第9話 ぼくの銃の使い方
ぼくは自宅に帰ってきた。ぼくが住んでいるのは家賃の安い
扉を閉めて調理場を通り過ぎ、ぼくは部屋に入った。近くの軽食屋で買った夕食の袋を机に置く。食事は決まって外食か弁当を買うので、調理場で自炊したことは一度もない。
ぼくは短い溜息を吐いた。
一昨日、今まで働いていた飲食店の仕事を辞めさせられたのだ。やはり、この間の莫迦な男女に絡まれた件と、莫迦な先輩に睨まれたのが災いしたようだった。
ぼくは頭を振って、室内を見渡す。この部屋を見た人は、もしかしたら奇妙に思うかもしれない。家具は必要最低限のものだけしかなく、それ以外は所狭しと模造銃が並べられていた。飾っているのは拳銃だけでなく、壁にも
これがぼくの唯一無二の趣味だった。模造品の銃を買ってきては一から組み立て、彩色まで自分で施す。徹底的にこだわった配色は本物と遜色ない仕上がりになっていた。
子どもの頃は、銃が撃ちたくて刑事になるのを夢見ていた。だけど、ぼくの体格が警察官の採用基準に達しておらず、断念せざるをえなかった。軍隊も考えてみたけれど、警察官になり損ねたぼくが軍人になれるとは、とても思えなかった。
結局、ぼくは大学院を卒業した後、仕事を転々として生活してきた。これまで、ぼくが学んだ知識と高い知性を発揮する機会に恵まれることはなかったのだ。
しかし、これからは違う。
ぼくは本棚に歩み寄った。それは本棚であるというだけで、そこには本ではなく幾つもの拳銃が納まっている。勿論、どれも模造品だ。しかし、そのなかに一つだけ本当の銃が混ざっている。一見しただけでは分からないだろう。
上から二段目に飾られている拳銃を手にとると、ぼくは魅入られるように視線を拳銃に注ぎ胸が高鳴るのを感じた。毛細血管の先端まで興奮の微粒子が流れ、全身が熱い。冷たい鉄の表面は、ぼくの指先の体温に触れて熱を帯び始めた。
拳銃の重量は気にならない。ぼくの身体の器官として最初から備わっているように、しっくりと馴染んでいる。
どれだけの時間、そうしていたのだろうか。気づくと窓の外は暗くなっていた。
拳銃を元の位置に戻すと、ぼくは机の上の袋から弁当をとり出した。すでに冷え切っているが、我慢して食べるしかない。食事をするのももどかしく、ぼくは急いで弁当を空にした。ゴミを屑籠に投げ捨てると、再びあの銃をとり出した。
さっきは夢中になって眺めてしまったが、今回は冷静に拳銃を見やる。
この銃は、型式〈昼の闇〉という名で、そこらの量産品とは違い有名な銃鍛冶が作製した拳銃だ。銃身の長い洗練された形状はその表面が黒く塗装されている。姉妹銃に〈夜の光〉というのが存在し、両方を揃えて腰に吊るすのが、
また、これは凡庸な火薬式拳銃ではなく戦科識使用の演算装置でもある。識使が扱う武器には例外なく、人間が後背世界に干渉するための演算装置が組み込まれている。
ぼくの頭脳が働き始める。大学院を卒業するまで〈識〉を研究し続けたぼくの知識が、久しく使用されずに埃を被った書物のように掘り起こされつつあった。
〈識〉という力能は、後背世界に干渉することで人間が現実として認識している現象世界に術者の任意の事象を呼び起こすものだ。この〈識〉を操る存在を識使と呼ぶ。
識使には各専門分野がある。軍用技術を利用した戦闘を主体とする
人間が知覚できない後背世界と現象世界との中間に位置するのが、可変世界だ。人間がこの可変世界を通じて後背世界の情報を操作するために必要な媒介が、この演算装置である。後背世界は二進法で構成されるため、処理する計算は膨大なものとなる。複雑な二進法の演算を人間の脳で処理するのを補助する目的で開発されたのが演算装置だ。
蛇足だが、この演算装置が開発されたのは七一年前。純粋な情報で構成される後背世界を直接知覚できる光の民の脳を研究し、特殊な器官と神経回路を模倣してできたのだ。開発当初は巨大な機器だったが、研究が発展するに連れて装置の縮小化が進み、現在では拳銃の内部に設置できるほどに矮小化している。
