ヴェッキー、十年前の記憶@アリゾナ州 フラッグスタッフ
真っ赤なミニクーパーは35マイルほど国道US-89を南下し、交通の要衝の町フラッグスタッフに差し込んだ。先ほどまでは砂と岩しかなかった道路沿いの光景も、緑が増えて一面茶系色だった景色に少し色が出てきた。
ヴェッキーは車窓から流れて行く景色を目で追っていく。
「フラッグスタッフも見ないうちに変わったな」
数回任務でこの場所を訪れたことはある。だが、それきりだ。
新しい建物がたくさん立っていて、その時とは同じ場所とは思えなかったが、春先でも少し肌冷える。その寒さだけは変わっていなかった。
「今じゃフラッグスタッフはレジャースポーツの一大リゾートよ」
「そうなのか?」
「ふっふーん! 聞きなさい、フラッグスタッフの標高は2106メートルで、合衆国南部でも珍しい冬に雪が降る場所なの!だから冬はスキー客で賑わうのよ!」
「ほー、もう雪は溶けてるけどな」
車窓からは白い影は一つも見えない。どうやら今はその季節ではないようだ。
「盛り上がるのは冬だけ……と思ったら大間違いよ! 涼しい気候からその他の季節はアウトドアが盛んなの! つまりフラッグスタッフは一年中スポーツが楽しめる最高の場所!」
言われてみれば車道沿いには、キャンプ場そしてアウトドアグッズの店、キャンピングカーのリース店が立ち並ぶ。
「さ・ら・に・よ、今は空前絶後のルート66ブームで新たな層がこの町に足を運んでるの!」
ミリアーナの郷土自慢は終わらなかった。
「そういやぁ、この町もヒストリックルート66の通る場所だっけな……」
ヒストリックルート66とは、20世紀にシカゴからロサンゼルスのサンタモニカまでを結んだ、2000マイルを超えるかつての国道US-66のことだ。
東部での貧しい生活から抜け出そうとしたもの、自分にもスターの可能性があると思い込んでいた者、ビジネスで大儲けのアメリカン・ドリームを抱いた者、多くの人々がより良い暮らしを求めて、カリフォルニアへ続くこの長い長い道を走った。
彼らを商売相手に、沿線の町ではレストランやモーテル(車での旅行者のための小規模な宿)が立ち並び、赤や緑そしてイエローなどの色とりどりのネオン光を放っていた。
が、それらのほとんどは時の遺産と化してしまった。
第二次世界大戦後から始まった州間高速道路(インターステート・ハイウェイ)の規格化により、市街地を結ぶための国道という特性から非効率的に曲がりくねっていたルート66はその体のほとんどをインターステート・ハイウェイに組み込まれてしまい、82年には廃線となった。
一方で今古き良きアメリカの記憶に憧憬を描く観光客の間で、かつてのマザーロード、ルート66を車で走破する旅が、絶大な人気を誇っているようだ。
交通の要衝であるここ、フラッグスタッフもルート66の通っていた場所なのでドライブの途中で訪れる観光客も少なくない。
「どう、フラッグスタッフって素晴らしい町でしょ!」
「寒いから嫌いだ」
ミリアーナは突然車を停めて、後部座席に座るヴェッキーの上着を剥ぎ取ると、思いっきり車外に投げ捨てた。
「いっその事凍え死ねば?」
「……いや、その……すみません」
南東から西へ進行方向を曲げた道路は、東西を走る鉄道駅沿いの、ダウンタウンを通り抜けて西側に広がる住宅街へと続いていく。
そこをずんずんと奥に進んで行き、ようやく車が停まった。
「ここがアタシの家よ」
「はぁ〜」
ため息が出るほど理想的な一軒家だった。
年季の入った小綺麗な田舎の家、若い頃は金を貯めてこういう場所で穏やかな老後を過ごしたいと思っていたことだ。
「何よ、文句あんの?」
「普通の家だなって」
「ため息ついて、バカにしてんの?」
「そういうわけじゃ……」
「普通の家で悪かったわね! ホラ、さっさと上がりなさいよ、普通の家に!」
ミリアーナに尻を蹴られそうになって、ヴェッキーは渋々ドアを開く。
「くそ、当たりの強ぇ小娘だ!」
ミリアーナの実家は一階がこぢんまりとした喫茶店になっていた。
そして二階が住居スペース。彼女はヴェッキーを二階に招くと、二人分のコーヒーを淹れてテーブルに腰掛けた。家の状況から見ると今はミリアーナしかここに住んでいないようだ。
「さて……どこから話したものかしら。まずはヴェッキー、どうして自分がグランド・キャニオンの崖に埋め込まれていたか覚えてる?」
「んん〜」
ヴェッキーは眉間に指を当てて考えてみる、だが随分と昔のことだったような気がして、記憶が曖昧なまま指をすり抜けるかのように感じる。
「思い出せないのね?」
「いや思い出せそうなんだが……頭の奥で記憶が引っかかってるっていうか、はっきりしねぇんだよな」
「わかったわ質問を変えましょう」
ミリアーナが少し考える素ぶりを見せた。
「ヨハン・ベーカリーという禿げた爺さんを覚えてる?」
「ッ……!」
その名前を聞いた時ヴェッキーの脳内で記憶の一片がびりびりと脳内の回路を稲妻になって駆け巡った。
「おめぇ、どうしてそいつの名前を知ってる?」
「いいから思い出しなさい、あの日アンタの身に何が起きたか」
彼は目を閉じて、顔の中心にきつくしわを寄せる。あの日のことに思いを馳せたのだった。
2005年、アリゾナ州都フェニックス。
最恐最悪の吸血鬼「ヴェッキー」は、絶体絶命の危機の最中にいた。
昼であることを忘れさせるほどに空を埋め尽くした黒雲がもたらす、激しい雷雨の中を必死に駆け回るヴェッキー。
やっとの思いで荒廃した商店街の路地裏に身を隠す。
彼は敵組織の麻薬密売拠点の破壊作戦を分隊長として指揮していたのだが、思わぬ邪魔が入った。
交戦の最中に単独でヴァンパイアハンターが乗り込んできたのだ。
奴の狙いがアリゾナ最強最悪の吸血鬼、この自分だろうということも想像できていた。ヴァンパイアハンター協会にとって当時のヴェッキーは名前に劣らぬ「戦果」を挙げており、いわば目の上のたんこぶだったのだ。
かといってその頃の彼にとってはヴァンパイアハンターの襲撃は別段珍しいことではなかったのだが、今回は訳が違った。
男であるそのヴァンパイアハンターは桁外れに強かった。そればかりか力技でその場にいるヴェッキー以外の者にまで危害を加え始めたのである。
「ーー」
目の前でひき潰された戦友の姿が瞼に浮かんだ。つい先ほどのことである。
自分はともかく何の関係もない人間まで殺して、あのヴァンパイアハンターを何がそこまでさせるのか。悪役の自分から見てもあのハンターの行動は異常だった。
ヴェッキーが分隊長をしていたホワイトキャットワンα分隊、その傭兵達は無差別にそして容赦なく叩き殺され、さらには敵勢力までもがその牙にかかっていた。
ヴァンパイアハンターはたった一人で、作戦範囲内の敵味方全てを封殺したのである。
ヴェッキーはすでに作戦範囲外へ脱出し、自分達ーー今となってはヴェッキーだけだがーーを回収するための車を待っていた。
司令に応答を求める。
「CP、CP(司令所)! こちらホワイトキャットワンαヴィクトリア。回収班はまだ来ねぇのか? オーバー!」
「ホワイトキャットワンαヴィクトリア、こちらCP。回収班は現在ルートβでそちらへ向かっている。四分後にポイントジュリエットに到着し、貴様を回収する。繰り返す四分後にポイントジュリエットに到着し、貴様を回収する。アウト」
ヴェッキーは悪態をついた。
ポイントジュリエットへは現在ヴェッキーがいる裏路地を表に出て、ゴーストタウンの大通りを突っ切る必要がある。
そうなればヴァンパイアハンターの目につく確率も高い。
「これしか、道はねぇか」
ヴェッキーは建物の陰から大通りの様子を伺った。
誰も、いない。
静まり返った道路に出て、速やかに潰れた商店を二つ通り過ぎる。
そしてまた路地へ身を隠した。
この調子でチンアナゴのように出たり入ったりを繰り返し、ポイントジュリエットまでの二区画分を移動する。
ヴェッキーは順調にポイントジュリエットのある交差点の前までたどり着き、回収班の到着を待った。
その時前方に小さくだが、あかりが見えた。光が大きくなってくる。
車のヘッドライトだった。
どしゃ降りの雨粒を押し分けながら、こちらへ突き進んでくる。
大型の改造ワゴン、回収班だ。皮肉にも後部には分隊をまるまる乗せるためのスペースがある。
CPも状況からワゴン一つで十分だと思ったようだ。
「助かったぜ……」
車が目の前の交差点に差し掛かった時、予想だにせぬことが起こった。
突如縦の通りから姿を現す巨大な円盤。それが、ものすごいスピードで回収班の車を轢き飛ばした。
大きな音を立てて、ひっくり返った回収班の車は、ボンネットを腹にして車道を滑り、角にある商店のシャッターに突っ込んでいった。
無残にねじ曲げられ、半分だけ顔を出した黒い車のボディ。沈黙する回収班。
「嘘だろ?」
目の前の出来事を疑った。
CPが自分に寄越した……たった一台の回収車が半ばスクラップ状態にされたのだ。
交差点の陰から姿を表す白い悪魔。
ヴァンパイアハンターだ。
真っ白な貫頭衣と黒いズボン、そして襞の多いベージュの上着。それが、ヴァンパイアハンターの正装。
初老のその男は、わずかに残る髪は白く、同じく白い口髭のせいで表情がわからなかった。
その手に握られているのは鎖に繋がれた棒。
そして鎖の反対側は先ほど回収班の車を吹き飛ばした巨大な円盤と繋がっていた。
「円盤が縮んでやがる」
車に覆いかぶさるようにして乗っていた白銀の大円盤は、どういう原理かわからないがヴェッキーの身長ぐらいにまで縮小しはじめていた。
