ヴェネツィアとその潟 4

 ヴェッキーはマルタウスを見る。彼は自分の方へ近寄ろうと、階段へ足をかけた。そして片足の重がしっかりと階段の板へかかるのを見届ける。


「マルタウス……勝つのはオレだ」


「え? アハハハハハ……強がりは聞いていて辛いよ」


「どうだろうな? 勝者ってのは勝負の最後の瞬間に、勝っていた奴のことだぜ」


 ヴェッキーは能力を使っていた。

 階段の至る所に飛び散った血液が、呼応するように蛍光色に輝き始める。

 マルタウスは足元で緑色に発光する血痕を見て、声をあげた。


「これは何だ? 光っているぞっ!」


「ぶっ壊れろ!」


 ヴェッキーの目の前で、階段はバラバラと朽ち果て、陥没した。

 板が悲鳴をあげながら複雑に破壊される。


「なっなんだ!」


「あのなぁ……それぐらいで勝ったつもりになるなんて、詰めが甘ぇんだよ」


 マルタウスは動揺を隠せないまま、ばらばらに割れた木の破片とともに崩落していった。

 巻き上がる土煙。

 ヴェッキーは激痛に悶えながら、やっとの思いで立ち上がった。

 ヴェッキー本人も、自身の血液を触媒に侵食現象が起きるかは半信半疑だった。だが、見事血液に含まれていた質量エネルギーと形相エネルギーが反応し、現実態(エネルゲイア)化が起きた。

 とっさの発想から生まれた大博打が功を奏したのである。

 土煙が晴れて、全貌が明らかになる。


「んぐぅ」


 マルタウスは何層にも乱雑に積み重なった厚板の下敷きになっていた。力なく呻き声をあげている。

 身体中が木の破片によって切り裂かれ、口からは血を流していた。


「マンマ……ミーア……」


「どうだ、床に這いつくばって見る景色は最高か?」


「重い……苦しい……肋骨と内臓が押しつぶされそうだ。死にたくないよ〜」


 あまりにも不恰好なマルタウスの姿にヴェッキーは吹き出した。


「ヘッ! 仕方ねぇ奴だな、ちょっと待ってろ」


 マルタウスに近寄る。彼の顔の前に腰をどっかりと下ろした。

 そしておもむろに彼の上に積み重なる木々を退け始める。


「ヴェッキー……君は、一体何をーー」


「暴れるんじゃねぇぞ、崩れたら手に負えねぇからな」


 ヴェッキーは一つ一つ、マルタウスにのしかかる板を取り払っていく。


「おめぇ、どうしてミリアーナを連れ去った?」


「血を吸わなければ死んでしまうと思ったんだ。だから町の女の子たちにけしかけて見たんだが……みんな僕を見て逃げてしまった。これでは埒があかないと思って……連れ去ったんだ。僕から逃げなかった彼女なら僕に血を吸わせてくれるだろうと……」


 ヴェッキーは弱った色をしたマルタウスの顔を、もう一度だけぶん殴った。


「ぶっ!」


 拳に彼の血反吐が付着する。


「そんな理由で連れ去られる奴の気持ちを考えやがれ!」


「すまないと思っている……でも、吸血鬼は人の血を吸わないと生きていけないんだろう? この病にかかってから一度も血を吸えていないんだ、それで焦っていたんだ」


 ヴェッキーは大きくため息をついた。


「バカヤロー、おめぇ吸血病にかかったのはいつ頃だ?」


「最近といえば最近かな?」


 マルタウスの答えは何故か曖昧だった。


「だろうな、おめぇは吸血病のこと全然しらねぇみたいだな。いいか? そんな風に人と話せてる内は大丈夫だ。吸血衝動が高まってねぇから、暴走することもねぇ。体は血を求めてねぇんだよ」


