ヴェネツィアとその潟@アリゾナ州ウィリアムズ

 ヴェッキーとミリアーナを乗せた車は、フラッグスタッフの隣町ウィリアムズで高速道路を降りた。


「おいおい、出発したばかりだろ?忘れ物でもしたのか?」


「日が暮れる前にモーテルに入らないと、部屋が埋まるでしょ」


 ウィリアムズは人口五千人にも満たない小さな田舎町。


 小さな駅からはウィリアムズとグランド・キャニオンを結ぶ鉄道が出ており、それを目当てにした観光客が車でやって来る。なので駅の前には鉄道利用客のための立派なホテルが場違いにそびえる。


 だが、ミリアーナは鮮やかにそれを素通りして、町の外れに近いボロモーテルで車を止めた。


 ミリアーナが言うには、ロサンゼルスで情報信用会社の知り合いと会う約束はちょうど一週間後らしい。


 ロサンゼルスへは距離にして334マイル。時間はたっぷりあるのでゆとりを持ってロサンゼルスへ向かおうと言うのが彼女の主張だった。


 二人はフロントでチェックインを済ませる。


 ヴェッキーはロビーのソファに腰掛ける男たちの奇妙な噂話を聞いた。


「聞いたか、ウィリアムズをうろついてる妙な変質者の話?」


「なんだそれ?」


「なんでも日中麻袋を被りながら道に座り込んでて、通りすがりの女の子に首筋を見せてほしいって話しかけてくるらしいぜ」


「どんなプレイだよ!」


 男達はその話を肴にはしゃいでいるようだった。確かに変質者の匂いがする。


「うるさい連中ね……、ってヴェッキーどうしたの?」


 ヴェッキーは、フロント嬢から鍵を受け取ったミリアーナを置いて男たちの座るソファの前に立った。


「あと、フードを被った男もいて、地元の奴らはそいつも共犯じゃないかって……なっなんだお前?」


 男達は目の前に大男が現れたので、少々身を強張らせているようだった。


「大丈夫だ、怖がることはねぇ……だがその話、詳しく聞かせろよ」


 ヴェッキーはコーヒーを二杯頼んで、彼らに同席した。


「なるほど」


 男達の話によると、その不審人物が数日前にウィリアムズに姿を現したのを皮切りに、それ以降女性への声掛け事案が多発しているという。


「そいつは町の外れにある廃屋に身を隠しているらしい、まぁせいぜい嬢ちゃんも気をつけるこったな」


 ヴェッキーは可笑しくなって吹き出した。


「おいおい冗談言うんじゃねぇぜ、この娘が変質者に襲われる風に見えるか? むしろそいつの首を折るだろうよ!」


「何ですって?」


 背後に突き刺さるような絶対零度の視線を感じる。


 これ以上はやめて置いた方が良さそうだ。


「じゃあ、オレ達はこれぐらいで。コーヒー代はつけとくぜ」


「なっ、おい待……この、〇〇野郎が!」


 聞くに耐えない罵倒が発せられた気がするが、足早にロビーを去って二階へと上がった。


「ホラ、これがアンタの鍵よ。一時間後に夕食を食べに行くからロビーに来なさい」


 ヴェッキーは鍵を受け取り、自室へ向かう。当たり前かもしれないが彼女はわざわざ相部屋を避け、ダブルの部屋を二つとったようだ。もちろんヴェッキーだってあんなせっかち女と相部屋は願い下げだ。


「ふぅ……」


 部屋に入ると真っ先にベッドに飛び込んだ。今日一日の疲れが、体の重みとなってマットレスに吸収されるような感覚。安心して床につけるのも彼にとっては誠に久しぶりだった。


「考え事もせずにベッドに入ったのは、いつぶりだっけなぁ……」


 ヴェッキーは少し昔のことを思い出した。

 十年前以上前、ヴェッキーはアリゾナ最大の犯罪シンジゲートに所属していた。


 そこで吸血病特有の丈夫な体を買われ、雇われの傭兵をしていたのだ。


 メキシコとの国境を跨ぐ生と死の駆け引きが日夜繰り広げられ、多くの仲間達、信頼していた上司達が、銃弾の雨を浴びて、ヴェッキーの前から消えていった。気付いた時には、彼がチーム一の古株になっていた。


