終章

「ご苦労様だったわね。ヒメル」

 ヒメルがブリジットと死闘を演じてから数日後、療養を経てシャルロッテの酒場に姿を見せたヒメルを、酒場の主はいつもの笑顔で迎え入れた。

「傷だらけになったと聞いて、心配していたけれど」

「うん。何とか大丈夫だったわ。あ、いつものね」

 ヒメルが相棒を横に立てかけて腰かけると、間を置かずに酒杯が差し出される。



「デダラス刑事が誉めていたわ。あなたのおかげで、クラウスを生かして逮捕できたと」

「そうなの。デダラスの怪我はその後どう?」

「心配ないみたいよ。後遺症も残らないらしいわ」

「ほう。それは、よかったじゃないか」

 他に客がいないので、ゲアハルトが肉声で喋る。



 連続殺人犯逮捕という報道は、警察の面目を保つのに貢献したようだ。クラウスは取り調べに素直に応じているらしく、なぜ事件を起こしたのかと問われると、「刑事に憧れていた」とだけ供述したという。あの男なりに、道を踏み外した理由があったのだろうか。

 また〈青狼屋〉は元締めのマイノング以下、アーマンド、ブリジット、アウルス夫妻など、数多くの戦力を喪失して弱体化していた。親の跡目を継いだ二代目マイノングが必死に縄張りを守っているが、支配力の低下は免れないだろう。



「それとね、シュガーの言伝で、ブリジットは無事に街を脱出できたということよ」

「……そうか。そうか。あの若造に感謝しなければな」

「だから、ヒメルの報酬からシュガーへの報酬分を引いておくわね」

「何だと?」

 シャルロッテがヒメルに目配せした。得心したヒメルは代わって説明する。

「ブリジットを逃がしてってシュガーに依頼したから、その報酬を私の分から支払うことにしていたのよ」

 それは分かるとしても、その話をヒメルにさせるというのが、シャルロッテの油断できないところなのだ。そうゲアハルトは思った。



「依頼を完遂したことで、また〈カノーネの恋人〉の評判が上がったみたいよ。あなたへの依頼が増えているわ」

「よかった。これで食い扶持を稼ぐ当てに困らないのね」

「ええ。この街は、あなたを歓迎しているわ」

 ヒメルが酒杯に口をつけ、琥珀色の液体を呷った。



 そのとき、酒場の扉が勢いよく開かれ、慌ただしく中年の男が入ってきた。それに驚いたヒメルの手が揺れ、酒に浮かぶ氷が音を立てる。

「おい、急いでいるんだ! 〈カノーネの恋人〉とかいう評判の戦科識使に会えるという酒場はここか? 早く呼んでくれ! 命を狙われて、た、助けてもらいたいんだ!」

「まあ。そうなのですか。運が宜しくていらっしゃいますね」

 男が怪訝そうな目でシャルロッテを見つめた。ヒメルは残った酒を飲み干しつつ、その男を横目で捉えている。



『やれやれ、俺達は休息とは縁遠いようだな』

 通信に切り換えたゲアハルトが皮肉気に呟いた。ヒメルは彼の言葉に笑みを零すと、酒杯を卓上に置いた。

 その音で男は初めてヒメルの存在を意識したのか、その瞳に彼女の姿を映した。

「その話、聞こうじゃない」

「な、何だって?」

 ヒメルが横に置いたカノーネに手を触れながら言った。

「私が〈カノーネの恋人〉よ」


                                 〈了〉

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カノーネの恋人 小語 @syukitada

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