第29話 前哨戦

「俺はお前のことは気に入っていたんだぜ、ブリジット。こんなことになって残念だがな」

 マイノングが倉庫の外に出て、部下の指揮を任されたアーマンドが開口一番そう言った。

「隠れていないで出て来い。そこで集中砲火の的になるより、悪あがきをした方が、生きる希望も持てるというものだろう」

 ブリジットは鉄骨の影に身を潜めながら舌打ちした。挑発に乗るようで釈然としないが、彼の言うことは正しい。ブリジットは二十対以上の剣呑な視線の向く先に姿を現した。



「てめえ、よくも元締めを裏切ったな!」

「そうだ。〈青狼屋〉を虚仮にして、生きていられると思うなよ!」

 彼女に容赦なく罵声を浴びせる部下を、アーマンドは片手を挙げて制する。

「騒ぐな。ちゃんと、お前らに出番はやる。……ブリジット、そういうわけで、こいつらは頭に血が上っているようでな。俺より先に、こいつらの相手をしてやってくれ」

「見くびられたわね。そんな雑魚じゃ、物足りないと思うけど」

 ブリジットは気炎を吐く余裕があった。どっちにしろ、腹を決めて戦うしかないのだ。その選択権のなさが、逆説的にではあったが彼女を落ち着かせていたのかもしれない。四肢の末端まで集中力が血流に乗って循環するのを彼女は感じた。



 ブリジットはだしぬけに両手を広げた。その右手で揺れる腕輪が燐光を帯びる。この腕輪は、アウルス夫妻の指環と同様に召喚専用の媒介であった。刹那に満たない青の輝き、それは陽符と陰符で構成された演算式である。光が消えた瞬間、空間に波紋が浮かび、その中心であったブリジットの両手に金色の籠手が装着されていた。

 ブリジットが師から譲り受けた〈識〉用籠手、〈金色こんじき双涙ふたなみだ〉であった。高位識使が使用するのを前提に設計されており、扱いづらいが複雑な演算も補助できる装備だ。

 両手を握りしめたとき、硬質の響きが全員の耳朶を打った。それは甲高くても耳に不快な音ではなく、虚空に消えていく。ブリジットは両拳を前に構え、臨戦態勢をとった。



「喧嘩は買ってやるわ。だけど、釣りは払った料金以上にもらうよ」

「ハハッ、いいねえ。お前ら、〈金光こんこうのブリジット〉様がご教授下さるとよ。遠慮するなよ、俺は手出ししないで観戦するからな」

 アーマンドは銃を収めて腕組みした。その後ろから、一人の男が進み出てくる。アーマンド、ブリジット、アウルス夫妻に次ぐ〈青狼屋〉四番手の使い手だった。中年の剣士で、ロイという名である。先ほどの罵倒の旗手となった、マイノングに忠誠を誓う男だ。



 ロイは余計な問答を挟むことなく、大振りな剣を振りかざしてブリジットに走り寄った。待ち受けるブリジットに鋭利な刃を拝み打ちに叩きつける。

 正面に振り下ろされた一撃をブリジットが斜め後方に退いて躱した。回避されることは織り込み済みだったのか、遅滞なくロイは踏み込みながら斬り上げる。ブリジットが上体を曲げながら右下から左上に抜ける剣閃をかいくぐった。

 ロイはそこまで読んでいたようである。頭上に掲げた剣を必殺の勢いで斬り下ろした。顔面を縦に割られるかと見えたブリジットだったが、冷静に手刀でロイの右肘を叩き折った。呆気なくロイの右腕が垂れ下がると、すかさずその左膝に蹴りを放つ。

 体勢を崩したロイが跪いた。ブリジットがその顎にしなるような右蹴りを引っかける。鈍い音が頸骨の砕けたことを告げ、ロイの首が真反対までねじ回った。背を向けたままにして背後の一同に驚愕を貼りつけた面を見せつけ、ロイは仰向けに倒れてその表情を隠す。



 さらに人影がブリジットの前に立ち塞がった。〈青狼屋〉にブリジットが加入してから彼女の影に隠れてしまった女識使ティアである。

強気な茶髪の女性が、細剣を得物としてブリジットに相対する。

 その切っ先を向けるや否や、猛然と刺突を放つ。刃が霞んだかのような超速の一打を半身になって流したブリジットに対し、剣を戻して横薙ぎの二撃目を放った。余裕を残してブリジットが左手で受け、両者は顔を間近に寄せる。