識使は〈識〉という力能の方法に精通した存在ではあっても、演算装置失くしてはその異能を発動することは適わない。技術があっても演算装置がなければ、可変世界から後背世界に干渉できない。逆に言えば、演算装置と少しの知識があれば〈識〉は使えるのだ。
ぼくには大学院まで〈識〉の研究に携わった実績と、そして演算装置たるこの拳銃がある。つまりは、〈識〉を使える環境にあるわけだった。
そこで、ぼくは数日前に近くの山林へ試し撃ちに出かけた。近くと言っても車で数時間かかる場所だ。車は店で借り、窪地になっている地点で行った。山の窪地なら銃声が遠くまで聞こえづらいし、もし人に聞かれたとしても猟師のものと思うかもしれないからだ。
ぼくの射撃の精度は練習するに連れて多少の向上を見せた。元々銃を構えて遊ぶのが好きだったので、姿勢だけは堂に入っていた。今では十メートル圏内なら、人間くらいの標的に命中させる自信がある。
さらに〈昼の闇〉という拳銃の性能も把握できた。普通の拳銃は、弾丸を撃ち尽くしたら新たな弾倉に入れ換える必要が生じる。だが、この銃はその手間が省けるのだ。
弾丸が空になったとき、使用者は〈識〉を発動させる。この銃に内蔵された演算装置によって後背世界に干渉、
この銃の凄いところは、優秀な演算装置が使用者の演算の負担を大幅に軽減することだ。弾丸を再装填する程度の演算は戦闘を本業とする戦科識使には他愛もない技術だ。それでも戦闘中に一瞬だけ演算処理を施すのは、生死を分ける要因にも成りうる。
戦闘における演算の集中を削減できるのは大きな利点だ。ぼくのような本職の戦科識使ではない者でも、〈識〉の方法を知っているだけで一定の能力が使用できる。これが本場の戦科識使ならば、より複雑な演算をこなして高度な技を扱えるだろう。
ぼくにとっては、銃弾が尽きたら〈識〉で再装填できるというだけで充分だ。演算装置の寿命がくるまで、ほぼ無限に射撃できるのだ。
下調べは終わった。行動に移るときだ。
ぼくはこの銃を期せずして手にしてから、どうするか考えてきた。警察に渡すとか、そんなことは論外だ。銃の方が自ら、しかも〈識〉に詳しいぼくの元に飛び込んできたのだ。簡単に手放すわけにはいかない。
まず考えたのは、人間を撃ってみたいということだった。勿論、ぼくだって人を殺してはいけないことは知っている。ぼくは刑事になって凶悪犯を撃ち倒して逮捕することを、童心に夢想したものだ。
しかし、殺してもいい人間なら存在するだろう。例えば、犯罪者とか。夢のなかのぼくは刑事だが、現実はそうじゃない。逮捕が目的ではないのだから、殺しても問題ない。
犯罪者と一口に言っても、この街に蔓延る悪はそれぞれだ。戦科識使として強大な能力を有する者もいれば、その辺をうろつくチンピラもいる。
チンピラか。奴らは自分よりも弱い相手を狙って小突き、金を巻き上げることもある下等な生物だ。あんなゴミみたいな奴らが死んだとて、誰も困りはしないだろう。
そうだ、ゴミなんだ、あいつらは。人殺しじゃない、ゴミ掃除だ。処分したところで問題のないゴミを減らすだけなんだ。
そう思うと、ぼくは堪らなくなって拳銃を腰の後ろに押し込んで外出した。自宅の近辺から離れた繁華街に着くと、すでに夜を生活の時間とする人種や酔漢で溢れていた。
ぼくはその光景に目もくれず、細い通りに入った。奥に進むと光源もない路地になり、そこで三人の男とすれ違った。一目でろくでもない人生を送っていると分かる若い男達で、全員がぼくよりも背が高かった。そいつらの会話が耳に届くと、どこの店の女がいいとか、下世話なものだった。これから如何わしい店に行くに違いない。
