第3話 ローゼッタ帝国
人類の勢力で随一を誇るローゼッタ帝国は三方を、民主主義国家リバティリア、
帝国とは、皇帝が支配する国家、を意味するものではない。帝国の本来の意味は、集中的に権力と軍事力を所持する本国を頂点とした同盟国と属国からなる大規模にして体系的な支配体制であり、いわば一国家・一民族による他者支配の構図である。その最大権力者が皇帝という名称を帯びるに過ぎない。
ローゼッタ帝国を構成するのは、絶対的権威を所有するローゼッタ本国、それと同盟を結ぶクレセント国を始めとした帝国防衛協同体、その下部の五四の属州である。同盟国と属州の違いは、属州には本国から派遣された総督を置くことと、毎年一定額の金銭を上納しなければならないことだ。
ローゼッタ国が「帝国」という体制を整備してから百五十年、本国と他国間での交流が盛んになり、本国独自の文化も薄れてきた。帝国全域で通じる汎用語に基づく社会が構築され、現在では本国風の慣習・姓名・言語を使用するのは貴族など一部の存在しかいない。
帝国の本国のローゼッタで主要第三都市とされるのが、このグードゥルーンだ。皇帝の本拠であるカイザークローネ、産業を担う大都市バイエルライン、次いで生命体最強である光の民との国境最前線に位置する勃興都市グードゥルーン。本国では歴史の浅い、それでいて混沌とした生い立ちの新生児は他国との摩擦を生みながら成長していた。
本国の首都から見れば辺境の中枢都市であり、都市として完成せずに未だ発展を続けるこのグードゥルーンは、地下組織が勢力を伸張するには都合がよかった。他地域から流入した犯罪者が結びつき、またはしのぎを削るため、治安は決してよろしくない。先日ヒメルが目にしたような犯罪など珍しくもなかった。
さらに犯罪の多さに着目し、荒事を生業とする人種も増加している。ヒメルとゲアハルトもその一員であった。彼女らのように仲介人に仕事をもらい、それを通じて警察と繋がる人物もいれば、犯罪者に直接加担する存在もいた。要は、成長途中の都市であるという表と、治安の悪さという裏を併せ持つのが、この街グードゥルーンであった。
二つの貌を持つグードゥルーンでは比較的健全な地域の道路に、先夜の働きを示したヒメルの姿を見出すことができる。綺麗に舗装された石畳の歩道の脇には高層建築が立ち並び、その一階部分は飲食店や売店として利用されている。
路を歩くヒメルの姿は、衆目を集めるに足る異彩を放っていた。その特徴的な外見もあるが、大半は彼女が背負うカノーネに奇異の視線を向けている。一般人が有するには不釣り合いな兵器がヒメルの職種を暗に語っており、彼女に近づいた人々は関わり合いを避けるように目を逸らしていた。
好奇に晒されている当の本人は慣れっこなのか、周囲の反応を黒い瞳で受け流し、涼しい顔で颯爽と歩を進めている。カノーネを背負っていることを感じさせない軽やかな動作だ。その躍動的な姿態に、思わず彼女の姿を目で追う異性も多かった。
「お前も、少しは人目を気にしたらどうだ?」
どこからともなくヒメルに声がかけられた。彼女の付近には会話を交わすような人物などいないのにも関わらず、ヒメルは不思議そうな様子もなく返答する。
「どうしたの、急に。もしかして、妬いちゃった?」
ヒメルはそう言って、肩越しに吊ったカノーネを視界に収める。からかうような口調で発せられた言葉に、失笑するような気配が返された。
「そんなんじゃないさ。でも、お前にしちゃあ、上出来な冗談だぜ、ヒメル」
ヒメルは右肩から腰にかけて斜めに吊った革製の帯を揺する。その帯はカノーネを背負う役目もあり、同時にカノーネも上下に振動した。どれほどの筋力によるものか、巨大な鉄の塊を背負っていても、ヒメルは動きを妨げられることがない。
ヒメルは不満げに鼻を鳴らしてみせる。
「ゲアハルト、あんたね、こんな美人に担がれてるのに物足りないってなら捨ててくわよ」
直後、低い笑声が漏れた。それは紛うことなくカノーネから生じている。続く答えも無機質な鋼鉄製の肌を通して返された。
「そう言うな。不満はないよ。お前の馬鹿力も重宝しているしな」
「へえ、私の馬鹿力がねえ……!」
勢い余ってヒメルの声が高くなると、周りの通行人が眉をひそめて彼女を見やった。ヒメルは臆せずに複数の瞳を正面から迎えて一蹴すると、無表情をとり繕う。
「おいおい、そんな大声じゃ頭がおかしいと思われるぜ。外では俺と話していたら不自然なんだよ。いい加減、慣れることだ」
冗談めかしていたが、それは忠告にも聞こえる。語尾にも一抹の苦さが名残を漂わせていた。それがヒメルへのものか、軽口が過ぎた自分へのものかは判然としない。
だが、見た目は兵器でも内面は人間そのものであり、その人格も卑しくはないゲアハルトを長年相棒としたヒメルは、彼の言葉に自戒が強いのを察していた。
「ごめん。注意するわ」
軽率な自分を恥じたヒメルは決まり悪そうに呟く。
ゲアハルトには表情も仕草もないため、心情を窺うには声を頼るしかない。だが、続けた口調からはそれを読みとれる材料は淘汰されていて、いつもの冷笑的な彼に戻っていた。
「しおらしいヒメルっていうのは不気味だな。俺の老婆心なんぞ笑い飛ばしてくれりゃ、それでいい」
目線を下に落としてヒメルは黙したまま横道に入った。狭い路地の石畳を踏むのはヒメル以外にはいない。建物が注ぐ淡い影のなかを、一人と一門のさらに濃い影が泳いでいた。
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