 ティアが決して不器量ではないが、ブリジットに劣る容姿を歪めて言葉を発した。



「ブリジット、あんたのこと、初めて見たときからいけ好かなかったわ!」

「そうなの。で、あんた誰」

 ティアが雄叫びを上げて刃を押し込むが、彼女が全身の筋力を動員してもブリジットの片手を揺るがすこともできない。

 突然、ブリジットが腕を引いてティアの剣をうっぱずした。力み過ぎて上体を前に傾けたティアの眼前に待ち受けていたのは、ブリジットの人差し指と中指である。二本の指がティアの双眸に吸い込まれ、そこに収まる双玉を押し潰した。眼球の破片が眼窩の隙間から飛び出し、粘ついた尾を引いて床に滴った。

 細剣を落としてティアが絶叫する。両手で顔を押さえて喚く彼女を前にして、ブリジットが攻撃の予備動作に入った。右脚を高く垂直に伸ばし折り畳んでいた膝を展開する。ブリジットの太腿から爪先までが一本の美しい線になったと見るや、足が角度を変えた。その踵は、ティアの頭頂に定められる。

 ブリジットの踵が打ち下ろされ、ティアの頭蓋を粉砕した。彼女は頭部から床に激突し、鮮血の絨毯を広げる。割れた骨が頭皮を突き破り、茶髪のなかに白い色を見せた。



 悠然と一団を睥睨するブリジットに圧倒され呻いた者も少なくない。主力に次ぐ実力者が立て続けに、しかも手玉に取られて敗れたのだ。

 ブリジットは確かに恐怖を抱いていた。だが、それはアーマンド個人と〈青狼屋〉の組織力に対してである。アーマンドを除く目前の戦力は彼女にとってただの障害物でしかないことを、このとき初めて彼らは思い知った。

「どうした? 俺は手出ししないと言っただろう。さ、お前ら、存分にやれ」

 悪意の込められた無邪気さで、アーマンドが促す。彼らにとっては、進退窮まった状況だった。ブリジットに抗しえるはずもないが、アーマンドが逃亡を許すとも思えない。



 残された二十人は数の利を頼みとして、一挙に攻め込んだ。それは選択として間違いではない。一丸となって突撃する彼らを相手取ることは至難の業だ。

 ブリジットは右腕を腰に構え、撓(たわ)めた筋力を正拳突きという技によって解放した。瞬間、金色の光弾がその拳の延長線上に射出され、光に直撃した数名が直に殴られたかのように吹き飛ばされる。



 彼女が使用したのは、〈動作知どうさち〉と呼ばれる能力だ。〈識〉とは、人間が媒介である演算装置を通じて情報の後背世界に干渉するもので、そこには演算という知力が要求される。しかし、この〈動作知〉とは、媒介に登録された身体の挙動で後背世界に干渉でき、知性を介さずに直接外部に変化を生じさせることができるものだ。

 つまりは、肉体の動作に直結して〈識〉が発動されるのである。剣術や格闘術など、ある程度の技術が必要とされる媒介には、標準装備となっている能力だ。しかし、誰でも簡単に発現できるわけでなく、そこには訓練された正確な体捌きが必須とされる。



 ブリジットが右拳と入れ換えて左拳を突き出した。再び、眩い光が走って数名を弾き飛ばす。籠手から発射された光は『打撃の威力』を現象世界に具現化したものである。情報としての『威力』は人間に知覚されないため、光の形質をとって現象化されるのだ。

 隊列を乱した一団にブリジットが飛び込んだ。同士討ちを恐れて無闇に反撃できない集団を翻弄しつつ、的確に標的を仕留めていく。瞬く間に死屍累々の様相を呈した戦場に、アーマンドの叱咤が飛んだ。

「おいおい、ブリジットに戦勝の悦を感じさせるために生きてきたのか? そうでなければ、多方向から攻める程度の機転は利かせてくれよ」



 必死の形相で三人の男が、それぞれ異なる方向からブリジットに肉迫する。それより速くブリジットが踏み出し、右手にいる男に裏拳を叩き込んだ。顔面を陥没させて仰け反る男を尻目に身を翻すと優美な右蹴りを放つ。それを食らった相手は優美とは無縁の末路である。宙で二回転して肉塊となった頭部から着地し、濡れた音を立てた。

それを目にした残りの一人の動きが鈍り、「次はあんた」とでも言うようにブリジットが指差すと、震えながら退いた。そいつを含めて四人まで戦闘員の数は減少している。



「よし、ご苦労だった。俺に考えがある。お前ら、一斉にかかれ」

 唇を引き結んだブリジットに四名が殺到する。彼我の力量差を鑑みればその必要はないはずだったが、彼女は横に跳んで逃げた。

 直後、男達の胸を突き破って弾丸が飛来し、寸前までブリジットが位置していた空間を灼熱の牙で切り裂いた。霧状の血潮を振りまいて身体を泳がせた男達が倒れ伏す。

 ブリジットは警戒を怠らずにすかさず防備を整えたが、アーマンドは追い打ちをかけてこようとしない。

「部下を犬死にさせて心が痛まない?」

「お前が避けなきゃ、犬死にではなかったんだが。哀れなものだ」

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