第8話 ブリジットの憂鬱
彼女、ブリジットはいつも通り路地裏で見張りをしていた。
昼下がりの陽光を反射して眩しいほど光沢のある金髪は背中まで伸びている。その頭髪を溶かして注ぎ込んだかのような黄金色の瞳と整った眉目が相まって、派手な容貌を成していた。だが、二十代前半と思しき美貌には険が強い。
ブリジットは、数日前の深夜にこの場で自分の任務の邪魔をした男を探しているのだ。あの夜、〈青狼屋〉の幹部であるアーマンドの愛銃を盗んだ男を始末し、その銃を回収するのがブリジットの任務だった。
正確に言うと、それは任務と呼ぶほどのものではなかった。アーマンドが目を離した隙に、彼が目をかけていた部下の一人が銃を持ち去って逃亡した。偶然〈青狼屋〉にいたブリジットがマイノングの意を受け、ちょっとした使いのつもりで男を追ったのである。新参者ということもあって、雑用のまねごとをする必要もあった。
その男がなぜアーマンドの銃を盗んだかは知らない。〈二丁拳銃〉の二つ名を持つアーマンドが片方でも銃を失えば、彼の名声に傷がつくことになる。それを手土産として別の組織に鞍替えしようとしたのだろうか。
まあ、どうでもいい。その理由は、マイノングらが考えることだ。
問題は、男は難なく殺せたものの、回収するはずだった銃を何者かに掠め盗られたことだ。まさか第三者が居合わせていたなどと思いも寄らなかった。
何者かが物陰に潜んでいたのを迂闊にも気づかず、ブリジットが離れたのを見計らうとそいつは銃を手にして走り去った。彼女はすぐに引き返してその人物、後ろ姿からすると恐らくは男だった、を追った。
そいつはこの辺の地理を熟知しているらしく、何回も角を折れてブリジットを引き離した。男の足音が聞こえなくなって焦るブリジットの前には、深い闇が漂うだけだった。
アーマンドの銃を正体不明の人物に奪われただけでなく、殺しの現場まで目撃されたのは重大な失態である。
この一帯を虱潰しに探そうと考えたが、結局は止めた。帰りが遅くなって疑惑を持たれても不都合だ。失意を胸に秘めたまま夜が明けぬうちにブリジットは〈青狼屋〉に戻った。
……まだ〈青狼屋〉には、元締めのマイノングとアーマンドが残っていた。
「ああ、ブリジット、戻ったかい。それで、首尾はどうだったんで?」
ブリジットの姿を認めたマイノングが問う。マイノングは髪に白いものが混じった老人で、腰が曲がっていても若かりし頃の気迫を失っていない。人当たりは柔らかいが、障害物があれば温和な笑みを浮かべたまま、その排除を命令する男だ。
「ええ。裏切り者の始末はつけたわ」
「そりゃ結構だ。で、俺の銃はとり返してくれたんだろ」
横から言い放ったのは、豊かな
客用の椅子に腰かけて酒を飲んでいるアーマンドに向かって、ブリジットが口を開く。
「えー、いや、それがね……」
言い淀むブリジットに対し、アーマンドは顎を振ってその先を促した。
「実は、男を殺した拍子に銃が川に落ちたようで、紛失してしまったのよ。悪いけど」
ブリジットは咄嗟に虚偽の報告をした。
アーマンドは黙って酒杯に口をつけ、マイノングは観察するような視線をブリジットの横顔に走らせる。その沈黙に耐えるため、ブリジットはきつく歯を噛み締めていた。
不意にアーマンドが干した盃を机に置いた。
「そうか。済まなかったな、俺の落ち度でつまらん仕事を押しつけて」
「いえ、私が悪いのよ」
「あの銃は気にいっていたんだがな。また、新しい
押し黙るブリジットにマイノングが声をかける。
「ま、仕方がないやね。あれが他人の手に渡るよりは遥かにマシだよ」
