第25話 二つの夜

「起きているか、ヒメル」

 ヒメルが酒場から自宅に戻り、彼女が寝台に横たわって少しの時間が経ってから、ゲアハルトがそう言った。ヒメルはゲアハルトに背を向けていて、その吐息は規則正しく彼女の胸部を動かしている。

「寝ていても構わない。ただ独り言を零すだけだからな。ブリジットについて……」

 三日月の繊細な光に調律を合わせるようなゲアハルトの声が静かに流れ始める。

「ブリジットのことは前にも話したな。幼い頃から浅慮だったとはいえ、今日デダラスからあいつのことを聞いて、本当に愚かな女になったと思ったよ。ヘマをしたんなら、さっさと〈青狼屋〉を離れて師の下にでも逃げればよかったんだ。どうせ汚れ役の立場でしかないのに、面子に拘りすぎたんだろう」

 ゲアハルトが一度言葉を切って、吐息を漏らした。



「才能は確かにあったが、実力に不相応なまでに気位が高いんだ。それを年長者として諌めてやって矯正するのが、俺の役割でもあったはずだ。それを放棄していた俺は、あいつ以上に愚かだった。さっき酒場でようやく気づかされた」

 月光を浴びたカノーネの砲身が濡れたよう輝きを放っている。

「だが、そんな不肖の弟弟子でも可愛いものでな。できることならどうにかして、俺が始末をつけてやりたいと思った。いや、直接戦うのはお前だけれどな。お前が依頼を受けてくれて、俺も助かった」

 ゲアハルトの声が明るさを増した。

「……喋りすぎたな、独り言なのに。俺も、もう寝ようか」



 ゲアハルトが沈黙すると、彼に背を向けていたヒメルの目が見開かれる。

 ヒメルの瞳が背後のゲアハルトを気にするように揺らいだが、そのまま彼女は目を閉じた。ゲアハルトは独語しただけだ。返答を期待しているわけではない。

 それにしても、とヒメルは思ったが、それより先の考えは睡魔の手に振り払われることになる。そのせいでヒメルは、寝相が悪い彼女の姿勢が今はまだ乱れていないことにゲアハルトは気づいていたかどうかの答えを、見出すことはなかった。






『グードゥルーン市中部第二区二丁目四番の路地で、午後四時頃、銃声が聞こえたとの通報があり、その五分後、警察官らしき男性が倒れているとの通報があった。巡回中の警察官二名が同現場に向かったところ、警察官一名が倒れているのが発見された。被害者は、同町交番勤務のビクター・ランド巡査(二二歳)で、病院搬送後に死亡が確認された。当時、ランド巡査は巡邏じゅんら中であり、その途中で被害に遭ったものと思われる。当該警察署の職員が検証中だが、有力な情報は得られていない模様……』



 その報道を目にしたぼくは笑いが止まらなくなった。その警官はぼくが殺した二人目の警察官だ。ぼくがやったのだ。誰も知らない真実を知っているのは、ぼくだけなのだ。

 まったく、警察というのは無能なものだ。あの二人の警官は、ぼくが銃を向けても驚くばかりで、ろくな反撃もできずに死んでいる。対照的に、このぼくは手早く仕事を終え、警察に証拠となるものを未だ掴ませていない。

 警察官として採用された奴らよりも、ぼくの方が優れていることが証明されたのだ。当初の目的は達成している。



 あの警官を殺してから二日も経っていない。だけど、ぼくの体内は熱くなってくる。また銃で人を撃ちたい。あの真っ赤な血が飛び散るのを見たい。ぼくが強いということを確認したい。我慢できなくなっていた。

 だから、現在ぼくは深夜の公園に立っている。もう少しすれば、偽の通報で誘い出された間抜けな警官が来るはずだった。

 ぼくの銃、この〈昼の闇〉は名称の通りに、白日の下に暗い影を落とすだろう。

 今度の獲物を殺したら、その足で終日営業の飲食店に行こう。珈琲を飲んで時間を潰して朝になれば、ぼくの仕事の結果が報道されて、この場は騒ぎになるに違いない。



 無知な奴らを横目にして嘲笑いながら、珈琲を口に含むのだ。

 闇のなかでぼくが笑っていると、後ろから足音が聞こえた。振り返った先には、懐中電灯を持った若い警官が走って近づいてくるのが見える。

 きっと、あいつはぼくが銃を向けると、今までの二人のように驚くのだろう。銃を抜けとぼくが言ってやっても、悪戯だと思って注意してくる。ぼくが発砲した瞬間、それが本物だと理解して再び驚愕するのだ。そのときは、もう手遅れである。

 ぼくは胸にしまっている銃の感触を確かめ、一般人の振りをして警官に声をかけた。

「こっちです。こっちに死体があるんです!」

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