第1話 ヒメル、参上

「何だ!」

 黒い背広を着た男は、覚醒剤密売が無事終わった安堵の溜息に使うはずだった酸素を、その叫びのために消費した。握手していた手を離し、騒々しい音のした場所へ目を向ける。

 そこでは豪快な着地音を立てて地に降りたヒメルが悠然と佇立していた。天井間近の高所から飛び降りたにも関わらず、平気そうに両足を踏みしめて全身を照明に晒している。円筒形の物体をその背に負っていた。

 初めて露わになったヒメルの身体は、かなりの長身であった。その辺の男に見劣りしないほどで、身長に占める脚部の割合も多い。体格は均整を保っていて、ただ筋肉がついているだけでなく、全体を女性らしい柔らかさが包んでいた。



 困惑の飽和状態から逸早く立ち直ったのは、握手をしていたもう片方の中年男だった。

「侵入者か」

 中年の声で落ち着きをとり戻した男達は、招かれざる人物を排除するべく、剣呑な空気を漂わせ始めていた。ヒメルは鋭敏に殺気を感じとりつつも、余裕の態度を崩さない。

「気の毒だけどね、今回は相手が悪いわ。さあ、観念しなさい」

 ヒメルは、革製の帯で背中に吊った巨大な物体を一挙動で抜き放ち、男達の眼前に突きつけた。黒光りする硬質の輝き、彼女とほぼ同等の大きさを有する砲身、それが向いた先に死を確信させる深淵の砲口、それは破壊のためだけに創造された兵器だった。



「バズーカ……?」

 砲口の延長線上に立つ黒背広の男が唖然として呟く。

「あら、あんた流入民ね。本国語じゃ、大砲カノーネって呼ぶのよ」

 ヒメルが訂正を加えると、それに一人の男が反応する。

「カノーネ……、カノーネ? うわ、まずいですよ、ヒュージさん」

「どういうことだ」

 名前を呼ばれた黒背広の男が、訝しげに問い返した。

「最近ここらで評判になっている、〈カノーネの恋人〉とかいう女って、こいつですよ!」

「この女がか」

 女を見てみれば、左手で銃把を握り右肩で砲身を支え、それに右手を添えている。ヒュージに向けられた威圧的な砲口は小揺るぎもしていない。

 我知らず一歩下がったヒュージを気に留めず、ヒメルが面白がるような声を出した。



「……恋人? ゲアハルト、あんたいつから私の恋人になったのよ。出世したわね」

『止めてくれ。がさつで、おまけに馬鹿力の女なんぞ、俺の趣味じゃない』

 素気ないゲアハルトの返答だった。軽口に関してはゲアハルトの方が一枚上手だったようで、ヒメルは不快さを言葉でなく、鼻を鳴らすことで表した。

 一方、密売者側も囁きを交わし合っている。ヒュージの隣に並ぶ中年がほとんど唇を動かさずに話しかけた。

「ヒュージ氏、恐れることはない。敵は一人、我々は十二人だ。あの女よりも、警察から逃げることを考えた方がいい。ここは組織うちの傘下が所有する倉庫だ。多少の抵抗はできる」

「チャールズ……さん。わ、分かってる」

 ヒュージが応じ、チャールズが部下に目配せをする。部下達は、その意を受けて一斉に懐へと手を伸ばした。荒事に慣れた自然な動作だった。

 会話に気をとられていると思われたヒメルは抜かりなくそれに目をやる。

 男達の手が銃を握って懐から引き抜かれ、それが向けられる前に、ヒメルは右側に駆け出した。重砲を抱えているとは思えない速さで、倉庫の沈殿した空気をかき乱す。慌てた男達が埃の舞った先へ、ろくに照準を合わせることもなく発砲した。

 立て続けに起こった射撃音と火花をやり過ごし、ヒメルが口を開く。

「おとなしく捕まる気はないようね」

『そんな甘い奴らではないさ。俺が援護するから、好きにやれ』

「お願い」



 一団の側面に回り込んだヒメルを男達はようやく確認した。そのとき、ヒメルの構えたカノーネの砲口が光を発する。噴煙の尾を引いて放たれた砲弾は男達と距離を隔てた場所に着弾。爆発がその場にいる者の視界を赤く染め上げ、次いで衝撃が身を震わせた。

 目的が犯罪者の逮捕ということで、死者を出さないよう意図的に狙いを外したが、それでも数名の男が吹き飛んで床に身体を打ちつける。すでに失神しているのか、指先一つ動かす者はいない。

