第28話 ぼくの銃と刑事さん
ヒメルが倉庫群へとひた走る少し前、ヒメルに応援の要請を告げたデダラスが通信を切ると、曲がり角に半身を隠しながら通りを覗いた。彼の視線の先には二階建ての
クラウス・ミューラーという三十歳の男が、デダラスが犯人の目星をつけた存在だった。クラウスは、ルードヴィヒ大学で大学院まで進み〈識〉の理論を研究している。理論に精通していた彼は、媒介があればその技術を実践できるまでの域に達していた。
上から五番目の成績で大学を卒業しており、まず秀才と称してよい人材だろう。だが社交的ではなかったようで、大学ではいつも孤立を保っていた。
大学卒業後の彼は短期契約の仕事を転々として生活してきている。最後に確認がとれたのは、ある飲食店での勤務だ。それ以降、どこかで働いている様子はない。
ここ数日間、デダラスが内偵してきた成果がこれだった。
デダラスがクラウスを犯人の候補として考えたのが、被害者の一人とクラウスの共通項が、その飲食店だからだ。
一連の殺人で警察官を除くと、被害者は八人。そのうちの七名がチンピラである。残りが唯一、飲食店従業員というのは、当然ながら奇異なことだった。デダラスはその被害者の働いていた飲食店を訪ね、怨恨の線を調べてみた。
「恨みかは分かりませんが、彼といざこざがあって辞めた店員はいます。ミューラーという男ですが、お客様への対応に問題があったのを彼が注意しても反省していないとかで。私が話をしても態度が悪くて、仕方なく辞めてもらったのですが」
それが店長の回答だった。そこからミューラーという糸口を掴み、彼について調査したところ、犯行を行うには充分な能力を持っていることが判明したのだ。
犯人はアーマンドの銃を使用して殺人を繰り返している。すでに弾切れとなっていてもおかしくないのに犯行が継続しているのは、〈識〉を行使できる程度の能力は有している人物だということだ。
同時に本職の戦科識使の犯行ではないこともデダラスは感じていた。戦科識使にしては稚拙な殺人であるし、アーマンドに罪を被せたいという様子はない。捜査途上でミューラーが浮上したとき、刑事という生き物の本能的な勘で、デダラスは彼に興味を持った。
だが、これだけでは証拠が足りなかった。捜査本部も連続殺人犯の検挙に心血を注いでいるが、デダラスの意見は信憑性に疑問があるとして容れられていない。しかもブリジットの件で狂暴化した〈青狼屋〉が各地で小競り合いを起こしているため、警察の人員は分散されてしまっていた。
デダラスは近くの交番にいた二人の制服警官を無理に引っ張ってきて、クラウスの住居を監視している。彼としては、とにかくクラウスの身柄を押さえておきたかった。
もし、彼の読み通りクラウスが犯人なら、もはや余裕は残っていない。今日の未明にまたもや公園で警察官の死体が発見されたのだ。鑑識の結果、同一犯の蓋然性が高かった。
犯行の期間が短くなっているのだ。これまでと違い、今回は偽の通報で警官を呼び出してまで犯行に及んでおり、クラウスの精神的歯止めが利かなくなっている危険性がある。
死体が見つかったのは夜明けだが、死亡時刻は深夜と見られている。デダラスが張り込んだのはクラウスが家を出た後らしく、室内に人の気配はなかった。これまでクラウスは帰宅していないので、犯行に及んでからずっと銃を持ち歩いていることになる。
クラウスさえ見つかれば、事態は進展する。
そう思っていたデダラスの背後で、不意に足音が鳴った。思考に没頭していたせいで接近に気づかず、驚いたデダラスが振り向いた先に、その男がいた。
小柄な人物で、身長は百六十センチメートルほどだろうか。二十代中盤くらいで眼鏡をかけている。青い瞳と目元に知性を感じさせるが、その目が透明すぎて不気味だった。澄んでいるのではない、空虚なのである。その男はデダラスの顔を見て硬直していた。
動揺から立ち直ったデダラスは、相手の顔立ちを確かめる。クラウスの写真は手に入れられなかったが、その容貌は店長に聞いている。男の姿は、その条件に該当していた。
「すいません、少しお話を聞いても宜しいですか?」
「いえ、急いでいるので」
男は足早にデダラスの横を通ろうとする。デダラスはその道を塞ぐように動いた。
「何ですかッ」
怒ったように男が言った。デダラスは懐から警察手帳を出して、男に見せる。男が急激に動揺したのは手帳に対してではなく、同時に放ったデダラスの言葉によってだった。
「警察の者ですが、もしかして、クラウスさんではないでしょうか?」
顔面を蒼白にしながら男が後退した。この瞬間、デダラスは目前の男がクラウスであると確信している。男が退いただけ、デダラスが身を乗り出した。
「クラウスさんですね。申し訳ありませんが、少しだけお話を……」
言葉は丁寧でも、クラウスを逃がさないようにデダラスがその手を掴もうとする。クラウスは刑事の手を弾いて、懐に手を入れた。
クラウスが銃を所有していることは予測のうちだった。デダラスは彼よりも数段速く拳銃を引き抜き、銃口をその胸に向けた。
「動くな……」
という威嚇を刑事が口にしたとき、クラウスは銃を抜かずに懐から服越しに発砲した。
デダラスが左腕から鮮血を噴き出して仰向けに倒れ、落とした拳銃を右手で探る。
クラウスは突然のできごとに惑乱したようだったが、デダラスに止めを刺そうと、息を荒げながら銃を彼に向ける。
「デダラスさん! どうしました!?」
その直後、銃声を聞きつけた制服警官の一人が路地に入ってきた。その姿を認めて逡巡したクラウスの隙を突き、デダラスが右手で構えた銃を撃つ。銃撃はその狙いを大きく外していたが、初めて反撃を受けたクラウスは悲鳴を発して駆け出した。
「デダラスさん!」
「俺は大丈夫だ! 奴を追ってくれ!」
警官同士のやりとりを背にして、クラウスは銃を手にしたまま懸命に走った。
デダラスの予想通り、事態は進展した。しかし、それが必ずしも良好な方向に進むものではないことを、刑事は見落としていた。
嘘だ! 嘘だ!
この前の大事件で見たあの刑事、何であいつがぼくのことを知っている? なぜ、ぼくのことを探していたんだ? 何で、ぼくの名前を知っているんだ!?
ありえないことだった。警察とぼくの接点など、何一つとして存在しないはずだ。
ぼくが仕事を決行したとき、いずれも目撃者はいなかった。仮にどこからか目にした人物がいたとしても、ぼくの人相を確かめられるほど至近から目撃できたはずがない。現場に残した銃弾で持ち主を特定できても、これは名も知らない人物からぼくのもとに来た拳銃なのだ。事件とぼくを繋ぐ糸となる証拠など、あるはずがなかった。
それなのに、あの刑事はぼくを探していた。無能な警察のくせに、どうやってぼくに辿り着いたというんだ。
もう駄目だ。顔を見られた警察を殺せなかったのだ。これまでの事件が、ぼくの起こしたものだと知られてしまった。ぼくは手配されて、警官どもがぼくを逮捕しに来るのだ。
怖い。怖い。どうすればいいんだ。もう分からない。
分からない。分からない。分からない……。
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