おかえりヴェッキー、アリゾナへ 3

 すかさずミリアーナは体を伏せ、お土産屋の頭も地面に擦りつける。

 四散する砂や岩の粒がもうもうと煙を立てる。その中から浮かび上がったのは、今までそこにはいなかった、ある人の人影だった。


「……あれは!」


 ミリアーナはお土産屋の尻に一蹴り入れてから駆け出した。

 近づいてみる。


 ミリアーナの目の前に現れた巨大な影。


 ばかでかい筋骨隆々の肉体。

 鮫のようなザラザラとした質感の浅黒い肌。

 荒々しく彫り深い岩のような顔立ち。

 オールバックにした肩甲骨まである硬い茶髪。

 一言で言い表すなら巨岩。


 見紛うはずもなかった。

 地面から姿を現したのは彼以外何者でもない。

 アリゾナ最恐最悪の吸血鬼、ヴェッキーその人だったのだ。


「アンタ、ヴェッキーよね?」


 ミリアーナが聞いた。


「……」


 だが、質問には答えようとせず、体にこびりついた土を取り払う。

 そして口を開いた。


「オレの眠りをドリルで妨げようなんて……いい度胸してるじゃねぇか」


 辺りをぐらぐらと揺らすような低い声。怒りとも呆れとも取れるその声音には、聞くものの背筋をぞくりとさせるものがあった。


「けどよ、それよりもっと気に入らないことがある」


 ヴェッキーは頭をさすりながら改めて周りの人間達を見回した。少し離れたところで様子を伺うミリアーナと操縦手、作業員に取り押さえられ地面に這いつくばるお土産屋。


「おめえらは取り返しのつかないことをした!」


 先ほどまで掴んでいたドリルの刃に素手で正拳突きを食らわせた。

 元々片腕の握力だけでねじ曲がっていたドリルは、ぼきりと真ん中で二つに折れる。

 怒りを隠そうともしない彼の鬼のような形相、その凄まじい迫力にミリアーナは圧巻された。


 これがアリゾナ最恐最悪の吸血鬼の怪力、気迫。


 今までどれほどの人間の命を平然と奪ってきたのだろうか。

 いや、この並並ならぬオーラは人を殺めたものにしか出せないそれだ。

 自然と足がすくんでいた。


「いいか、オレが許せないのは……おめぇらがグランド・キャニオンをこんな風にめちゃくちゃにしたことだ! 自分達の私利私欲で貴重な自然を汚す、てめぇらのその根性が気にくわねぇ!」


 ヴェッキーは辺りに散乱した大小岩の破片や穴ぼこの地面を指差した。同心円状に広がるその岩々の中心にはひときわ目立つ人一人分くらいの大きな穴が空いている。


 怒りに燃える彼の目、その場の全員が日頃の自分の行いを指摘されているような気がした。あまりの気迫に押し黙るしかなかった。

 そんな中、ミリアーナが彼の元へと歩みを進める。


「お客さん危ないですって。あなたみたいな華奢な体では一発でへし折られるぞ!」


 作業員が引きとめようと出した手を、振り払う。


「いいの、アタシが話をつけるから」


 ミリアーナは大きな肩を怒らせているヴェッキーの目の前に立った。改めて近くで見上げると、彼のあまりの大きさに気圧されそうになる。それでもミリアーナはここで怖じ気づいたら負けだと思った。


「なんだ、おめぇ? ぶっ飛ばされにきたのか、えぇ?」


「ヴェッキー、非常に申し上げにくいんだけど……」


「言いたいことがあるなら言えよ、命乞いでも言い訳でもよ、ホラ言ってみせろよ!」


 皮膚が焦げ付きそうなほどの威圧で、こちらを見下ろすヴェッキー。ミリアーナはそれに屈しまいと、覚悟を決めた。


「これやったの、全部アンタよ」


「えっ……」


 ヴェッキーは状況が理解できていないようだ。

 ならばもう一度言ってみよう。

「いや、だから、アンタがやったんだってば。アタシ達は地面に穴を開けようとはしたけれど、その寸前にアンタが地面を派手に突き破って出て来たのよ」


「えっ? これオレがやったの?」


 急に焦り始めて周りをキョロキョロ見回すヴェッキー。

 この有様の原因が自分であると言い返され、困惑しているようだった。


「そうよ、アンタがやったのよ」


「マジかよ……」

 その事実を知らされた彼は先ほどまで怒らせていた肩をがっくりと落とし、へこたれる。

 その姿からはもはや微塵の威圧も感じられない。


「へこむわぁ……」


 これがアリゾナ最恐最悪の吸血鬼ヴェッキー、十年ぶりの覚醒の瞬間だった。

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