 組織が自分に対して求めるのは、任務を完遂するための冷静な行動力と従順さ。

 それを最優先に、ヴェッキーは自らが率いる部隊と共に多くの修羅場をくぐり抜けた。

 彼は自らの組織の中に敵を作らず、確実に外の敵を排除することで今日と明日の生命を確保することに、必死になっていたのだ。

 来る日も来る日も戦い、敵を殺し、拠点を破壊し、資源を盗む。


 地道な生きる努力の先で待っていたのは、汚名だった。


 重ねに重ねた悪行が噂を呼び、影で「アリゾナ最恐最悪の吸血鬼」と呼ばれるようになった。

 地元の治安をかき乱すヴェッキーは、対抗組織だけでなく、ヴァンパイアハンター協会にも目をつけられるようになった。


 州のアンダーグラウンドで吸血鬼が人殺しをしまくっていると聞けば、協会が黙っているはずがなかったからだ。


 敵勢力とヴァンパイアハンター協会、いつしかヴェッキーの敵は組織の外に増えすぎていた。

 組織同士の抗争だけでなく、ハニートラップなどの自分個人を狙った攻撃も次第に増えるようになる。

 朝にヴァンパイアハンターとの戦いを切り抜けたかと思えば、夜にはレストランで殺し屋に奇襲をかけられる。


 ヴェッキーはいつどこで自分が狙われているかという不安に平生を保てなくなり、ボロが出始めたせいで組織からも孤立し始めるようになった。


 組織という唯一の居場所を失うことで、少しずつ薄れて行くアイデンティティ。「自分は何者であるか」がわからなくなり、霧をつかむような喪失感に駆られる。


 失意の彼を試すように、そこ数ヶ月で一番の大仕事が舞い込んできた。


 ヨハンに襲われたのはそんな時だった。 


 降りしきる雨の中、あの場所できっぱり死んでいたら、どれだけ楽になっただろう。

 だが、あそこで最期を迎えたとしたら、それは最悪な人生の終わり方のはずだ。


「オレは、今ヨハンに生かされている」


 十年の仮死状態から目覚めただと?

笑わせるな。自分はあの日死んだも同然だ、死んだのだ。


 自分は殺され、そうやってもう一度新たな生を与えられた。もう、前の人生のような孤独な終わり方はしたくない。だからこそ今度の人生こそは、自らの生が求める何かを得て、終われることを願う。


「いつまで寝てるの、とっくに時間過ぎてるわよ!」


 ミリアーナの怒鳴り声で目が覚める。

 だが、ヴェッキーの体はずしりと重く、疲れは取れなかった。


「チッ、うるせぇな……もう少し寝かせろ!」


 ヴェッキーはミリアーナのノックにかまわず、寝返りを打つ。

 今はこの柔らかいシーツと仲良しでいたい。


「アンタ、二度寝決め込むつもり?」


「……」


 ここは無視だ。


「は〜ん、まぁいいけど! アンタがそのつもりならアタシ一人でレストランに行くだけよ。あとで腹減ったって泣きつかれても、アンタに食わせるものはないから。そのこと、忘れるんじゃないわよ!」


 ミリアーナがドアの前を離れたのか、再び静けさが戻る。

 腹も別に減っていなかった。というか、食欲が湧かないほど疲れていた。


「あぁ、クソ。眠ぃ……」


 頭がぼうっとしている。体に力が入らない。

 もう動ける気がしなかったので、ヴェッキーは再び瞼を閉じた。


 

