第5話 依頼

「今回の依頼はデダラス刑事からのものなの。向こうも立て続けのことで恐縮していたけれど、どうも協力が欲しいみたい。その内容なんだけど、背景まで言った方がいいかしら」

「まあ、酒を飲みながらの暇つぶしには、聞いてもいいけど」

 その言葉を受けたシャルロッテが口を開くよりも先に、酒場の入口からその人物が現れた。扉を閉める音にヒメルが振り向くと、その本人がヒメルを見返して呟く。

「何だ、もう来ていたのか」

 姿を見せたのは、デダラスだった。ありきたりな茶髪と碧眼を有し、刑事よりも弁護士に見える鼻筋の通った端正な顔立ちの男は、無造作にヒメルの横に座る。

「私から話を通しておくから、わざわざ来ることもなかったのに。……水割りにする?」

「いや、職務中なんだ。それに俺が説明した方が確実だからな」



 デダラスは生真面目な口調で言うと、ヒメルに向き直った。

「この前は、よくやってくれた」

「厭味?」

 ヒメルが横目で睨んだ。シャルロッテが置いた果実飲料水で満たされた杯を手にとったデダラスは言う。

「素直に感謝しているよ。一人が重傷でそれ以外は軽傷というのは予想以上だ。お前のことだから、死体の山ができるのじゃないかと危惧していたんだが、いい仕事ぶりだった」

 ヒメルは破顔して杯を呷った。

「おい、デダラス忘れるなよ。砲弾は火薬量の少ない小型弾を装填し、なおかつ標的を殺さずに気絶させる絶妙の微調整を照準に施したのは、この俺だからな」

「分かっている。ゲアハルトこそ、ヒメルを誉めてやったらどうだ。見た目じゃ分からんが、お前はヒメルよりも年上なんだろう」



 ゲアハルトの本体はヒメルの隣に立てかけてある。鉄の塊であるカノーネは重すぎるので、椅子に座ると壊れてしまう恐れがあるからだ。

 ヒメル越しにデダラスがカノーネを見やる。ヒメルも気にしていないようでいて、興味深そうに聞き耳を立てていた。

「まったく、こんな身分になって歳がどうのなんて関係ないさ。それにヒメルは相棒だ。文句は言っても、誉めるなんて間柄じゃない」

 ヒメルが失望したように目線を落とす。デダラスは苦笑を口元に浮かべて話題を変えた。

「なるほどな。それじゃあ本題に入らせてもらう。今回俺が頼みたいのは、暴動の鎮圧だ」



「暴動が起きているとは思えないんだけど」

 ヒメルが問い返した。

「現時点じゃない。それが予想される事態なんだ。順を追って話していく。悪いが、お前達にはつまらなくても面倒な説明をさせてもらう。……俺が一警官として依頼する以上、これは公務だ。任務を嘱託する相手には、最低限の情報公開をする義務が生じるんでな」

 デダラスは一度言葉を切って続けた。

「それに関することなんだが、お前らは〈青狼屋せいろうや〉マイノングを知っているか」

「さあ?」

 首を傾げるだけのヒメルに代わってゲアハルトが答える。

「ああ、グードゥルーンじゃ老舗だな。香具師やしの元締めだろう」

「そうだ。マイノングは〈青狼屋〉という居酒屋を本拠にして縄張りを拡張させ、現在では売春や露天商など盛り場を軸とした七十の組織の利権を握っている。古くからの地元の顔役だ。最近、その縄張りにちょっかいを出している奴らがいるようなんだ」



 デダラスが言うには、近頃グードゥルーンに流入してきた勢力と地元の勢力との間で対立が生まれているらしい。新勢力の方が縄張りを確保するため、〈青狼屋〉マイノングの影響力を削ごうとしている。先日の覚醒剤の大掛かりな取引を警察が察知できたのも、発端は新勢力側の密告によるものだそうだ。

 マイノングは香具師の古株だけあって余計な抗争を嫌っているが、下っ端の構成員は頭に血が上っている奴らも少なくない。マイノングの目の届かないところで不穏な気配を漂わせており、いつ暴発してもおかしくなかった。

