の許しを得て、ヒメルは笑みを見せる。この場においては不遜にも映る明朗さだった。

 アウルス翁の指環が発光し、それに呼応した植物が三方から毒針を連射する。ヒメルが走って逃げ、それを追って棘がヒメルの足跡を辿るように地面に突き立った。



「きゃー。……結構危なかったわね」

 弾切れとなったのか青い花が萎れて落ちたのを見やり、ヒメルが額の汗を拭う仕草をしながら言った。だが、ヒメルの余裕もそこまでで、早回しの映像のように新たな花が咲き誇ると、さすがに頬を引きつらせる。

 大地が震動した。同時に二頭の狼がヒメルに飛びかかってきたのだ。ヒメルが先制して砲撃を浴びせ、一頭の頭部で爆発が起きる。毛皮と肉厚が天然の防壁となって軽傷に止まるが、その足止めにはなった。



 先に肉迫した狼が上体を沈め、ヒメルに食らいつく機を窺う。狼が顎を開いて牙を閃かせ、辛くもその犠牲となることを拒んだヒメルが、やや無様に地を転がる。

 一頭の対処に専念するのがやっとのヒメルに、もう一頭が襲いかかる。殺意だけならば、この狼の方が大きそうだ。額を焦がした狼の爪がヒメルを狙った。

 ヒメルはその狼の横に回り込むんだ。攻撃はやり過ごしたが、二頭の狼に挟まれる位置となる。それが彼女の目的だった。狼の巨体に阻まれて植物の棘はヒメルに届かない。



 狼の横腹に一発、別の一頭の鼻先に砲弾を撃ち込み、これは痛手を負わせた。怯んで攻勢に出るのを躊躇する狼に、ヒメルが抜かりなく目をやっていると、沈黙を保っていたゲアハルトが声を発した。

「よし。時間稼ぎご苦労だった。ヒメル」

 複雑な演算式を紡ぎ終えたゲアハルトの本体であるカノーネを、陽符と陰符による二進法の帯が包み込んだ。螺旋状に連なる演算を見て、瞬時にヒメルが発現される力能を理解する。その仕上げにヒメルがカノーネを天に向け、引き金を軽やかに爪弾いた。



 次々と途切れることなく砲口から発射されるのは、噴煙の尾を引いて天空に昇る小型円筒弾ミサイルの群れである。その数は三十を超えていた。円筒弾は一定の高さに上昇すると、その進路を下に向ける。垂直に地上へ落ちるほうき星は、その着弾地で大きな爆光を上げた。

 アウルス夫妻の真上に、狼の背に、植物に、円筒弾の雨が降り注ぐ。その矛先がヒメルに向かないのは、ゲアハルトの精緻な演算による着弾点の指定によるものだ。

 爆発は連鎖し、一帯を光と炎と衝撃を混交した破壊の坩堝へと変化させた。その空洞を縁どる円の中心にいるのがヒメルだ。ヒメルも不得意な防御〈識〉を発現させて自滅を防いでいる。不可視の盾を纏う彼女の周りで煙が渦を巻いていた。黒煙で視界が利かないなかで、狼の悲鳴が途絶える。



 爆音が止んで静寂がとって代わると、それが殺戮の終焉を告げた。風が気を利かせ、その見えざる手で煙を払いのける。見通しの良くなった場には、ヒメルが放った猛威の爪痕が刻まれていた。

 石製の地面には数多の穴が穿たれ、平坦なのはヒメルが立っている地点しか存在しない。二頭の狼が巨躯を横たわらせ、植物は跡形もなく消し飛んでいる。爆風で飛ばされたのか、アーマンドの死体が運河の水面みなもに踊っていた。服が水を吸って重くなると、アーマンドは水底に沈んでいく。死後であっても、名優が退場するような悠然とした去り方だった。



「やったわね」

「ああ、これで生きていられる者など、そうはいない」

「あの二人は片がついたし、早く……。あ……!」

 ヒメルが声を上げ、その双眸が凝視する先に異様な物体があった。大人が二人は収まりそうな球体で、表面は黒焦げになっているものの損傷は見られない。ふと、その頂上部にヒビが入り、球体は中央から二つに割れた。

