第23話 事件の後

「へえ。本格的な〈識〉の治療って、傷口も残らないものなのねー。よかったー」

 ヒメルは自室の姿見に惜しげもなく全身を晒し、傷の治り具合を確かめている。彼女がアーマンドから受けた銃創は綺麗に消え去って、白い肌が残されているだけだ。

「もう分かっただろう。早く服を着ろ、莫迦」

 寝台の横の壁に立てかけられたまま注意するゲアハルトの声が硬い。素肌を見るため当然のことながら、ヒメルは衣服を身に着けておらず、慎みが足りないとのそしりを免れない格好をしている。恥じらう素振りのないヒメルがゲアハルトに向き直った。



「いいじゃないの。どうせ誰も見ちゃいないんだから」

「俺を除外してもだな……、年頃の女たるもの人目がなくても嗜みを忘れてはいけないと言っているんだ。その点、お前はがさつすぎる」

「ええ、ええ、分かりましたわ。ゲアハルトさん、これでよくって?」

 ヒメルがそう言って、寝台に投げ出してあった衣類を着用し始める。

 随分と気分が弾んでいるようだが、それも無理からぬことだと彼は思う。醜い傷が肌に刻まれないというだけで、女性としては喜ぶべきものだろう。その辺は女らしい奴だ。

「よかったー、退院できて。これで酒場に行けるわ。じゃなくって行けますわ、おほほ」

「あ? 酒場だと。なぜお前が出向く必要がある」

「だって、依頼のことでシャルロッテやデダラスと話さなきゃならないんでしょう」

「そうだが、そんなの通信で済ませられるだろう」

 もしかして、ヒメルが喜んでいたのは酒場に向かえるからではなかろうかと、ゲアハルトは不安になる。



 ヒメルは、あの重傷を専門家の〈識〉の治療があったとは言え三日で完治させ、すぐ退院するという驚異の回復もとい単純さを披露している。傷口が塞がったとしても、体力の消耗は誤魔化しようがないはずだが、彼女が衰弱を感じさせることはなかった。

 入院した初日、つまり搬送されて夜が明けた昼に早くも「快方に向かっている」という医師のお墨つきをもらったヒメルのために、ゲアハルトはデダラスを呼び出した。

「いや、いいことなんだが。あれだけ心配した俺の気苦労は何だったんだ」

 病室に現れた刑事の開口一番の台詞だった。



 安堵と同量の呆れを配合させた苦笑を浮かべたデダラスから、ヒメルは大まかな説明を受けていた。ヒメルの独断で依頼主であるデダラスの意見を排したことで警察の突入が阻害されたため、犯人の逮捕を逃した責任を問われることになった経緯も聞かされた。

 もっとも、それは上層部の見解であり、現場の警官の負傷を鑑みるに逮捕は困難であったという結果が出された。それによって、『暴動を鎮める』という依頼は完遂できなかったものの、ヒメルの治療費は警察で支払うことになった。

ヒメルの退院間近になって、デダラスが依頼に関する話を持ち出し、都合がついたのが今日であった。



「ま、軽い運動がてら酒場まで歩くのもいいものよ」

 ヒメルが言い訳がましく述べると、ゲアハルトは非難がましく語った。

「また無理をして倒れても知らないからな」

「だったら、この重い荷物は置いてこうかしら」

 衣装を整えたヒメルがカノーネを拳で小突いてみせる。

「ちッ、外出くらい許可してやる」

 ゲアハルトが降参すると、ヒメルはちゃんとゲアハルトを伴ってシャルロッテの酒場を訪れた。まだ昼過ぎで客はいないはずだったが、一人の男がカウンター席に座っている。ヒメルの気配に気づいて振り返ったのはデダラスだった。



「どうした、ヒメル。お前、もう動いていいのか」

「ええ、おかげさまでね」

 ヒメルはデダラスの横に座る。カノーネはデダラスの反対側に置いた。

「おいおい、いいのか、ゲアハルト」

「俺だって注意したんだ。それを聞かなかったのはヒメルだからな」

 男同士のやりとりを余所に、ヒメルはシャルロッテに注文を頼んだ。

 それが酒だったのでシャルロッテが探るような目線をゲアハルトに向けたのを察し、彼はヒメルに苦言を呈した。



「お前は病み上がりなんだぞ、ヒメル。ちょっとは控えろ」

「じゃあ、一杯だけ。それならいいでしょう。ね、水割りにするから」

 それでゲアハルトが納得したわけではないが、彼が反論をするよりも先にシャルロッテが水割りを差し出した。ヒメルが素早く杯に口をつけて既成事実を作ってしまうと、ゲアハルトも黙るしかない。

「今日はこの前の依頼の件で話があるのだったな」

「そうだ。シャルロッテにも話があって俺もここに来たんだが、ヒメルまで来てくれるとはな。通信でも事足りるが、直に会った方が分かりやすい」

 デダラスはやはり前回と同様に果実飲料水を手にしている。



「大変だったわね、ヒメル。身体の具合は大丈夫?」

「うん。この通り」

「入院したって聞いて心配だったけれど、こんなに早く元気な顔を見られて安心したわ」

「お前が斡旋した仕事だろう。相手がアーマンドだって分かっていたくせに」

「失敗したのは私のせいなんだから、シャルロッテに当たるのは止めてよ」

 横槍を入れたゲアハルトにそう言ってヒメルが酒を喉に流し込んだ。シャルロッテは相変わらずの微笑を保っている。



「唯一無二の相棒より、そんな女が大事かね。おい、デダラス、早く話を始めろよ」

「そう見えても、やっぱりお前も人間だな、ゲアハルト」

 不機嫌な声を出すゲアハルトを見やって、デダラスはどこか感心したように言った。

「まあ、そうだな。俺の用件を伝えさせてもらおうか。警察の考えでは、ヒメルの依頼は当初の目的を達しえず失敗したことになっている。暴動の実行犯を一人も確保できなかったしな。治療費は払うが、依頼料は払えないとのことだ」

「まるで、全部の責任がヒメルにあるみたいな意見だな」

 皮肉っぽいゲアハルトの言葉に、デダラスは顔をしかめる。



「分かっている。現場の警官が死にもの狂いになってアーマンドに向かったとしても、奴を逮捕できず本当に死体ができるだけだったろう。ま、これは上の決定で、俺が何を言ってもどうにもならん。了承してくれ」

「それについては、私は文句ないけどね」

 ヒメルは酒を見下ろして、その水面に映る自分を見ながら言った。琥珀色の液体は波打つことなく綺麗に彼女の顔を映し、鏡のようだった。

 その様子を目にして、おや、とゲアハルトは思う。ヒメルが手にしている杯の酒がさっきよりも増している。いつの間にか、気を利かせたシャルロッテが注ぎ足したものらしい。これだから、あの女は油断がならないと彼は苦々しく感じた。

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