生き残れ、西海岸編!
マーク・J・アンダーソンの挽回@アリゾナ州 フェニックス
ヴェッキー達がヴァンパイアハンター、カール・ジョンソンの魔の手にかかっているのとちょうど同じ頃、アリゾナ州の州都フェニックス郊外にあるヴァンパイアハンター協会アリゾナ・カリフォルニア合同支部に青年はいた。
マーク・J・アンダーソン。AVW「モルディの剃刀」を持つ新米のヴァンパイアハンターである。
いや、正確には「持っていた」だろうか。
彼は会議室で上司と二人きりになっていた。
「残念だけれど……処分が裏返ることはないわね」
苦い顔をしながら、マークにそう告げる女性。
彼女はマークの配属されている厚生課の課長、ルーシー・ハワード。二十代後半にして管理職につく優秀な人である。
その完成された人格と能力から尊敬を集め、「厚生課の小さき母」と裏で呼ばれている。
「そうですか」
マークは吸血鬼を取り逃がしたペナルティとして、AVW『モルディの剃刀』を無期限没収されることとなった。
「AVWを与えられていない私には、親身になって慰めることはできないわ。けれどどうか、気を落とさないで! さぁ、胸張ってスマイルスマイル!」
ハワードは両手の人差し指を自分の口角に持って来てぐい、と上に釣り上げた。
「ありがとうございます」
マークも冷ややかに笑った。
そして背中の違和感に思わず後ろを掻いた。
背中に埋め込まれたAVW使用時に必要になる形相エネルギーで出来た幾何学模様。質量エネルギーを流し込んで初めて緑閃光が走りその模様が露わになるだけで普段は使用者であろうと見ることはできない。
「背中を弄られたのが気になる?」
「まぁ、違うというと嘘になります」
その焼門印を起動不能にすることは理論的には容易い。QRコードやウェブのurlは少しでも欠けるところがあれば途端に意味のない図形、文字の羅列と化す。それと同じように焼門印の形相エネルギー術式にエラーが生じれば形相エネルギー本来の「そのものをそのものたらしめる仕事」は機能しなくなる。
マークは先ほどAVW保持者のウエストパークという先輩ハンターによってその処置をされたところだった。
「痛いの痛いの飛んでいけ〜! ほら、これで大丈夫でしょう?」
ルーシー・ハワードはいついかなる時も、にこにことしている。元々目が細いのか、笑っているからなのか、彼女の目が何色か見たことがある人は少ないらしい。
ただ、今のマークにその笑顔も励ましの言葉も、神経を逆なでる要因にしかならなかった。
「とは言ったものの、厚生課で唯一のAVW持ちがいなくなるのはやっぱり少し寂しい感じもするわね」
「……」
ハワードが席から立ち上がりマークの背中をぽん、と叩いた。
「でも、安心して! デスクワークなら飽きるほどあるの。落ち込んでいる暇はないのよ!」
「それは……心が弾みますね」
ずっと外回りだったマークがこれを機に事務仕事に変えたいと言ったので、ハワードは希望通り来週からそうなるよう掛け合ってみるとのことだった。
「じゃあマーク、また来週からよろしくね! 気をつけて帰るのよ」
地上階へ向かうエレベーターの前で、彼女と別れる。だが、真っ直ぐ帰るような気分では到底なかった。
「……はぁ」
エレベーターの曇りない窓に、マークの歪な表情が写り込んでいる。エレベーターはガラス張りになっている。
その先に見えるエントランスホールの大理石が貼られた床が少しずつ近づいてきた。地上階に降り、マークは出口へと向かう。
エントランスホール内は定時で退社する人々の群れがぞろぞろとひしめく、マークの背中を飲み込んでいく。
「没収か……」
改めてハワードから告げられた処分を反芻する。
無期限没収ということは、いつ帰ってくるのかも見当がつかないということ。それは、半永久的にAVWの使用権が奪われているも同然だった。
ヴァンパイアハンター協会において、重要視されるのは結果。ミスや失態を犯した者に対しては、残酷なまでに厳しいのが協会のやり方だった。
イギリスの大学で経済学を専攻し優秀な成績を修めたマーク。今年の春にここに就職した彼は、まさに期待の新星だった。
指示された業務はしっかりとこなし上司の要望に常に沿うパフォーマンスを発揮していた彼、今まで失敗と呼べる失敗はなかった。
それだけに今回の一件で受けたショックは大きかったのだ。というのも、彼にとって協会のヴァンパイアハンターの内8パーセントほどの人間にしか使う許可が下りていないAVWを、入社1年目にして与えられたことはこの上ない誇りであり、今はそれを剥奪されたからに他ならない。
「僕はこれからどうすればいいんだ?」
ここ1ヶ月ほど何よりも長く身につけていたものを奪われた喪失感に、いつのまにかマークは夜の街を徘徊し始めていた。
どことも知らぬフリーウェイの歩道でもない場所をふらふらと彷徨う。そのすぐ横をものすごいスピードで何度も帰宅途中の車が追い越してゆく。