ぼくが素知らぬ顔で行き過ぎると、急に男達の声が低くなり、その足音は大きくなった。ぼくの後を追ってきている。どうせ、女に使う金をぼくから脅し取ろうとしているのだ。
こんなに早く食いついてくるとは、ぼくにとっては好都合である。
「すいません、お兄さん、ちょっといいですかあ?」
一人がぼくを追い越して通せんぼし、ふざけた口調で言った。
「俺達さ、お金持ってないんだよね。お兄さん貸してくれないっすか?」
ぼくが立ち止まると、背後を残りの二人が塞ぐ。
男達の姿を見てみると、着崩した服装や耳輪などが目についた。後ろにいる男の片方はぼくを挑発するように舌を出している。その舌にも輪がついていた。
自ら好んで身体に穴を空けるとは、本当に愚かな奴らだ。いや、これからぼくが、もっと綺麗な穴を空けてやるわけか。
「あれ、何かおかしいっすか」
「金貸してくれれば、黙って返したんだけどよ。どうする?」
舌に輪をつけた男が仲間に問うように言った。答えは決まっているのだろう。前にいる男が笑いながら間を詰めてくる。後ろの舌輪の隣にいる奴が、言葉を発さずに問答無用でぼくの肩を掴んだ。
「お前ら、運が悪かったな。今夜の俺は、ちょっと機嫌が悪いんだ。後悔するぜ」
ぼくは言った。少し恰好をつけてみたものの、前の男の顔には嘲りしかない。
だが、これを見れば奴らも考えを変えるはずだ。ぼくはいきなり腰の銃を引き抜くと、男の鼻先に突きつけた。男は目を丸くする。ぼくが何をしているか理解できないのだろう。お前には分からないだろうが、これは本物なんだ。
ぼくは引き金に当てた指に力を込めた。轟音が響き、ぼくの殺意と嘲弄が弾丸に姿を変えて男の顔面を食い破る。男の左頬に黒い穴が穿たれた。反射的に手を当てようとした動きが途中で止まり、男は間抜けな表情を貼りつかせたまま仰向けに倒れていく。
固い石畳に肉体が打ちつけられる音が狭い路地にこだました。ぼくは素早く振り返って、先ほどぼくの肩を掴んだ男に照準を合わせる。
二発目の発砲が男の胸を貫通する。続けざまの銃撃で踊るように回転しながら壁にもたれかかった。そのまま
最後の男は眼前で起きたことが理解できないのか、死体に何回も目を往復させている。
ぼくは銃を上げる。恐怖のあまり声にならない呼気が男の喉から押し出された。
舌輪の男がようやく逃走に移る。冷静にぼくは走る男の背に狙いを定めた。射撃音とともに男の腰から鮮血が弾け飛んだ。勢いそのまま男は俯せに倒れる。男はまだ逃げようと地べたを這っていた。男の醜い動きを、足でその頭を踏みつけることで中断させる。
「止め、て……」
男の命乞いが耳に心地よい。だが、そろそろ人が来るかもしれないので、片づけないと。
「この銃の名を教えてやる。〈昼の闇〉だ。これが本来のぼくの姿なんだ」
もう一発背中に銃弾を見舞うと、男は一回だけ四肢を跳ね上げて動かなくなった。
やがて、二人の制服警官が路地に入ってきて死体を発見した。一人が応援を呼ぶと、片方は現場保全のため周囲の人間を退かせる。警官の後ろには山ほどの野次馬がいたのだ。その野次馬に混じって、ぼくは騒ぎを眺めていた。
これはぼくがやったことなのだ。それなのに、周りの人間はそのことを知らない。想像すらできないだろう。ぼくの外見は人を殺すような危険人物には見えない。しかし他の人間と異なり、ぼくはこんなにも強いのだ。
ぼくはその場を離れた。騒ぎを聞きつけた人間が集まってくる流れに逆らい、ぼくは歩く。その内心は興奮と歓喜、その他のよく分からない感情の坩堝となっていた。
前から思っていた通り、ぼくは特別な存在だったのだ。知識だけを持っていたぼくのもとに、銃という力が現れた。ぼくには、この能力を使用する義務がある。
選ばれし存在たるこのぼくが、次にやるべきことは何か。ぼくは家に帰るまで、そのことだけを考えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます