「目指すぜ、ロサンゼルス!」編

おかえりヴェッキーアリゾナへ@グランド・キャニオン国立公園

 幾千の星が輝く藍色の空を、鮮列に貫いた暁の光。


 眼下にひろがるは、荒々しく浮き彫りにされた地球の記憶。

 酸化した鉄を含んだ錆色の地層、どっしりとした黒い地層、さらさらとした砂の地層……それらが織りなす歴史の絵画。露わになった遠い過去の記憶。

 記憶は踏み固められ時代となる。そして時代は物語る。

 何かを、誰かに。


 グランド・キャニオン国立公園。

 アメリカ合衆国十七番目の国立公園で、1979年登録の世界自然遺産。

 この雄大で美しい風景を一目見ようと訪れる観光客は年間約400万人。今や北アメリカで最もメジャーな景勝地の一つである。


 5月28日未明、ミリアーナ・ベーカリーはサウスリム、ヤキポイントから大峡谷を見下ろしていた。


 谷底から吹き上がった風が、彼女の黒髪を撫でる。毛先がさわさわと耳を掠めるので、それがどうにもくすぐったかった。ここは大峡谷を見下ろせる人気スポットだが、珍しく観光客は一人もいなかった。ミリアーナを含めてだ。

 何が言いたいかというと、彼女は遊びに来たわけではなかった、ということだ。


 今はまだ誰かに見られてはいないものの、だからといって悠長にしていられるわけではない。彼女は目的達成の瞬間を今か今かと待ち望んでいたところだ。


 崖の先にしゃがみこんでいる男に呼びかけた。


「ちょっと、いつになったら終わるのよ! もう日が昇ったんだけど?」


 かれこれ二時間はこの調子だ。彼女はよく怒りっぽいと言われる。だが、今ばかりは自分の立場にいたら、百人中百人はイライラして当然だろうと思っていた。

 男は肩を落としてとこちらへ歩いて来た。


「すみません、やっぱり私には無理です」


「無理ィッ? どういうわけよ!」

 ミリアーナは思わずカッとなって男の頰っぺたを両手で挟んだ。

 唇が前に出て何だかフグみたいだ。


「ですから、私の力では地中に眠った人間を起こすことはできない、ということです」


「アンタ、プロでしょうが! 意地ってもんがないの?」

「いや私……呪術師とかじゃなくお土産屋なんですけど」

「お土産屋……?」

 ミリアーナは自身のことを「お土産屋」だと言い張る男の頬っぺたを掴んだまま、投げた。彼はゴロゴロと岩の上を転がっていった。


 話は今日の午前二時ごろにまで遡る。

 彼女はグランド・キャニオン近郊の町フラッグ・スタッフで呪術師の店を探していた。彼女の愛車、赤のミニクーパー5doorはある奇妙な外装の店で停まる。入り口の前にはエスニックな彫像品や編み物が展示してあり、まるで呪いに使う品のようだ。


『これだわ!』


 きっと呪術師の家に違いない、彼女は息を弾ませて店のドアを叩いた。

『誰かいるの?』

『はい? 何ですこんな夜中に?』

 寝ていたのだろうか、店の奥から出て来た男は寝ぼけ眼をさすりながらドアを開いた。


 毛編みの貫頭衣を着て、髪の毛には鳥の羽根を一本刺していた。まるで呪いの一つや二つしていたかのような。

 そして彼女はまた言った。


『これだわ!』


『あの、どちら様か知りませんけど……店はとっくに閉まってるんで。また十時ごろに出直して来てください』

『アンタ、ちょっとした小遣い稼ぎに興味はない?』

『小遣い稼ぎ……何ですそれは?』

 ミリアーナは男の眼前に二十ドル札をチラつかせた。


『これは頭金。成功報酬のたった一部に過ぎないんだけど、アンタどうする?』

『なるほど……早起きは三文の徳とはまさにこのことですなぁ!』

 こうして何も知らない女が、何も知らない男を車に積んでいったのだ。


「何でもっと早く言わなかったのよ!」

「私、呪術方面は本当ズブの素人ですけども、もしかしたらですよ……イケるんじゃないかって」


「……イケないわよ!」


 国立公園入園料が20ドル、男への頭金が20ドル。片道80マイルのガソリン代往復5ドル。合わせて45ドルの出費。

 決して安い値段ではない、それでも。

 そこまでしてでも、彼女が叶えたい目的はただ一つ。


「アリゾナ最強最悪の吸血鬼」ヴェッキーの復活だった。

 

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