第19話 ゲアハルトとデダラス刑事

 ヒメルは救急車で搬送され、すぐに医師の治療を受けた。手術によって体内の弾丸を摘出した後、専門の医科識使による医療系の〈識〉を施された。術後の回復を早める〈識〉は普通別料金がかかるのだが、そこはデダラスが請け負っている。

 数時間に渡る治療を終えたヒメルは病室に運ばれた。個室をあてがわれたのはデダラスの配慮らしい。

 明かりの消された暗い室内で目を閉じているヒメルの横顔に、不意に淡い光が浴びせられた。デダラスが病室の扉を開け、廊下から漏れた照明がその頬に注がれたのである。



 デダラスは扉を開いたまま身を引き、背後の人物を先に通す。その後ろから現れた二人の警官が重そうにカノーネを病室に運び入れた。

「よっと。それにしても重い代物だな」

「まったくだ。こんなもん、よっぽど馬鹿力じゃなけりゃ役に立たんだろ。この女が武器として使う以外に、使い道なんてないだろう」

「違いない。何考えてこんなもの作りやがったんだか」

「お前ら、無駄口を叩くな。ほら、その壁際に立てかけるんだ。そっとだぞ」

 デダラスが注意を呼びかけ、男達は急ぎ、それでいて丁寧にカノーネをヒメルの頭の側にある壁に立てかけた。

 部下が会釈して退室するのを見届けると、デダラスは溜息を吐いて病床の横にある椅子に腰かけた。ヒメルを気づかってか、照明は点けていない。



「済まないな」

 デダラスが言った。勿論、寝ているヒメルにではなくゲアハルトに対して。

「いいんだ、依頼だからな。ヘマをしたヒメルが……」

「いや、そうじゃなくて、……部下の」

「ああ、それこそどうでもいい。俺だって、同じことを思っている」

 ゲアハルトの平淡な声音が闇に溶け、デダラスが重苦しい息とともに言葉を押し出した。

「ヒメルにも悪いことをした。俺がアーマンドのことを見くびっていたせいだ。奴が、まさかヒメルでも敵わない強さだとは思わなかった」

「だから、それは気にするな。彼我の力量を弁えずに無理をしたヒメルに非があったんだ。俺が何度も注意したのに、意地を張り通した結果がこれだ」



 ゲアハルトは言葉を切って、続きを口にする。その口調には自責が強かった。

「それを言うなら、俺が判断を誤ったことが一番の原因か。ヒメルの言うことを無視して、時機を見て警察の応援を請えばよかった。俺が甘かった」

 ゲアハルトは、ヒメルが彼の再三の警告を受け入れなかったことを思い出していた。当然のことながら、ヒメルに無断で警察の突入を要請することもゲアハルトにはできたはずである。それをしなかったのは、確かに彼のなかに甘さがあったのだ。

 だが、その甘さとはヒメルに対するものではなく、恐らく自分に向けたものだろうと、ゲアハルトは今更にして気づいていた。

 これまで幾度もヒメルに苦言を呈しながら、結局はヒメルの意見を許容してしまうところがゲアハルトにはあった。それは優しさではなく、彼自身がヒメルに嫌われたくないという保身に近い思考を持っていたことを意識せざるをえない。



 二人の警官が言ったように、ヒメル無くして彼の本体であるカノーネの存在意義はない。先天的な〈識〉の恒常発動による怪力、というヒメルの特異体質を有効に利用するため、規格外のカノーネが製作されたのである。それにゲアハルトの人格が移転されたのだ。

 ヒメルの他に使い手が存在しないため、ヒメルが彼を必要とする以上に、ゲアハルトは彼女を必要としている。研究所時代の外の世界を知らないヒメルならいざ知らず、研究所という束縛から解放された彼女には、戦科識使以外に選択できる生き方が幾らでもある。

彼の保身のためにヒメルの生命が脅かされたのではないか。その疑念に、ゲアハルトは慄然とした。後でヒメルに恨まれるのも構わず、助けを呼ぶのが彼にとって適切な選択であったかもしれない。