「そうなのか?」


「あぁ、ホントにヤバい時は頭が割れるように痛くて、苦しくて、そしてすげぇ切ない気分になる。そうなった時はもう……病院行け、病院!」


 ヴェッキーは大きい板を持ち上げ、それを胸筋を使って真っ二つにへし折ると、後方に放り投げた。


「とにかく、てめぇの体についてもっと知れってこった。今後女連れ去って血を吸おうなんてクズみてぇなこと考えるんじゃねぇぞ!」


「……わかったよ」

「ほら、もう大丈夫だろ。手ぇ出せ」


 マルタウスはヴェッキーの皺の多い手を掴み取り、破片の中から立ち上がった。


「ありがとう、助かったよ」


「くだらねぇことは、これで終いにしろよな」


 ヴェッキーは顔にこびりついた血を腕で拭き取り、外に出た。

 薄暗い部屋の中にずっといたため、太陽の光に目が順応しない。

 すぐそこに車が止まっていた。ジェロールのものではない。

 赤いクーパー、ミリアーナのものだった。


「さっき妙な男に会ったのよ。で、アンタがアタシを助けに行ったてさ。笑える話よね」


 ミリアーナがウィンドウを下ろして、中からヴェッキーに呼びかけてくる。


「おめぇ、何ともねぇのか!」


「当たり前でしょ、居眠りするような誘拐犯にアタシが何時間も捕まるわけないわよ。で、終わったの?」


「あぁ、ボッコンボッコンにしてやったぜ」


「アンタも相当だけどね」


 その時ドアの陰からマルタウスが姿を現した。


「あっ!」


 ミリアーナがその姿を見て目を見張る。そして乱暴に車から降りると、彼に飛びかかろうとした。

 ヴェッキーは彼女を手で制す。マルタウスは目をつぶって屈んでいた。


「本当に申し訳ないと思っている……だから頼む、殴らないでくれ」


「反省してるなら尚更殴らせなさいよ!」


「よせ、もう十分にやった。それに……ここで気絶されちゃあ聞き出せるもんも聞き出せねぇだろ」


「どういう意味よ?」


 ヴェッキーはドアに隠れていたマルタウスをミリアーナと自分の間に引っ張って来た。


「マルタウス、おめぇさっきの水を操る力……いつから身につけた?」

 ヴェッキーは今までそんな奇妙なタイプの吸血鬼を見たことがなかった。それは身体能力の向上などではなく、超能力といっても過言ではないものだ。普通の吸血病患者の症状だとは思えなかった。


「あぁ、この近くに『色のついた赤い川(レドリヴェールコロラート)』があると聞いてね。それを目指す旅をしているんだが、その途中で気付いたら使えるようになっていたよ」


「レドリ……何だそりゃ?」


「赤い川というのはコロラド川のことね、コロラドはスペイン語で『色のついた』という意味らしいから」


 では、それが関係しているのか。


「とはいっても直接的な原因は、十年間埋まっていたことだと思うよ」


 ヴェッキーはそのワードを聞き逃さなかった。


「おい……てめぇ、今十年眠らされたとか言わなかったか?」


「ああ。言ったよ。ヴェネツィアで妙な連中に襲われてね……」


 ミリアーナとヴェッキーは唖然として顔を見合わせた。この青年、けろっとした顔でとんでもないこと言いやがったのだ。


「驚いたぜ、マルタウス。実はオレも同じようにグランドキャニオンで十年間眠らされてたんだよ」


「なんだって?じゃあ君のその妙な能力はーー」


「手に入れたのは、その眠りから目覚めた後だ」


 マルタウスは目を輝かせて、鼻息を荒くした。


「おぉ、ならば君は僕と同じ境遇にある魂の友というわけだ!ヴェッキー!僕は今直ぐにでも君と友情のハグをしたい気分だ!さぁ、ハグしようじゃあないか!」


 ヴェッキーはひょいとマルタウスを避ける。

 マルタウスは頭から草むらに突っ込んでいった。


「ミリアーナ。こいつもロサンゼルスに連れて行こうぜ」


「ハァ? あんた正気なの? なんで誘拐された奴を車に乗せないといけないのよ!」


「まぁ、落ち着けよ」


 ヴェッキーは彼女の肩に手を置いた。


「別に好きこのんでじゃねぇよ。ただ、おそらくこいつはオレと同じ世界遺産型吸血鬼だ。ヨハンと直接じゃねぇが、関係あるかもだろ。だとしたら、アイツに一歩近づく可能性が高まる」