「そして今日の未明に、マイノングの部下が路上で暴行されて死んでいるのが発見された。西部第八区の路地裏が現場でな、あそこはマイノングの縄張りだ。そんな場所で奴らに喧嘩を売るなんて、敵対勢力しか考えられない。まったく、いらんことをしてくれたもんだ」



 デダラスは溜息を吐いた。喉を潤すように杯を口に運ぶ。

「こうなったらマイノングも行動を起こすしかない。部下を殺されて仕返しの一つもしないんじゃ、子分や余所の組織に示しがつかないからな。近いうちに、それなりの報復があるだろう。片っ端から敵対組織の構成員を殺害するか、殴り込みもあるかもしれん」

「それで暴動の懸念があるってこと。話は分かったわ」

デダラスが口を閉ざすと、ヒメルが声を発した。話に興味も無さそうに、酒杯から垂れた水滴を指先で弄んでいるだけかと思われたが、内容はしっかり把握しているようだ。

「暴動が起こった場合、俺からの連絡ですぐに現場に来てほしい。始まってから依頼していたら手遅れだからな。だから前もって依頼しておきたいんだ」

 それまで沈黙していたシャルロッテがヒメルに目を向ける。

「そういうことなんだけれど。ヒメル、どうかしら。厭なら断ってもいいのよ」



 逡巡を見せずにヒメルは答える。

「やるわ。私とゲアハルトの直通回線を開いておくから、いつでも連絡して」

「そうか。よかったよ」

 デダラスは安心したように目元を緩めた。

 ヒメル達のやりとりに口を挟まないでいたゲアハルトが疑問の声を放つ。

「しかし、それだけのことか。その辺の破落戸ども同士の喧嘩なんぞ、俺達の出る幕じゃないだろう。厄介だというのは、ちょっとばかし言い過ぎてやしないか」

「言ってくれるな。だが、〈青狼屋〉マイノングをそれほど侮るな。俺だって警官の端くれだ。自力で犯罪を収めたいよ。……それが望めないほどに、今のグードゥルーンには化け物みたいな犯罪者が横行してやがる」

 デダラスは苦笑して言った。そこには意外なほど自責が強い。



 シャルロッテの擁護が割って入った。

「〈青狼屋〉は古参だから既得権益が多くてね。その資金で有名な人物を囲い込んでいるみたいなの。看板となる男は、アーマンドかしら」

「アーマンド。……〈二丁拳銃〉アーマンドか? そうだとしたら、最初に言ってくれ!」

 ゲアハルトが急に語気を荒げたのに驚いて、ヒメルが尋ねる。

「何、そんな凄い奴なの?」

「帝国軍人崩れの殺し屋だ。上司を殺して脱走した挙句、追手を四十人返り討ちにしている。気取って二丁拳銃を扱う奴らは幾らでもいるが、そのなかで〈二丁拳銃〉という二つ名を冠するってだけで、腕前が知れるだろう」

「そうなのよ。その他に、南部のスズラン同盟所属のシュラク出身、〈人喰い〉と呼ばれたアウルス夫妻も雇われているわ。故郷に流れる川を赤く染めたとまで言われる無差別殺人者の夫婦よ。この二人も要注意ね」



 シャルロッテがそつなく補足したことで、ゲアハルトが唸った。

 デダラスが手帳を開きながら、さりげなくつけ足す。

「あ、それと、用心棒の女も新しく雇われたようだな。詳細は不明だが、いきなり側近になったのを考えると、実力に疑いはないだろう」

「つまり、俺達にとって重要な情報が後から出てきたと理解していいんだな」

 ゲアハルトの真剣な響きを伴った声音を浴びて、デダラスは席を立って出口に向かう。

「さてもう時間だな。ご馳走さん。いや、お前達が依頼を快諾してくれて助かるよ。じゃ、有事の際はよろしくな」

 重々しい扉をくぐってデダラスは姿を消した。

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