第16話 アーマンドとの戦い 弐

『仕方ない。ヒメル、撃て』

「でも、室内じゃ……」

 ヒメルが肉声で疑問を挟んだ。それを独り言と見たアーマンドが訝しげに目を細める。

『榴弾じゃない。火薬無しの鉄球を用意する。向こうを殺す気で戦え』

 その声を聞いた瞬間、引き金に当てられたヒメルの指に力が加わる。

 カノーネの砲口が唸りを上げて砲弾を吐き出した。ヒメルの挙動を油断なく観察していたアーマンドは半身になって、その射線上から身を外す。砲弾はアーマンドの眼前を過ぎてアウルス夫妻の頭上を直進し、着弾した壁面を粉砕した。

 ゲアハルトが言った通り砲弾は爆発しなかった。その衝撃のみで石製の壁はおろか、内部の鉄骨を折り曲げて外壁までも崩壊させる。



「おっと。そういう芸当もできるのか」

 感心したように言ったアーマンドを狙い、ヒメルは再度砲撃した。

 カノーネの砲弾が射出されるのと、アーマンドの銃撃は同時だった。ただ、このときアーマンドは〈識〉を発動させている。

 両者の中央で空間が爆裂した。球形状に波紋が広がると、ヒメルが撃った砲弾が進行方向を変えて、あらぬ方角に飛んでいく。ヒメルの狙いよりも大きく斜め上に逸れた砲弾が、天井近くの壁にすり鉢状の穴を穿った。

 当惑したヒメルの動きが鈍る。その隙に撃たれた銃弾がヒメルを捉え、弾丸自体は砲身で防いだものの、衝撃がヒメルを吹き飛ばした。

 横倒しになって床を滑走し、壁に背を打ちつけたヒメルが呻く。



『今のは危なかったぞ。直撃していたら致命傷だった』

「何なの、あれ」

『着弾時に効果が発揮されるように、弾丸に〈識〉の発現条件を指定している。弾が物体に命中したら衝撃波が出るようにしているんだ。銃を扱う戦科識使が好んで使う攻撃だな』

 ヒメルが立ち上がり、全身を走り回る激痛に毒づいた。

「まったく、うら若い女の柔肌に銃弾ぶち込むとは、どんな料簡してんのよ……!」

『まず治療するぞ。この傷では満足に戦えない』

 ヒメルは頷く。今回はヒメルも協力し、二人分の演算で治癒系の〈識〉を発現させる。



 ヒメルの傷口に薄紅色の肉が盛り上がり、次第に周囲の肌に馴染んでいく。数秒もせずに傷口は塞がった。だが、負傷を無理矢理に治療するこの方法は、二人の専門外の力能だけにその負担も大きく、ヒメルの肉体的消耗が著しい。

 失血と痛みに苛まれることはなくなったが、俄かにヒメルの額には汗の玉が浮かんで息が乱れ始めた。もはや、戦闘を長引かせることはできない。

『ヒメル、もしまた攻撃を受けたら、そのときは応援を呼ぶからな』

「……分かったわ」

 アーマンドは手出しを控えてヒメルを見ていたが、その表情は冷めたものになっていた。ヒメルが室内では本領発揮できないことを推察していたが、彼にしても一丁の拳銃のみで、しかも手を抜いていたのだ。これだけ力量差があっては、愛想も尽きてしまう。



「そろそろ俺も時間だな。遊べるのはここまでだ。楽しませてもらった礼に、俺も少し芸を見せようか」

 そう言って、アーマンドは愛銃を構える。言外に、それまでの戦いは芸のうちに入っていないのだと告げていた。

 ヒメルが砲弾を射出、左に跳躍して逃れたアーマンドを追いこんで彼女は疾走する。両足を宙に浮かせたままの不安定な体勢でアーマンドが銃を連射し、直撃を避けたヒメルも衝撃波の渦に翻弄されて前進を妨げられた。

 決死の覚悟でヒメルが突撃を再開すると、脳内で焦燥の色濃い声が響く。

『おい、ヒメル、どうなっているんだ!? あの爆発と銃声は何だ!』

 声はゲアハルトのものではなく、デダラスだった。ゲアハルトと通信していても埒が明かないと業を煮やし、ヒメルに直接語りかけてきたのだろう。

『待て、デダラス。俺達の回線に割り込むな……』

『ヒメル、アーマンドと交戦しているのか? ゲアハルトが相手じゃ、話がつかん。交戦中であれば部隊を突入させるぞ。もう抑え切れん!』

『もう少し待ってよ! すぐに奴を倒すから!』



 ヒメルが集中を削がれた瞬間に、アーマンドが膨大な情報量の〈識〉の演算を終えていた。アーマンドが銃を一振りすると、ヒメルの身体の各所に実線と破線で構成された小さい球状の光が幾つも出現する。

 アーマンドの苛烈な攻勢を予想したヒメルが、カノーネを盾にして防御の姿勢に移る。

『ヒメル! 防ぐな、逃げ……』

『戦況を報告しろ、ヒメル!』

 切羽詰まったゲアハルトの言葉をデダラスの怒声が塗り潰した。ゲアハルトの忠告が耳に届かなかったのか、ヒメルは攻撃を待ち構える。

 その場の音響が、アーマンドの発砲の音に支配される。乾いた銃撃の余韻がヒメルの耳朶を震わせたとき、アーマンドの持つ拳銃の銃口から伸びた複数の朱線が、ありえない軌道を描いてヒメルの身に食らいついた。



 球状の光が発生した肩、腕、背中、腹部、両脚に都合七発の弾丸を撃ち込まれ、ヒメルの全身が血煙に包まれる。どこか遠くで二人の男が言い争っているのを感じながら、ヒメルは崩れ落ちて膝立ちになった。その両目は焦点が合っておらず、黒い瞳は茫洋としていて何を見ているか知れない。

 直立したカノーネが支えとなってヒメルが倒れることはなかったが、砲身に寄りかかっているヒメルは戦意どころか生命の灯まで消えそうなほど頼りなげだった。

 アーマンドは〈識〉によって、あらかじめ弾丸の着弾点を指定しておいたのだ。後背世界で着弾点の情報を書き加えておけば、仮に逆方向へ発砲したとしても弾丸は物理的な法則を無視してでも目標に辿り着く。

 ヒメルの身体に現れた球形の光がその着弾点である。それはヒメルの肉体そのものでなく、ヒメルがいる空間を狙ったものだった。ヒメルの肉体と重なり合った空間を目標にしていたため、ヒメルが逃げれば銃弾を回避できた公算は高い。

 ゲアハルトの指示を聞き損ねたのが、ヒメルにとって大きな痛手となった。

 


 ゲアハルトの本体であるカノーネが、まるで墓標のように不吉な影を夜気に冴えた床に落としており、それにヒメルの影が寄り添っていた。

『ヒメル聞こえるか! 敵が目の前にいるんだぞ! クソッ!!』

『返事をしてくれ! 何が起こっているんだ、ヒメル!』

 二人の男に名前を呼ばれても、ヒメルは反応しない。虚ろな視線を床に投げている。

「いや、結構楽しめた。頑丈なお嬢ちゃんで、やりがいがあったな」

 アーマンドが銃口をヒメルに押しつけた。子どもが壊れた人形を捨てるように、彼は躊躇なく引き金を動かすはずだ。

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