第39話 ぼくの末路

『よくやったヒメル。この場を閉鎖していた〈識〉が消えたということは、……ブリジットの意識がなくなったんだろう』

 受けとりようによっては気絶しているとも死んでいるとも解釈できる言い方だ。そのどちらを彼は望んでいるのだろうか。



 ヒメルはカノーネを背中に戻した。背後で足音が聞こえたので警官かと思って振り向くと、いつの間にか気をとり戻したクラウスが近寄ってくる。ヒメルは少し驚いた様子を見せたが、戦科識使の彼女がクラウスを恐れることはない。さりげなく警官が駆け寄ってきているのを視野の隅で捉えると、ヒメルはクラウスに向き直った。

 クラウスは得体の知れない動物でも見るような目つきでヒメルを眺め、思い切ったように口を開いた。



「ぼ、ぼくを警察から逃がしてくれるように依頼したいんだけど」

「……あんた、何言ってんのよ」

 ヒメルの返答は問いかけでなく、明確な拒否の言葉だった。表情と声調でそれを雄弁に語ると、ヒメルは目の前の男に興味を失ったようにそっぽを向く。

「ちゃんと金は払うよ。あんたみたいな戦科識使は、金さえ払えば何でもやってくれるんだろう? だから……!」

 クラウスが懸命に食い下がった矢先に出会ったのは、柳眉を逆立てたヒメルの赫怒だ。何が彼女の逆鱗に触れたのか理解できないクラウスがさらに言葉を続けようとする。



 そのクラウスの口を塞ぐように、ヒメルの手が閃いた。高らかに音が鳴り、したたかに頬を張られたクラウスが尻餅を着く。呆然と見上げる彼を汚らわしそうに見やり、ヒメルは背を向けて歩き出した。

 クラウスは小刻みに震えている。見開かれた双眸は、すでに現実を直視してはいない。その手が拳銃を掴み、ヒメルへと銃口が動いた。ヒメルはクラウスのことなど眼中にないのか、彼の殺意に気づく気配はない。



『ヒメル、危ない!』

 ゲアハルトの警告にヒメルが首を巡らして後背に目をやったとき、銃声が響いた。

 深紅の液体が宙に飛び散り、路面に濡れた花弁を咲かせた。それはすぐに滝のような血潮に上塗りされる。クラウスが銃をとり落とし、右腕の銃創を押さえてのたうち回った。



 そのさまを見たヒメルが視線を転じると、三角巾で左腕を吊り右手に銃を持ったデダラス刑事が走り寄ってくるところだった。彼の手にしている拳銃が硝煙を吐き出している。

 デダラスは、地面でもがくクラウスの横に立って彼を見下ろした。脂汗を浮かべてクラウスが刑事を見返す。太陽を背負って逆光に浮かぶ刑事の姿を、クラウスがどう思ったのかは分からない。デダラスは後ろにいた制服警官に言う。

「連行してくれ」

 両脇を挟まれて連行されるクラウスに生者の面影はない。引きずられるようにクラウスは連れて行かれた。



「よかった。無事そうだな」

 銃を懐にしまったデダラスがヒメルを前にして言った。

「助けられたみたいね、ありがとう。撃たれたって聞いたけど、あなたは大丈夫なの」

「ああ。ヒメルに比べれば何でもない。実は、気になって病院を抜けてきたんだ。ゲアハルト、最後にいい場面をもらってしまって悪かったな」

「その根性に免じて、今回は譲ってやるさ」

 デダラスは相好を崩した。いつも切羽詰まったような顔つきをしているデダラスも、久しぶりに緊張が緩んだらしい。デダラスは手を挙げて二人に別れを告げると、警官が働く輪のなかに戻っていった。

 ヒメル、そしてゲアハルトも謝意を込めて刑事の背を見送った。

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