二人の鷹揚な対応に、ブリジットは見えざる手で胸を撫で下ろした。もし真実を告げたとしたら、その場は変わらぬ態度で二人はブリジットを帰したろう。ただし、その帰路かブリジットの寝室に、残った愛銃を提げたアーマンドが現れるに違いなかった。
今回は何とか誤魔化すことができた。次にやるべきことは、あの男の素性を調べて口封じすることだ。できれば銃も取り戻したい。
「しかし、元締めよ、あの野郎がこんなふざけたこと仕出かすには、何か理由があるだろう。可愛がっていた子分に裏切られたとなると、俺も黙っているわけにはいかないぜ」
「そのことなんだけどねえ。最近、私の
「前も聞いたな。チャールズの取引を警察が嗅ぎつけたのも、そこの密告だって話だが」
「おおかた、あの若いのも奴らに買収でもされたんでしょうな。もし、あんたの銃が盗まれて警察に渡されたとしたら、あんたは笑い者だからね」
二人に別れを告げようと開口したブリジットが声を発するより先に、マイノングが向き直ってブリジットを見やった。面喰らって言葉を飲み込んだ彼女にマイノングが言う。
「ブリジットにも聞いてもらおうかい。大事になるのは厭だったんで、〈四宝組〉を相手にはしていなかったんだが、こうなっては無視することは適わないからね。あんたにも、また一つ働いてもらうことになる」
「元締め、小物に身のほどを教えてやると言うのだな」
「ええ、今夜の件は傍から見れば〈青狼屋〉の身内が何者かに殺されたことになる。そして、〈四宝組〉がうちを露骨に敵視しているのは周知のことさ。誰もがこの殺しは〈四宝組〉の仕業だと考えるはずだよ」
「つまり、俺達の方から攻め込む言い分が立つというわけか。悪くない」
アーマンドは気分が乗ってきたのか、主には無断で調理場に入ると盃に酒を満たす。カウンター越しにアーマンドが言った。
「ブリジットの戦いぶりを初めて見ることができるとは、見物だな。俺も久しぶりに暴れるとするか。銃が一丁じゃ、さまにならんだろうが」
「……そろそろ帰っていいかしら」
ブリジットはそう言って二人に背を向けた。
「待ちなさい」
マイノングが引き止めると、頸骨が錆びついたようにブリジットは振り向いた。
「これは些少だが今夜の分だ。とっておいて下さい」
マイノングが差し出したのは、紐でひとまとめにされた札束だった。
「だけど、私は……」
「ブリジット、元締めが言っているのだ、もらっておけ」
「……頂戴するわ。じゃあ」
ブリジットは札束を受けとって足早に立ち去った……。
あの日からブリジットは時間が空けば、昼夜を問わずこの路地裏の見張りをしている。今は昼なので人通りはあるが目ぼしい姿は見当たらない。あの男は、当然のことながらブリジットを警戒してこの近辺は避けているだろう。当夜、男の容姿を見たわけでもない。
自分の行動が徒労に属するものと分かっていても、ブリジットには他に手段がなかった。
事態が露見すれば、間違いなくアーマンドが命を狙ってくる。凡庸な敵なら恐れるに足りないが、アーマンド相手に彼女は勝利する自信がない。何としても、〈青狼屋〉の面々が勘づく前にあの男を消さねばならない。そうでなければ、死ぬのは自分だった。
物思いに没頭していると、いつの間にか周囲の視線が己に集まっていることに気づいた。無意識に険しい表情になっていたようだ。
ブリジットは睥睨するようにその視線の群れを撃墜する。目線を下方に向けて逃げていく通行人を低温の瞳で眺め、ブリジットはその場を離れた。
大通りに出たブリジットは人の流れに混ざる。彼女の内心の苛立ちを反映し、黄金色の瞳は苛烈な輝きを放っていた。
必ず、あの男は見つけ出して殺してやる。必ずだ。
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