「あまり自分を責めるなよ、ゲアハルト」

 思惟に没頭していたゲアハルトに、デダラスの静かな声がかけられる。ゲアハルトの内心を読んだかのような言葉に驚いたが、彼は冷静に返した。

「いや、大丈夫だ。少し考えごとをな」

 ゲアハルトは言った。室内に溢れた闇が微かに和らいだのは、それまで雲に隠れていた月が姿を現したのだろう。

「ゲアハルト、聞きたいことがあるんだが」

「ああ、どうぞ」

「ヒメルは、なぜあれほど警察の突入を拒んでいたんだ? アーマンドを単独で倒すとか、そういった功名心に縁遠い娘だろう、ヒメルは」

「それは、まあ、そうだな」

「そうだったら、どうして危険を冒してまで一人で戦おうとしたんだ。何がヒメルをそこまで駆り立てる?」



 デダラスは心底理解できないという風に首を横に振った。

「言わなかったか? ヒメルは人的被害を抑えたかったんだよ」

「それは聞いたが……。俺の依頼は、暴動を鎮圧することだったはずだ。どうして無理にでも一人で戦おうとしたのかをだな……」

「ヒメルは、お人好しだからな。傷つくのが自分だけに越したことはないと考えたんだろう。足りない頭で考えたにしては立派だが、お前には謝らなければな」

 デダラスは両方の掌で顔を覆った。指の間から覗く双眸はきつく閉じられ、呼気には心労の微粒子が高濃度で含まれている。

「謝る必要はない。……そうか、そうか。俺達の身を気づかっていたのか。そんなことも知らず、俺はお前達を急かしていたのか。悪かった」

「止めろ。ヒメルが好きでしたことだ」

「警察の被害は四四人の重軽傷だが、一番の重傷者はヒメルだ。若い女に無理させて、何しているんだか、俺は」


 

 職務に忠実な刑事は呟いた。己の無能を呪う両目は、ガラス窓に映る彼自身の姿を睨みつけている。

「仮に警察の介入が早かったとしても、結果は変わらなかったろう。アーマンドの帰路が、より多くの警官の血で彩られただけだ。それより、その後の動向は?」

 デダラスが目線を水平に動かしてゲアハルトを見やった。

「……〈四宝組〉は組織の体裁を保てずに近く消滅するだろう。アーマンドとアウルス夫妻、もう一人いた女は追跡を撒いて上手く隠れた。マイノングが匿ったんだろうが、マイノングも警察の追及を平然と受け流している。さすがに手慣れたもんだ」

「お前は戦闘より捜査の方が本分だろう。何か情報はないのか」

 デダラスの口調に気力が少し増した。



「ある。アーマンドは最近多数の殺人を犯している。数日前に盛り場で三人の遊び人が射殺体で発見された。それを嚆矢として他に五名の男が殺害されている。四人はチンピラだが、一人は飲食店従業員だったか。弾丸の旋条がいずれも一致している。で、それがアーマンドの愛銃というわけだ」

「チンピラ? アーマンドがそんな安価ちんけな殺しをするか疑問だな」

「しかし、奴の愛用している銃は名品で市場に出回っていないという話だぞ」

 ゲアハルトは俄かには信じられない。

あのマイノングが、アーマンドほどの令名を誇る殺し屋にチンピラなんぞの相手をさせるだろうか。殺しを命じられれば、アーマンドは酔狂で受諾するかもしれない。だが、マイノングは大物の待遇を知っている。雑事は手頃な部下に任せる方が自然だった。



 そこまで考えたとき、ゲアハルトはアーマンドの何気ない一言を思い出した。

「確か、アーマンドは拳銃を一丁しか持っていなかったな。もう一丁は盗まれた、自分でそう言っていた」

「盗まれた?」

デダラスが反復し、その瞳が驚愕によって見開かれる。

「そうすると、アーマンドの銃を盗み、それで連続殺人を行っている人物が存在するのか?」

「俺が知るか。そこから先はお前の仕事だろう」

「む、そうだな。よし」

 デダラスが立ち上がったとき、彼は刑事の顔つきをしていた。

「その線も含めて捜査してみよう。……ヒメルが起きたら連絡をくれ。見舞いに来るよ」



 デダラスの視線がヒメルの頬を撫で、そこに痛ましげな色があるのをゲアハルトは見逃さなかった。それを目にしたゲアハルトは、かつてのデダラスの話を脳裏に呼び覚ます。

 ヒメルとデダラスがシャルロッテによって引き合されて間もない頃、酒場でヒメルと盃を酌み交わした彼が酔いつぶれて、問わず語りで独白したことがある。

 三二歳になる彼は離婚歴があり、二人の娘の養育費を払うために日夜職務に精励しているのだと。何よりも、娘が誇れる警官でありたいのだと。若い女性が傷ついたことに対して、ゲアハルトの想像以上に彼は心を痛めたのかもしれない。

「分かった。お前も、頑張ってくれ」

 激励の言葉に手を上げて謝意を示し、デダラスは病室を出ていった。

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