 打ち所が悪くて死んでなければいいが、とゲアハルトは切に願った。

「ゲアハルト、次弾装填」

『済んでるよ』

 内心の懸念を隠した声音でゲアハルトは応じる。

 そのやりとりを経て、再びヒメルが引き金にかけた指先に力を加えると、ヒメルは弾の補充をしていないのにも関わらず、先ほどと同様に砲弾が射出された。バズーカカノーネの構造としては、ありえないことだった。



「ありゃあ〈しき〉かよ。ちくしょう、無茶しやがる」

 二度目の砲撃でさらに部下を減らされたヒュージが、噛みしめた歯の隙間から言葉を押し出した。声には微量の恐怖が含まれている。それでも徒党の頭領たる自覚からか、短刀を手にしてヒメルの隙を窺っていた。

 秩序だった抵抗をできぬまま、三回目の爆発光が瞬くとヒュージ、チャールズ両名の部下は全滅していた。穿たれた石製の床から昇る黒煙の周囲に、十人の男が横たわっている。その大半が気を失っており、呻き声を上げる数名も反撃する気力を喪失しているのか、立ち上がる者はいなかった。

 残る二人の姿を探すヒメルの瞳に一条の煙が映っている。突然、その黒い幕を割って、短刀を振りかざしたヒュージが姿を現した。



 ヒュージの捨て身の一撃だけあって余裕のなかったヒメルはカノーネを横にして防ぐ。振り下ろされた刃が鉄製の砲身と触れ合って朱色の輝きを放った。ヒメルに顔を近づけたヒュージが必死の形相で言葉を発する。

「どうだ。この状況じゃ反撃できねえだろう。お前が攻撃すれば、自分も巻き添えを食らうからな。識使しきしとはいっても、女の分際で、この俺を見くびったなあ」

「何で反撃できないのかしら」

 ヒメルは怪訝に首を傾げた。直後、カノーネを振り上げてヒュージの短刀を跳ね上げる。

 両手を上げた体勢で、二人は対等の条件となる。得物が小振りなだけヒュージの方が素早く対応した。短刀を引き寄せると、ヒメルの腹部めがけて一直線に走らせる。

 その刃が血に濡れることはなかった。

 ヒメルが体を開いて短刀を避けつつヒュージの右側に移動、続くヒュージの振り払うように薙いだ斬撃をかいくぐる。上体を沈めたヒメルを見下ろすヒュージの瞳に痛恨の悔いが浮かんだ。



 ヒメルが上半身を戻すと同時にカノーネの砲身をヒュージの胸に叩きつけた。一瞬だけヒュージの両足が地を離れ、肋骨が砕けたことを鈍い響きが知らせる。唇の端から泡を吹きながらヒュージは悶絶して崩れ落ちた。

 倒れるヒュージに目もくれず、ヒメルはもう一人の男に狙いをつける。雑魚との戦闘でチャールズの姿を見失ったが、出口へと逃亡する靴音がその位置を明確にしていた。

 チャールズは振り向いて味方が残っていないことに気づくと、足を止めて射撃を始めた。照準は正確だったもののヒメルがカノーネを盾にすると、銃弾は鉄製の肌に火花を散らすだけでヒメルの肉体に食らいつくことはできない。


 やがて弾切れの無音が場を満たした。顔面を蒼白にするチャールズに、ヒメルは砲口を向ける。チャールズが息を飲んだ。

 その緊迫を破るように、チャールズが背にした扉が開く。そこから吐き出されたのは、拳銃を構えた警官達だった。警官は立ち尽くすチャールズとヒメルを見比べて立ち止まる。

「何をしている。は、早く私を逮捕しろ!」

 チャールズが叫ぶと、警官がその身を拘束した。直後、倉庫の各出入口から警官隊が突入してくる気配があり、屋外で現場指揮の任に当たっている刑事の声が上がった。



 どこか安堵したように連行されるチャールズを眺めて、ヒメルはカノーネを下ろした。

 彼女の周囲で忙しく働く警官のなかに、ヒメルに今回の仕事を依頼してきたデダラス刑事も加わっている。デダラスは倉庫内で横たわる被疑者の惨状に目を細め、要請を発した。

「まずは救急車を呼べッ。救急車の手配を優先しろ!」

 デダラスは、さも仕事を終えたように澄まし顔のヒメルに向け、高々と言った。

「救急車!」

 そのまま去っていくデダラスの背に向けて、ヒメルが憤然と声を放つ。

「何よ!」

『だから、そういうことだ』

 ゲアハルトが疲れたように呟いた。

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