カリフォルニアの魔女 3
なるほど、ヴァンパイアハンターとしてAVWを使用したこともあったヨハンなら、形相エネルギーと質量エネルギーの関係性について本が書けるのも疑問ではない。
「待って、何かがおかしいわ」
ミリアーナが言った。
「ヴァンパイアハンター協会がAVWの試験的な実戦導入を始めたのは今から十年前よ」
「そういやぁ、そうだったか」
ヴェッキーが初めてAVWを見たのが、ヨハンと対峙した10年前。それ以前は多くのヴァンパイアハンターと戦ってきたが、装着した姿を見たことは一度もなかった。
「でも、この本が書かれたのは今から四半世紀以上前だってことになると……ヴァンパイアハンター協会がAVWを開発する十年以上前から、ヨハンはかなり高度の事象
ヨハンがAVWの設計に関わったという話を聞いたことはない、とミリアーナは付け足した。
「ミリアーナのおとーさんは謎のおーい人物なんだね」
「いや、このことを深追いするのはやめようぜ。すまねぇシャルロッテ、今はこの本を守ることが先だよな」
正直むず痒さの残る気持ちだったが、どこかで踏ん切りをつけないと前には進めない。
「それで、この本を何から守ればいいんだ? 泥棒か、テロリストか、ポリか?」
シャルロッテは首を横に振った。
「どれでもないのですね」
「だとしたら何なの?」
答えたのはハスラーの方だった。
「我々はこの本を、ヴァンパイアハンター協会の破壊工作員の手から守らねばなりません」
「ヴァンパイアハンター協会?」
どうして彼らがこの一件に噛んでいるのか?
ヴェッキーにはまるで見当がつかなかったが、シャルロッテは考える暇も与えずに、ハスラーの発言に付け加える。
「ヴァンパイアハンター協会からの破壊工作員がここに来るのは明後日なのですね」
この本にヴァンパイアハンター協会にとって手段を選ばず消さなければならないような、不都合な内容が書かれているのだろうか?
確かに形質エネルギー論の核心に近い内容であることは間違いない。それが世に出回ることになれば、形質エネルギー論と魔術の危険な知識が不特定多数の人間に流布されることになる。協会はそれを恐れているのかもしれない。
「で、どうしてそれが明後日ってわかるのー?」
「それは……」
シャルロッテは暫しの沈黙の後、口を開いた。
「私がこの本に書かれている魔術を使って、未来を覗いたからなのですね」
彼女はアクリルケースの鍵を開け、ハードカバー本のページをパラパラと捲った。そして、ある章でそのページを止める。
それは未来透視について書かれた章だった。見開き一ページを使った精巧な幾何学模様の図示と、それ以降は長ったらしい解説が続く。その幾何学模様を見て、ミリアーナがあることに気づいた。
「これって、焼門印? ヴァンパイアハンターが背中に描いてるものよね?」
「そうなのです、この書物に書かれている魔術の発動プロセスは形相エネルギーを幾何学模様に閉じ込め、それに質量エネルギーを流し込む。まさに、それはAVW生成の基本と同じなのです」
ヴァンパイアハンターの背中に特殊な方法で描かれた幾何学模様、それが焼門印。
焼門印は事象を現実態(エネルゲイア)化するための鋳型の役割を果たす。そこに所有者の質量エネルギーが流し込まれることで、あたかも事象が門の内側から姿を表すように、現実のものとなる。
「魔術の場合は魔方陣と呼ばれ、AVWの場合は焼門印と呼ばれるそれだけの話なのですね。結局この二つは形相エネルギーを表現する幾何学模様という点で共通しているのですね。私はこの幾何学模様を正確に書き起こし、自身の質量エネルギーを流し込むことで、未来を見るという現象を現実のものとしたのですね」
「ところで、その透視した未来はどんなものだったんだい?」
マルタウスが尋ねる。
「明後日の十四時過ぎに破壊工作員がこの家の前にやって来るのですね。そして……」
「そして……何なのよ?」
「そいつはとても疲れていて、あまり元気がないのです!」
シャルロッテはふんと鼻息を荒くして、自慢げに言い張った。
「え、それで終わりかよ?」
思わずずっこけそうになる。
「オレ達はそいつを撃退できるのか?」
「……」
シャルロッテが腕を組んで目を閉じた。
必死に脳を絞ろうとしているようだが、何も出てこないようだった。
「お嬢様が行った魔術ではそこまで先のことは、見えませんでした」
ハスラーが付け加えた。
「その通り、それより先の未来は何も見えなかったのですね……真っ暗な闇しか見えなかった。つまりその先は私たち次第なのですね」
どうやら彼女の未来透視は完全ではないようだ。
彼女自身もなぜ透視に失敗したのかは完全には理解できていなかったようでもある。
「でも、ポジティブに考えればその破壊工作員は本調子じゃないということだろう? 僕たちは六人がかりだ、負けることは考えられない!」
ヴェッキー達はこれまで何人かのヴァンパイアハンターと対峙してきた。もちろん、まぐれもあるが、それでも今まで彼らに負けたことはない。ましてや、シャルロッテの話が正しければ今回の差し向けられた敵は本調子ではないらしい。正直、あまり負ける気はしなかった。
「ということなので、明後日の対決に向けて、今日はぐっすり眠って、明日は思いっきり遊ぶのですね!」
「おー!」
トラノフスキーが腕を高く上げて同意する。
「余裕ぶっこきすぎだろ……」
「まずは夕食、私自ら作った料理をご堪能あれなのですね!」
一行は食堂へと向かった。
♢
ヴェッキー達の前に出されたのは薄切りにしたハンバーグのようなものに半透明の黄色いソースをかけたものだった。付け合わせにはキャベツの漬物と裏ごしされたじゃがいも。
「じーさんに作らせた方が良かったんじゃなーい?」
「この肉はなんだ?」
よく見るとその肉は端が四角くなっている。もともと太いソーセージのようなものだったのをスライスしたのか?
「それは『スクラップル』のアップルソースがけなのですね。ペンシルヴァニア・ダッチの代表的な保存肉で、豚肉の切れ端とトウモロコシの粉を固めたものなのですね」
試しに口に入れて見ると、それはハンバーグとは違い、外はかりかりと香ばしく、中はもちもちとしていた。なるほど、ソーセージよりも重くなく、それでいて薄く塩味がついている。
「これは、ビールが欲しくなるね」
マルタウスが言った。
「私の一族、アルペンハイム家はペンシルヴァニア・ダッチだったのですね」
シャルロッテの先祖はスイスからやってきたドイツ系移民で、長らく五大湖周辺に住みつき肉体労働者をしていたという。
貧しい生活から逃げるように彼女の曽祖父は西海岸に移住した。そこで彼は幸運にも西海岸にて石油の採掘に成功し、今や巨大な石油メジャーへと成長を遂げたそうだ。
「今の私があるのは、ひとえに多くの苦難を乗り越え逞しく生き抜いた先祖のおかげなのです。だから私はこうしてたまに一族を讃え、先祖への感謝を伝えるためにペンシルヴァニア・ダッチの家庭料理を作るのです。もちろんハスラーに食事を作らせた方が美味しいのは間違いないのです、正直私はあまり料理が上手ではないので……。
でもですね、それでも自らの手で作り、自らで食し、自分が何者であるかを見つめ直す、そうすることが私を私らしくしてくれる儀式である気がするのですね」
「アンタにとってはこれがソウルフードなのね」
「はい!」
「自分が何者であるかか……」
ヴェッキーはその言葉を繰り返した。自分は「アリゾナ最強最悪の吸血鬼」として多くの罪を重ねてきた。そして今は「グランド・キャニオン国立公園」の世界遺産型吸血鬼になりヨハンを探す旅に出ている。
だが、それらは全て外から与えられたレッテルに過ぎない。様々な肩書きを捨て去り裸の状態になった時、丸裸の
その問いに対して簡潔に答えるのはとても困難な気がした。
「自らが何者であるか」それは、自らの生に深く直結する問い。
だからこそ、適当に答えを出すことはきっとやってはいけない、けれど答えを出すことを恐れていては、いつまでたっても自分は「宙ぶらりん」のままだ。彼はその問いの答えに自分より近づいているに違いないシャルロッテを羨ましく感じた。
☆不定期開催豆知識
スクラップルと似たようなドイツ系アメリカ人の料理に、ゲッタというものがあります。これは合挽き肉に、スパイスや大麦を加えたもので、オハイオ州シンシナティではポピュラーな食べ物なんだとか。
一方でこのレシピがスコットランドの料理ハギスと酷似していることから、そちらの発祥なのではという説もあるようです。
グランド・キャニオン〜最強最悪吸血鬼、世界遺産になる うらぐちあきら @akirauraguti
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