ヘッドライトが近づいて、彼を照らして。通り過ぎて、また新しい光がやってきて、それが強くなる。その繰り返しの度に、心ここにあらずのマークは脇を吹く風に吹き飛ばされそうだった。
やがて、マークは自分がフェニックスの貧民街エリアにたどり着いているのに気がついた。
国境に近いこの街には、リオ・グランデ川を超えてやってきたラテン系の言葉を話す移民達が多い。
より良い暮らしを求め非正規のルートで合衆国に来た彼らの一部は季節雇いの農場労働者などになって南部の農園を行ったり来たりする者や、賃金の安さから大工として雇われるものなどがいるが、仕事が見つからず貧民街にあぶれ出した者もいた。
そういった貧しい移民労働者が住まうこの地区は治安が悪く、夜に出歩くものはそうそういない。マークもこの地区に来るのは初めてだった。
しぃんと静まりかえった真っ暗な道路を歩いていると、あまりにも静かすぎて逆に誰かが潜んでいるのではないかという気がして来る。更に運の悪いことにそれが吸血鬼であった場合は……いや、考えるのはよそう。
左右には入り口にゴミが散乱した古いタイプの一軒家が並んでいる。そしてそれらの窓から視線を向けられているような気がした。あまり自分のような部外者の存在は歓迎されていないのかもしれない。
「ちょっと、お兄さん! こんな時間に一人で出歩くのは良くないですよ!」
ハッとして声のした方向を見る。
振り返るとそこには、でっぷりとした中年男性が佇んでいた。
保安官らしき制服を着て、気の良さそうな笑顔をこちらに向けて来る。その体格は非常によく、縦にも横にも長いため存在感は抜群に大きい。
だが、先ほどまで背後に全く人の気配を感じていなかったのに、いつからそこにいたのだろうか。
「すみません、道に迷ってしまって。どうやったらダウンタウンの方に戻れますか? 僕はこの辺り詳しくない者ですから」
「あぁ! 道に迷ったのか! 分かりました、私がお教えしましょう!良いですか、ここはメインストリートから6つ右に外れた通りです。ですから目の前の交差点を右に曲がりそのまま同じような交差点を更に進めば……」
「いやいや、右に外れているのにどうしてさらに右に行くんですか? それではダウンタウンから遠ざかってしまう。頼みますよ、ちゃんと教えてください」
保安官の辻褄の合わない説明に少し疑問を覚える。この男、本当に自分を案内するつもりがあるのか?
「お兄さん、ここは初めてでしょう?」
「そうですが……」
「だったら私の言う通りについて来ればいいのです」
男は俯いたままで、ぼそりと呟いた。何がいいのだ、僕はこの物騒な場所を早く出たいんだ。
「その方が、あなたをもっと奥の方へ誘導できるので」
わけのわからない言葉の後に向けられた表情を一目見て、マークは思わず声をあげそうになった。
「ーー!」
両眼球はサクランボのように赤く腫れ上がり充血していた。
ふるふると肩を小刻みに振動させて、狂った機械のような呼吸音を満面の笑みに晒した白い歯の間から不規則に漏らす。
笑っているつもりなのだろうか。
ただその目は笑っているどころか、何かもっと湧き上がる欲望を持っているようにぎんぎんに開かれていた。
何かが彼の内側から彼をそうさせている。それは何かの衝動なのだろうか、病的な衝動。
「下さいよ、血を、下さいよ……」
「あなたは、吸血病患者なのか?」
「そんなことどうだっていいでしょう。こんなにも渇いているんだ」
恐れていた事態の発生にマークはその場から動くことができなかった。
「そうだ、AVWを!」
反射的に背中に意識を集中させる。しかし、現実態(エネルゲイア)化時に発生する緑色の光は全く発生しない。形相エネルギーを閉じ込めた焼門印に体の質量エネルギーが流し込めないのだ。
「しまったァ……!」
うっかりしていた。自分はAVWを使えなくなっていたのだ。この時だけはさすがに協会の上層部を恨まざるを得なかった。
完全に丸腰。
「くそッ!」
マークは今日の午後処分を受けるために協会支部に顔を出していただけなので、実践任務を想定しない彼の装備はあまりにも貧弱だった。
“だとしたら、体術でも使えというのか?”
根っからの文系少年であるマーク、彼がやれるのは見よう見まねのハリウッド式拳法、要するに映画ヒーローのモノマネだけだった。
胸を張った状態で肩幅をできる限り誇張して、半身のまま重心を下ろし相手に右手を向ける、マークにとってはそれが精一杯の『近づくな!』のサインだった。
「何だそれ?」
「ファイアファイターVの……変身ポーズだ」
「バカじゃねぇの?」
吸血衝動に駆られる吸血鬼に青年はなす術もなかった。
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