第17話 ヒメルとブリジット

『デダラス頼む! 警官隊を突入させてくれ! ヒメルがやられる! 頼む、早く!!』

 ゲアハルトの必死の願いに応じて、突入という言葉を連呼するデダラスの叫びが屋外から響いた。その声に注意を引かれたアーマンドの銃が揺れる。

 いきなり、窓から四つの人影が飛び込んできた。窓は先のヒメルの砲撃で割れていたので、その影は滑るように無音で室内に侵入してくる。

 突然の闖入者ちんにゅうしゃは、屋上から吊り下げられた縄を伝って突入してきたのだ。警察の特殊部隊だろう。黒い防護服に機関銃を備えていた。彼らは転がりながら体勢を整えて、一斉に銃口をアウルス夫妻とアーマンドに向けた。

「動くなッ……」

 男が言い終わるのを待たず、アーマンドの銃が横に流れて銃声が立て続けに響いた。男達が同時に倒れ込み、すかさずアウルス翁の召喚した植物の蔦が彼らを拘束する。装備が防弾であるため男達に息はあったが、いとも簡単に捕らえられた自噴がその表情に強い。



「爺さん、間違って絞め殺すなよ。警官を殺したら、後々厄介だ」

 アーマンドが言い置いて、階段の方を注視している。

 一階からも警官隊が突入したはずだった。それなのに階段は静まり返って一向に応援が来る様子はない。不審に思ったゲアハルトがデダラスに問う。

『おい、正面玄関からも警官隊を突っ込ませたんだろうな』

『勿論だ。屋上からも部隊を突入させたぞ』

『そいつらは全滅した。階下の奴らを急がせろ』

 デダラスが返答に詰まった。その無言に不穏なものを感じたゲアハルトが回答を急かそうとしたとき、デダラスの沈んだ声音が返された。

『一階に送り込んだ部隊の通信が途絶えた。アーマンドがやったのか?』

『いや、奴はここにいるぞ』



 そう言うと、自分の発言にゲアハルトは背筋が冷えるような感覚を味わった。

 この建物に潜入したとき、ゲアハルトは確かにヒメルとともに一階を通り、彼が索敵を行った。外部を警察が固めているため、ヒメル以外の人物が外から入り込む余地はない。もしかすれば、彼の索敵を逃れた敵が潜んでいたのかもしれなかった。

 ふと、階段から人間の気配があった。それは一人で、ゆっくりとした足取りだ。警官隊のもでないことは歴然としている。階段を上がり切った気配は三階の室内から漏れ出る鋭角的な光のなかに踏み出し、下半身だけが照らされていた。

 ゲアハルトにはその容姿が確認できないが、アーマンドの目線からはそれが誰か判別できているようだった。気安い口調でアーマンドが話しかける。

 暗闇の幕を割ってその姿を現した存在は、予想だにしていないゲアハルトの知人だった。驚愕の次にゲアハルトの心理を支配したのは、疼痛を伴う郷愁である。我知らず、ゲアハルトはその人物の名を呼んでいた。

「ブリジット……」



 ブリジットの拳が腹にめり込むと、その男は悶絶して崩れ落ちた。

 埃の溜まった床に男が接吻するのを見届けると、彼女は両拳を下ろして周囲を見渡す。広い室内には全部で二十人ほどの人間が倒れていた。これで警官隊は全滅だろう。大半が気を失っており、一部には呻き声を上げている者もいたが満足に動けはしないようだった。

 このときブリジットの右手には肩までを覆う大型の籠手が装着されている。華々しい金色の光沢を放つそれがブリジットの愛用する武器だ。

 二階でアーマンド、アウルス夫妻らとともに〈四宝組〉の組員を全滅させると、彼女は一階で警察の出方を窺うようにアーマンドから命を下された。彼にあくまで警察の動向だと念を押されたのは、戦科識使らしき女が侵入してきた際に合点がいった。アーマンドの遊び相手にするため、その女をブリジットは見逃した。



