第34話 闇のもとに集う戦乙女

 小路で〈青狼屋〉の構成員を殴り倒し、何事もなくブリジットは大通りに出た。

 彼女が自分で流したマイノング死亡の情報により、追手は後を絶たなかった。それらをことごとく返り討ちにし、ブリジットは〈カノーネの恋人〉を誘き出そうとしている。

 追手を殺さず〈カノーネの恋人〉の名を告げれば、ブリジットが探していることは厭でも彼女の耳に入るだろう。評判が命の戦科識使としては、挑発と知っていてもブリジットの策に乗るしかない。



 すでに四十人を超す相手を倒したブリジットは、そろそろ頃合いだと考えて、目立たないよう人波に混じって歩いた。得物である籠手は無論のこと外している。

 ブリジットにとって、もはや自身の生命は二の次となっている。〈カノーネの恋人〉を葬ることで自信を取り戻さなければ、ブリジットは呼吸するだけの亡者と変わりない。

 戦科識使として、アーマンドを下すという能力的な成長はあっても、その精神はヒメルに傷つけられたままなのだ。それを回復しなければ、ブリジットは前に進めない。より正確に表せば、そう思い込んでいる。

 


 ブリジットが目線を上げると、そこには建物の外壁に付設された大型液晶画面があった。普段は企業の宣伝などを映しているその画面に、臨時速報が流されている。

「速報です。今日の昼頃、銀糸街の目抜き通りで男が銃を乱射するという事件がありました。七名の重軽傷者が出ましたが、いずれも命に別状はないとのことです。犯人は、二十代前半から三十代前半と見られる男で、小柄で眼鏡をかけているとのことです。現場は警察が包囲している模様です。なお、犯人は十一人を殺害した連続殺人の容疑者として当局が内偵していた男であり、その捜査をしていた巡査長を撃って逃走したとのことです。市民の皆様は現場付近に近づくことのないよう、注意をしてほしいと……」



 ブリジットは足を止めて、記事を読む出演者の声に聴き入っていた。ついに見つけたのだ。ブリジットを窮状に陥れた、その原因を作った人物を。

〈カノーネの恋人〉は元より、あの男も殺すつもりでいたのだ。その順序が替わることに、不都合は生じない。

 道行く人を突き飛ばしてブリジットが走る。尻餅を着いた男が怒声を上げるのも構わず、ブリジットは目的地を目指した。





 彼は銃を握って震えていた。

 後戻りの道は残されておらず、前に進めば破滅しかない。彼としては、その場に留まっていることしかできなかったが、彼の外の世界では目まぐるしく事態が進展している。警察が大通りの四方を固め、彼の移動を阻んでいた。警察車両が道を塞ぎ、その後ろで緊張を身体に帯電させた警官が慌ただしく動いている。



 彼を害しようとする警官隊に向けて、幾度も彼は威嚇の発砲をしていた。そのおかげで警官を釘付けにできたが、逆に警察の危機感を高める結果にもなっている。彼を取り押さえることができなければ、警察としては強硬手段を以て事態の収拾を図ることもあるのだ。

 その判断を現場の指揮官が念頭に置いたとき、後方で騒ぎが起こった。人通りを封鎖したため、その場にいるのは警察官のみである。部外者が現れたのだろう。

 制止の声を振り切った人物が警官を蹴散らして、進入禁止区域に立ち入ってきたのだ。屈強な男達が飛びかかっても、その人物が軽く身動ぎするだけで、重力など存在しないように男達は宙を舞った。

 指揮官が振り返ったとき、そこには金髪と金の瞳を持つ派手な容貌の女が立っていた。



「どきな」

 その女に言われるまま、指揮官は道を明け渡す。

 その女、ブリジットは十字路に進みだした。

 彼も、警察が築いた輪の一角で湧き起った怒声に気づいて目を向ける。その双眸が大きく見開かれた。彼が見出したのは、その愛銃を手中にした際に出し抜いた、あの女だった。

 女は彼と目が合うと何かを口走った。距離があってその声は届かなかったが、その口唇の動きが女の発した言葉を彼に知らしめる。



「やっと、見つけた」

 彼が引きつった声を喉から絞り出し、銃を女に向けた。主の怯えを反映して揺れる銃口が発射した銃弾はあらぬ方向に飛んだ。銃声に身を竦ませた警官達が車両の陰に隠れる。

 彼が発砲すると同時にブリジットは射線から身を外しつつ低い姿勢で疾走していた。彼が再び照準を定める間もなく、彼女が彼の目前に達して左手で殴りつける。

 右半面を歪ませて彼が弾け飛び、尻餅を着いた。



「楽には殺さないよ」

 鼻血を流して見上げる彼に対し、彼女は両手を広げてみせる。それは威圧のためではない。召喚〈識〉が発現されると、彼女の腕に金色の籠手が装着されていた。

 それが己をなぶり殺すための凶器だと理解して、彼は恐怖の腕で総身を抱きしめられた。だらしなく開かれた口元や一点を凝視する目が、内面の恐れを如実に表現している。

 そこにはチンピラや警官を殺したときの強気な態度はない。彼の銃は、いつも自分より弱い者に向けられてきたのだ。

 彼は、なす術もなくブリジットの拳を見つめていた。



「あれが、応援の識使か? やけに殺気立っているようだな」

「戦科識使なんて、あんなものだろう。だが、逮捕が目的なのに容疑者を殺してしまいそうな勢いだな」

 遠目で眺める二人の警官が囁き合う。その後ろで、また喧騒が生まれた。今度のそれは先ほどの比ではない。

「ちょっと、君! 今は危険だから近寄っちゃあ……!」

「うっさいわね! 私はデダラスに頼まれているのよ。どけってば、どきなさいよ!」

「取り押さえろ!」



 私語を交わしていた二人の警官が振り向くと、群がる警官を薙ぎ払った人影がその二人を跳び越した。宙に躍り出たその人物は、太陽が逆光になって黒い輪郭しか確認できない。



 警察の混乱を余所にして、ブリジットは彼に詰め寄った。

 彼女の握りしめられた拳が、腰を下ろしている彼に振り下ろされる。彼が目を閉じ、その右拳が彼の頭部を捉える寸前、突然割って入った物体にその進路を阻まれた。

 ブリジットの右拳を受け止めたのは、長大なカノーネの砲身である。

 黒光りする鉄製の砲身と、華やかな光彩を放つ籠手が、金属質の軋りを上げて噛み合った。白昼にも眩しい微細な火花の星屑が飛び散って、両者の精神的激突を可視化する。



 ブリジットが、間近に迫った女の横顔を見据えた。その女も、彼女の強烈な視線を黒い瞳で臆することなく受け止める。

「久し振りね。〈カノーネの恋人〉、ヒメル。随分と探したわ」

「ブリジット……よね。後悔の準備はしてきたの」

 ヒメルがカノーネを振ると、抵抗することなくブリジットは後退した。

 ブリジットは両拳を前に構え、ヒメルはカノーネの砲口を相手に定める。二人の戦乙女が対峙する中央で彼、クラウスが目線を両者の間に往復させていた。

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