 ミリアーナの目を見た。


「頼むぜ、目の前のチャンスは逃したくねぇんだ」


「……、ランチに行きたい店があるの」


 ミリアーナはクーパーに乗り込み、シートベルトを締めた。


「いいのか……?」


「さっさとそのバカも乗せなさいよ!」


 ミリアーナは折れてくれた。


「ありがとよ、助かるぜ」


「うっさいわね。食べたいパスタがあるんだから、混む前に行きたいの!」


「ったく、素直じゃねぇな〜」


 ヴェッキーはにやにや笑いながら、地面と仲良くしているマルタウスの尻を爪先で小突いた。


「おい、顔上げやがれ。パスタ食いに行くぞ!」


 マルタウスが起き上がる。


「……っおお! オッディーオ! 僕の舌を満足させるアルデンテに期待しようじゃないか!」


 マルタウスとヴェッキーは後部座席に乗り込んだ。

 ただですらヴェッキーの体が大きいのに、マルタウスが入ったことで、後部座席はぎゅうぎゅうになっていた。


「いやぁ、僕も旅に混ぜてくれるなんて嬉しい限りだ!」


「気にすんなよ、旅行は賑やかな方がいい。だろ、ミリアーナ?」


 高らかに笑うマルタウスに言い聞かせ、運転席に一瞥をくれる。

 ミリアーナは空腹のせいか機嫌が悪くなっていた。


「チッ、無責任な!私にばっかり運転させやがって……」


 そんなこといったって、とマルタウスが首をかしげる。


「僕たち」

「オレたち」


「「免許持ってないもんなぁ‼」」


 後部座席の二人は笑い転げていた。すっかり「世界遺産型吸血鬼」同士意気投合してしまったみたいだ。


「じゃあ、僕たちの船出を祝って……」


 マルタウスがポケットから銀色の小瓶を取り出す。

 車内の空気が凍りついた。


「おめぇ……」


 もうその瓶にはうんざりだった。

 この男、何を始めるかと思えば。クーパーを破壊する気なのか。


「アァ!安心してくれ、これは水じゃないよ」


 ポンっと乾いた音がして、小瓶の口から芳醇な果実の香りが溢れ出した。


「この赤ワインを、このヴェネツィアングラスに注ぐと……どうだいこの色と香り?回しているだけで、まさに至高!」


「シートにこぼしたら承知しないから……」


 いちいち言動がうざったい青年をギロリと睨みつけると、ミリアーナは向き直ってクーパーを発進させた。

 旅は一期一会。

 偶然にも発見した『世界遺産型吸血鬼(?)』を加え、一行はまた西へと車を進めるのだった。



ヴェッキーたちが後にした廃屋に二人の男がふらりと訪れていた。

 頭から深くフードを被った中年男性。


「チィッ! 一足遅かったかわい!」


「逃げられてたのか? 残念だったな」


 フードの男はくるりと身を翻して、眼帯の男に詰め寄る。


「呑気なことを言っとる場合か! 元はと言えばジェロール、貴様が取り逃がしたことが悪いんじゃっ!」


「カ〜ッ! 言ったろ。オレはオフの時は事件に手を出さないんだっつ〜の」


 しばらくにらみ合っていた二人だが、フードの男が悪態をつきながら離れた。


「これだから最近の若造は……ヴァンパイアハンターたる者いついかなる時も己の正義感で動かんとダメなんだわい! 全く、偶然この町にワシと貴様、二人もハンターがおったのに両方休暇中とはついておらんな」


「そりゃ違いないな」


 眼帯の男は右手で頭を抱えて笑った。その皮肉げな笑い声が空虚に響き渡った。


「まぁ、俺は来週までゆっくりさせてもらうからな。追いかけるとしたら、俺じゃなくてアンタだろ、ジョンソンさん」


「言われなくてもそのつもりだわい!」


 フードの男はその場を立ち去っていった。

 眼帯の男は彼が消えるのを見てから、深いため息を吐く。


「カ〜ッ! ジョンソンさんのAVWは有効範囲が広すぎんだよな。俺のいるとこまで迷惑がかからなきゃいいんだけど……」


 次の街キングマンまで……あと、114マイル!

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