 しばらくして突入してきた警官隊が、彼女の排除するべき目標となった。その結果ブリジットは、鎧袖一触と評すに値する実力差を警官隊に見せつけている。

 この突入は警察が痺れを切らした証拠である。アーマンドもそろそろ逃走に移る頃合いだと考えているはずだ。ブリジットは彼らに合流するため、上階に向かう。

 三階に上がると、アーマンドが声をかけてきた。

「ご苦労だったな。もう潮時だ、ずらかろう」

「随分、楽しんだみたいじゃない」

 ブリジットは入口の前で止まり、アーマンドの足元の女を見ながら言った。先ほど目にした戦科識使の女が血塗れになって跪いている。生きてはいるらしく、カノーネにもたれかかっているのが精一杯のようだ。

 室内に横たわる一頭の狼と植物の残骸を見る限りでは、アウルス夫妻を相手に善戦している。それなりの力量を有しているのだろうが、アーマンドを相手にするのは荷が勝ちすぎたというわけか。



「存分にな。さて、爺さん婆さん帰るぞ」

 アーマンドが追いやるように手を振って合図すると、アウルス夫妻は一頭の巨大な狼を召喚し、その背に乗って窓から屋外へと消える。外で驚愕の声が噴出したかと思うと、車両が急発車する音が続いた。

 間を置かずアーマンドも、ここが建物の三階ということを忘れ去ったように自然な動作で空中にその身を躍らせた。すぐに怒声が上がったが、それは銃声と悲鳴に塗り潰される。

 一人残ったブリジットが照明で満たされた室内に踏み出した。警察がアーマンド達に気をとられているうちに彼女も逃げようと、女の前を横切る。

そのとき息を飲むような気配があり、男の声がした。

「ブリジット……」



 謎の声に名前を呼ばれた彼女は不審に細めた目を女に向ける。部屋には他に四人の男が存在していたが、声は女の方向から発せられていた。

 ブリジットは用心深く女に接近する。女が何の反応もしないことを確かめると、右足の爪先で女の顎を持ち上げてその容姿を眺めた。

「あんた、男じゃないよね。もしかして、そんな顔してついてんの・・・・・?」

 そう問いかけてみても、女の瞳には意志の力が欠けていて返答を期待できそうにない。

「あの男に相当可愛がられたみたいだね。雑魚が身のほどを弁えないと、こうなんのよ」

 ブリジットは疑念を無視することにした。男の声は気になるが、無線か何かから漏れたものかもしれない。



 ブリジットが足を引くと、支えを失った女の顔が下がった。その女の顔面めがけて反動をつけたブリジットの蹴りが放たれる。

「止めろ、ブリジット!」

 再び男の怒号が聞こえ、思わずブリジットが身を竦ませた。

 停止した彼女の足を女が素早く掴み、その恐ろしい握力が骨を軋ませる。ブリジットを見上げる女の双眸に光が宿っていた。

「あ、あんた——」

 ブリジットの上擦った声の語尾が急速に流れる。女が人並み外れた膂力によって、腕を一振りさせて彼女を投げ飛ばしたのだ。

 激しく身体を壁に打ちつけ、ブリジットが息を詰まらせる。予期せず被った痛みと瀕死の相手に不覚をとった憤激が黄金色の瞳を燃え上がらせていた。

 焦点が発火しそうなほど怒りの熱を含んだ視線でブリジットは女を捉える。あの女は彼女を放擲したことで力尽きたのか、立ち上がろうと束の間もがくと動かなくなった。



 ブリジットは床を踏み鳴らして倒れた女に近寄った。

「ヒメルー! 大丈夫か!?」

 階段から複数の足音がして、さっきのとは別の声が狭い階段を反響して室内に届いた。

 今になって警察の増援が来たようだった。あの女の息の根を止めるのは諦めなければならない。ブリジットが押し殺した声音を放つ。

「運が良かったじゃない。だけど名前は覚えたよ。次に会ったら、楽には死なさない」

 言葉をそこに残してブリジットは窓に駆け寄った。背後で三階に辿り着いた警察が制止を命じたのを聞き流し、彼女は夜闇に身体を投げ出した。

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