 そこから姿を現したのは、無傷のアウルス夫妻である。アウルス翁が召喚した堅牢な種子に隠れて攻勢を乗り切ったらしい。



「婆さんやあ、わしらの大事な子がやられてしもうたわ。憎らしやあ」

「爺さんやあ、わしらの大事な子がやられましたわねえ。憎らしやあ」

 語り口は常と変らないが、そこに込められた殺気は厭と言うほどヒメルの肌を突き刺す。

 アウルス夫妻が同時に演算を施す。ヒメルの周囲の地面から緑色の管が伸び、それらが彼女の四肢に巻きついた。その先端がヒメルの白い肌を突き破って体内に侵入、管の内部を赤い液体で満たした。

「こいつら! 血を吸ってる!」

 驚倒したヒメルが慌てて管を引き千切り、その断面からピューッと血液が噴出する。



 アウルス翁がヒメルの気を引いている隙に、アウルス媼は絶命した一頭を放っておいて瀕死状態の一頭を治療する。回復した狼が立ち上がると、さらに〈識〉を発現した。唸り声を上げる狼の首の根元が盛り上がり、肉腫のようなそれが内側から弾けたとき、そこにはもう一つの頭部が生えていた。

「生体を作り変えられるとは、高名な識使だけある。ヒメル、あの二人を倒すことを優先させた方がいい」

「理屈って本当に簡単ね! それで、どうやって実行するの!」

「具体案は任せる」

「きー!!」

 ヒメルが感情そのままの叫びを迸らせて、彼女に群がる管を振り払った。

 出血によって減少した血液を頭に昇らせたら身体がもたんだろう、そう言おうとしたゲアハルトは口を噤んだ。



 双頭の狼が地を蹴ってヒメルに迫る。即席の肉体でも混乱を来すことなく、狼が二つの口腔を広げて襲いかかった。

 ヒメルは単純なだけ本能的な閃きをよく見せる。即座に足元の、さっきの植物が放った棘を掴みしなに、カノーネの砲口を斜めにして地に当てた。砲身を片足で固定している。

「無茶だが、乙なやり方だ」

 相棒だけに阿吽の呼吸でヒメルの意図を察したゲアハルトが言う。防御用〈識〉でヒメルを守りつつ、砲弾を発射した。



 ヒメルの足元で爆発が生じる。立ち昇った煙の一角を出口にして、爆風の勢いに乗ったヒメルが狼の頭上を飛び越えた。片足をカノーネに乗せて器用に重心を保っている。

 空中を波乗りしたヒメルの着地点はアウルス夫妻の真上だった。巧みな体捌きで落下しながらカノーネを振り下ろす。アウルス夫妻が老人とは思えない軽快さで叩きつけられたカノーネを避け、砲身が空しく地面を打つ。空振りでも強烈な一撃が粉塵を巻き上げた。

 二手に別れた老夫婦が反撃の体勢を整える間を与えず、ヒメルが隠し持っていた毒針を投擲した。その棘がアウルス媼の額を貫き、老婆が両手を痙攣させながら仰向けに倒れる。



「ば、婆さんやあ……!」

 片割れを失ったアウルス翁の声音が震える。

「ちょっと気が咎めるわねー……」

「相手は何人殺したか知れん殺人鬼だ。同情はそれに足る人物にとっておけ」

 猛毒によって老婆の頭部が溶け出し、人体が液状化した汚泥が湯気を立てていた。逆上したアウルス翁が〈識〉の演算を始めるのに先んじて、ヒメルの一弾が老爺を爆破で吹き飛ばす。直撃を逃れたアウルス翁が、左腕を肩まで消されてよろめいた。



 双頭の狼が反転して駆けつけてくるが、ヒメルのカノーネが続けざまに火を噴き、狼の身体が連続する爆発に打ちのめされる。歩調を乱しながらも前進を止めずヒメルの目前に辿り着き、主の仇を滅ばさんと牙を剥いたのが、狼の生命の臨界点だった。

 大きく口を開いたまま、それを閉じることなく狼は横倒しに崩れた。四つの瞳が無念そうにヒメルを映す。瞳の光が拡散し、それが虚空に消え去ると、ヒメルは構えを解いた。

 もう〈青狼屋〉の戦力は現存していない。唯一アウルス翁は息があるが、左腕もろとも演算装置を消失したため、戦いの継続は不可能だろう。

「無益な争いだったけど、何とか落ち着いたわね」

ヒメルが負傷した個所を確かめつつ言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る