 ミリアーナはとぼとぼ夜道を歩いた。この先にあるレストランを目指している。

 モーテルに行く途中に、車窓から見た看板の店が気になっていた。


 『イタリアンの家庭料理』


 と、いうあまりにも味気ない看板だった。

 だが、その言葉の響きに釣られ、ついつい足を運んでしまった自分がいる。


 ヨハンの妻、つまりミリアーナの母親はイタリア系の家系だった。


 5歳の頃、ミリアーナは外で体を動かすのが好きで、近所の少年らに混じって一緒にバスケットボールをしたりしていた。


 そうやって日が暮れるまで遊んだあと、家路につく。汗だくになって家に帰ってくると決まって母親はミリアーナに言うのだった。


「コラッ! 日没までに帰ってこいってあれほど言ったのに!」


「だって……なかなか勝てなかったからさ」


「ほら、さっさとシャワー浴びてきなさい! 夕飯が冷めるでしょ!」


 そんな風に急かされて、駆け足でシャワーを浴びる。


 さっぱりしてからダイニングに向かう。そしたら大体ヨハンが分厚い哲学書を読みながらミリアーナを待っている。


「ミリアーナ、しっかり体洗ったでしょうね?」


「うるさいな〜、洗ったっつーの」


「ホントでしょうね?」


「嘘じゃない! 目を見てよ!」


 なぜだが、母親には嘘が通じなかった。

 母親は、嘘つきは顔に出ると口癖のように言っていたが、今になって思えば実の親には子供の嘘など、手に取るようにわかったのだろう。

 だからミリアーナは、母親に自分がホラ吹きでないことを示すには、顔で語るのが一番早いと思っていた。


「……合格、席についてなさい」


 日曜の夕食、毎週当たり前のように出てくるものがあった。


「おまちどお様」


 母親が大皿一杯に盛られたそれを持ってくる。


「やったぁ!」


「また、それかね。私はさすがにもう飽きたぞ」


 ヨハンの失言に母親はギロリと目を光らせる。


「何か言った?」


「トホホ……男の肩身がせまい、今日この頃じゃ」


 ミリアーナは母親からトングを受け取り、早速それを自分の小皿に取り分けようとする。

 ぽってりするまで煮詰めた合挽きのミートソースは、トマトと肉の旨みがたっぷりだ。

 それと卵入りのモチモチとした平麺をよく絡めると、パルメザンチーズの芳香な香りが両者の存在をより引き立てる。


 タリアテッレのボローニャ風。母親の得意料理だった。


 形を重視せずどっかりと大皿に盛られるそれは、見た目も味もきっと高級料理店のものには劣るだろう。

 だが同時に、高級料理店は体を動かして腹を空かせた自分に、こんな山盛りのパスタを出してくれないだろう。


 母がいなくなるあの日まで、常人なら飽きるほどに、食べた。


 ミリアーナにとってそれは心と体に染み付いた一皿だった。

 母が死んだあと、ミリアーナはヨハンと数度だけ旅行に行ったことがある。

 その先でミリアーナはなぜかふとボロネーゼを頼み、ヨハンと分ける。そしてそれを食するごとに、子供にとって母の味に勝るものはないと痛感するのだ。

 

 きっと今から行くレストランにもボロネーゼは置いてあるだろう。彼女はいつもの癖で気付いたら注文しているだろう。


「母さんの面影をそこに探したって、きっと何も見つからないのにね」


 ましてや大皿を分けてこそ、「あの一皿」たるのに、一人でそれを突いていては、なおさら彼女が思う「それ」からは遠ざかるだけなのだ。


「やっぱりベッドから引き摺り下ろしてでも、ヴェッキーを連れてきた方がよかったかしら」


 その時前方に人影を見た。


「あれは……」


 その人は夜道の街灯に照らされ、小さく光っていた。


「こんばんは、シニョリーナ。今晩は予定あるかな?」


 ハリのあるその声は年齢でいうと、青年だろう。


「……」


 イタリア語の混じった英語でお嬢さんと呼ばれたが、目もくれずに素通りしようとした。


 だが、青年はミリアーナの進路を体で塞いだ。


「邪魔しないでくれる? アタシこれから夕食なのよ」


「おぉ! それは、すまない。急いでいたところ呼びかけてすまなかったよ!」


「あっそ、じゃあそこをどきなさ……」


 突然、湿ったものが口の中に流れ込んできた。

 それに気道が塞がれ、息ができなくなる。


 必死で酸素を取り込もうとするが、口に先ほどまでなかった何かが蓋をしている。


「ガ……ボガ……ガガボガーー」


 ミリアーナが抵抗しようとすればするだけ、無意味に酸素が消費されてますます息が苦しくなってくる。


「声をかけたのは申し訳ないんだが、僕は僕で急いでるんだよねぇ、君の血が必要なんだ。もちろん、優先させてくれるだろう?」


 急激に意識が遠のく。視界が狭まって行く中で、ミリアーナは最後にその青年の顔を見た。


 だが、深く麻袋をかぶっていてよく見えなかったのだ。


 ーーあぁ、この男が例の変質者か。


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