おかえりヴェッキー、アリゾナへ  2

 ヴェッキー。又の名を「アリゾナ最強最悪の吸血鬼」。


 岩のような巨軀に、肩甲骨まで伸ばした硬い赤茶色の髪。ここアリゾナ州では知らない人間はいなかった男の特徴だ。

 その正体は二十世紀初頭にこの州で勃発していた犯罪シンジゲート闘争の中心人物。


 前線に度々姿を現しては敵勢力を掃討するその巨躯はまるで歩く戦車。そして夜明けとともに彼が戦場に残したおぞましい血の跡が浮かび上がるのだった。そのニュースがアリゾナ州の人々を恐怖で震え上がらせていた。


 彼は1960年代から爆発的に広まった奇病、吸血病を発症していたともいう。

一説では吸血病の症状である身体能力・生命力の強化が彼の通った戦場に凄惨な爪痕を残したらしいが、今となっては確かめようもない。


 ヴェッキーは暗殺された。


 ちょうど十年前の2005年。敵勢力と交戦中だったヴェッキーは、一人のヴァンパイアハンターによって息の根を止められた。当時の新聞がそのニュースを第一面でセンセーショナルに取り上げたことを、ミリアーナは小さいながらに覚えている。


 だが、それから彼の死体がヴァンパイアハンターによってどのように処理されたかを知るものは数少ない。

 ミリアーナはその数少ないうちの一人だった。


「ヴェッキーは確かに……この下に」


 ミリアーナは先ほどまでお土産屋がしゃがみこんでいた看板の前に立った。そこには赤色の文字で「転落注意!」と書いてある。


 2005年5月28日。ヴェッキーがミリアーナの父親によって埋められた目印だ。

 実はヴェッキーが死んでいなかったことはずっと秘匿されてきた。

 ミリアーナの父親がヴァンパイアハンター協会に回収される前にヴェッキーを連れ出し、仮死状態の彼をここに眠らせたのだ。


 そして今日の日付が2015年5月28日、あの日からちょうど十年が経とうとしている。だからこそ今日、ミリアーナはこのパンドラの箱を開ける。ヴェッキーの体がその後どうなったのかを確かめなければならない、という気持ちに駆られていたのだ。

 それなのに、この男ときたら。


「まるで役に立たないわね」


 そんなことを考えているうちに、お土産屋は咳き込みながら起き上がりつつあった。

 突如、彼はそれまで地面に並べていたタロットカードやろうそくや藁人形を蹴散らし始めた。


「ちょっと、何のつもり?」


「何って、もう馬鹿らしくなったんですよ! この際言わせてもらいますけどね……ヴェッキーは十年も前にヴァンパイアハンターに殺されたんですよ? それがこの地面の下に眠っているわけないでしょうが! あなたどうかしてるんじゃないですかねぇ?」


「なんですって」

「こんなバカな真似に付き合わされて……たったの20ドル? むしろ安すぎるぐらいだ! ほら、もう帰りましょうよ」


「依頼主はアタシなのよ。帰るかどうか決めるのはアタシの裁量でしょ。それにアンタ今……バカって言ったわよね?」

「あぁ、言いましとも! 何ならもう一度言ってやりますよ、バーカバーカ! おバカ!」

 反省どころか逆ギレをし始めたお土産屋。

 ミリアーナはため息をついた。この男はもう駄目だ。プランBで行くしかあるまい。

 彼女は携帯電話を取り出した。


「アンタにその気がないなら、それまでよ。アタシには代わりがいるんでね」


 キーをタップし、耳元に当てる。電話はすぐに繋がった。

「あ、もしもし? アタシよ、ミリアーナ。頼んでおいたあれを用意して頂戴」

 電話の向こうで了承の返事が取れると、ミリアーナは満ち足りた気分でお土産屋の方に戻ってきた。


「誰と電話してたんですか?」

 訝しげな目で彼が自分を見てくる。

「さぁね、アンタには関係のないことよ」

「言っときますが私はこれ以上あなたの馬鹿に付き合う気はーー」


「えぇ、アンタはもう帰っていいわよ。車は出さないけど」

「……はい?」

 その時ミリアーナは背後に激しい振動を感じた。どうやらアレが到着したようだ。

「お出ましのようね」


 黄色と黒のストライプが映える中型トラックがやってきた。後部にはどでかいアームが取り付けられており、まるで車と重機が一体となったようだ。


 運転席から一人の屈強な作業員が降り立った。

 黒いタンクトップの裾から突き出たボンレスハムのような豪腕。Bカップはあるんじゃないかという見事な大胸筋を湛えた彼は、白い歯を輝かせてミリアーナの元へ歩み寄った。


「やぁ、どうも! 穴を開けてほしいというのはこの場所だね!」

 彼が「転落注意!」の看板を手で叩きながら、笑いかける。

「そうよ、どでかいのをぶち開けて頂戴」


 お土産屋が近づいてくる。

「この車は一体なんなのですか?」

「知らないの? 穴掘建柱車よ、地面に穴開けるやつ」

「別にそんな意味で聞いたんじゃないわ! いいですか、ここはグランド・キャニオン国立公園だぞ、地面に穴を開けるなんてそんなこと許されるわけがーー」


 作業員がミリアーナとお土産屋の間に割って入る。

「君が誰かは知らないけれど、邪魔しないでもらえるかな? 彼女が報酬は弾むと言ってるんでね」

 彼の背後でミリアーナは20ドルをちらつかせる。

「返してもらったわよ」

「あっ! いつの間にポケットから……!」

「さて、じゃあ早速取り掛かりましょ」


 ミリアーナは仕切り直そうと手を叩いた。呆気にとられたお土産やを蚊帳の外に、二人は準備に取り掛かる。

 黄色いトラックがバックで砂上に乗り上げると、足場を固定するために位置の微調整を始めてしまった。


「もうちょい右よ! そう、そこでストップ!」

 もはや、お土産はそっちのけである。


「私は認めないぞ……」

「ん? アンタ今なんか言った?」

「止めなければ……私が止めなければ。大峡谷の自然を守らなければ!」


 すでに車は足場をしっかりと固定済み。荷台のアームに取り付けられた全長五メートルの掘削用ドリルが岩盤に対して猛威を振るおうとしていた。

 そこへ肩を怒らせたお土産屋が向かってくる。彼はアームの下部に滑り込んできた。


「どうだ! 人に向かってドリルを打つ気は無いだろう!」

「邪魔するんじゃ無いわよ!」

 ミリアーナが駆け寄ってお土産屋を引き剥がそうとする。

「離せっ! こんな悪事を見過ごすことなんてできない!」


 しかし、お土産屋が踏ん張る力より、ミリアーナの腕力が勝った。彼女は彼を羽交い締めにしたまま、その場から引き剥がす。

「こんな生産性のないことはやめるんだ! 破壊からは何も生まれない!」

「オーホッホッホ! 無駄よ! 誰もアタシを止められないわ! アンタはここでアタシとヴェッキー復活の瞬間を目撃しなさい!」


 ミリアーナが合図を送った。


 作業員がそれに答え、力強くコックピットのレバーを引いた。荷台に取り付けられたアームが作動する。そしてけたたましい回転音を撒き散らしながらドリルがついに地表を突き刺そうとした。その時、


 大爆発が起きた。

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