ヴァンパイアハンターが握っている棒を操作すると、鎖は掃除機のコードのようにスルスルと巻き取られて手元に戻っていった。
鎖は伸縮自在、円盤は次々と大きさを変える。あんな馬鹿げた武器があっていいものか。
「このクソジジィが!」
ヴェッキーは路地から半身を出して、ヴァンパイアハンターに発砲した。
しかし円盤が地上を滑るように高速で移動し、弾丸を弾く。
「トホホ……私をクソジジィ呼ばわりとは。人にはみな名前がある。ヨハンだ、ヴァンパイアハンターのヨハン・ベーカリーだよ」
ヨハンと名乗る男への中距離攻撃は効かないと判断する。
あいにく円盤に視界を遮られ、自分のことは見えていないようだ。
ヴェッキーは接近するために建物を移動し、その先の路地に身を隠した。
ヴェッキーの発砲が止んだのを見て、ヨハンが反撃を開始する。
「出てきなさい、ヴェッキー。悪いようにはしないから」
優しい口調とは裏腹に、ヨハンは右手に掴んだ鎖をぶんぶんと振り回した。そして車道を挟んでヴェッキーのいる路地裏と反対の、商店に向けて円盤をぶちかます。
商店のガラスが悲鳴をあげて粉々に砕け散る。店の中をグッチャグッチャと掻き混ぜる音が聞こえる。いろんなものの破片が店の中から吐き出される。
そして鼓膜をつんざくような鋭い雷鳴が轟いた。
「——ッ!」
ヴェッキーはその男に言い知れぬ恐怖を覚えた。
今まで殺し、盗み、誘拐など大抵のことは職業上やってきた。だが、それらは全て上の命令に従うため。命令に従うことで自分の生を守るため。
所詮彼は闇社会の中のちっぽけで臆病な一人間に過ぎない。
だが、あいつは違う。
あれは……人間じゃない。
「オレが勝てる相手じゃねぇ」
逃げよう。ここにいちゃ駄目だと思った。適当に高速道路まで行って、あんなバケモノのいるアリゾナから出て行ってしまえばいい。カリフォルニアか、メキシコに行くのも悪くないかもしれない。とにかくここではないどこかへ……。
「あっ、見つけたぞ。そんなところにいたのかね」
ふと空を切るような音がして、重い衝撃が上半身を捉えた。肋骨がねじれて肺にごりごりと侵入してくる。その鈍い痛みを感じる間も無く空中に投げ出されたかと思うと、体は細い路地裏を軽々と吹っ飛んでいった。
あまりにも突然のことで魂は肉体においていかれたみたいに、他人事のつもりで自分の体が吹っ飛ばされるの観察していた。
4、5メートル荒い路面を滑った後に硬い煉瓦の壁にぶつかる。
行き止まりだ。
「あぁ……あぁ……」
見つかった。終わりだった。
そんな絶望に浸る暇すら与えず、二度目の衝撃がヴェッキーを襲う。白銀の円盤は衝撃で浮いた体を垂直の壁面に叩きつけた。外圧により行き場を失った胃液が口元から溢れ、頭の中はわんわんと鳴り響く。
「……⁉」
足が付かない。ヴェッキーの肢体は白銀の円盤に圧力を掛けられて、煉瓦の壁との間にきっちりと挟み込まれていた。足が地面に着く気配がしない。宙ぶらりんの状態だった。
前後から押さえつけられて、身動きが取れない。
「がぁぁっ!」
さらなる激痛がヴェッキーの体のあちこちに走った。
円盤から太い錐のようなものが何本も伸びてきて、次々と体に食い込んでくる。息もできないほどの苦しさが体の感覚を鈍らせていく。
「結構手を焼かせてくれたね。でも、もういいんだ。ヴェッキー……お前は眠る。長い眠りにつくんだよ」
あいも変わらず穏やかなヨハンの声とともに、ヴェッキーを拘束する円盤は更に圧力を上げ、体をきりきりと締め付けてきた。
もう、ヴェッキーは抵抗する気力が失せていたーー。
「オレは……死ぬのか?」
わずかに動く首をもたげて黒い空を見上げた。上空から降ってくる水がひんやりと両肩を濡らして、少しずつ体の熱を奪っていってくれる。路面を打つ雨音も次第に薄れ、微かな耳鳴りだけが脳内にこだまする。
土の匂いも、血の匂いも、雨の匂いも淡く消えて行く。
五感がかすれていってしまう、そんな悲しくて寂しい気持ちに惚けてゆく。
「もし生まれ変わるなら……こんな辛い人生、クソみてぇな終わり方は今回ぽっきりにしてぇもんだ……」
そうしてヴェッキーは真っ暗で深い、まどろみの中にするすると落ちていく。
意識はそこで途絶えた。
不定期開催豆知識
フラッグスタッフには天文学者ローウェルが建てたローウェル天文台というものがあるのですが、この天文台での赤方偏移(光源が遠ざかると光の波長が長くなるように見えること)の発見がその後の宇宙膨張論につながったそうです。また冥王星が発見されたのもここ、ローウェル天文台です。
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