ヴェッキー
マークとモンローはツーソンの街中にある小さなテックスメックス料理店で昼食をとっていた。5台ほどしかないテーブル席にはマークたちしか座っておらず、比較的静かだった。
「つまりは……君はその吸血鬼を取り逃がしたペナルティを負ったわけだね?」
モンローはチーズがたっぷり乗ったナチョスを頬張りながらマークにそう尋ねるのだが、彼の宇宙人みたいなくりくりした目はやはりマーク本人を捉えておらず、彼の背後にある壁掛けテレビに映った野球中継に向けられていた。
「その通りです……僕のAVWは奴に通用しなーー」
「あっ! ゲッツーを決められてしまったか〜残念だ」
言い訳は聞きたくないと言っているかのようにモンローは大きな声を上げて悔しがる。
「その吸血鬼の特徴、分類などはもちろん報告済みなわけか」
「はい、長髪オールバックの大男でした。しかし、奴が見せた特性は既存のカテゴリーに当てはまるものではありませんでした」
マークはあの男との一戦の様子を思い出そうと目を閉じる。
奴はマークの剃刀を受け止めるどころか、表面を削り取って細かい粒子へと変えてしまった。その現象に驚いたマークがバランスを崩したことが敗因だ。あの時の自分の醜態を思い出して、慚愧に堪えないあまり唇を噛んだ。
「それから、奴は自分のことをヴェッキーと名乗りました」
モンローが顔をしかめた。
強い嫌悪を示しているようだった。
「ヴェッキー……悪趣味な冗談だ。まさか自分が「アリゾナ最強最悪の吸血鬼」の再来か何かだと陶酔していたのか?」
モンローの言っていることがよくわからずマークは首をかしげた。ヴェッキーの再来?ヴェッキーというロックスターか何かがいたのか?
「その様子だと知らないみたいだね。アリゾナ最強最悪の吸血鬼ヴェッキーを」
そこでようやくモンローの視点がテレビからマークへと移った。マークはもともとカナダに住んでいたのでアリゾナのことについては詳しくなかった。
「そうか、今時の若者はヴェッキーを知らない人もいるのだね……」
「差し支えなければ教えてください。そのヴェッキーについて」
モンローはヴェッキーについての情報を簡単に教えてくれた。
今から10年以上前、アリゾナ州にその名を轟かす犯罪シンジゲートがあった。彼らは窃盗、強盗、麻薬密売、誘拐……などなどあらゆる悪事を働いており、ヴェッキーはそこの戦闘員だった。
「吸血病の体質を活かした高い戦闘能力と生命力から、プロである我々も手を焼いてね……多くの仲間を失った。それでついた通り名がアリゾナ最強最悪の吸血鬼だった」
モンローはそこまで話すとナチョスを食べ終わった手をナプキンで拭いた。そして口に手を当てて黙り込んだ。何か悩んでいるようだったが、しばらくすると決心がついたようで口に当てていた手を退けた。
「あまり話をぶり返したくはないんだが、これだけは言っておきたい。それ以上は何も話さない、いいね?」
マークはそれに応えるために神妙な趣で頷いた。モンローはドリンクを飲み一呼吸置くと口を開いた。
「そのヴェッキーは10年前にヨハン・ベーカリーが殺した」
「ヴェッキーはヨハン・ベーカリーに殺された……?つまり、アリゾナ最強最悪の吸血鬼ヴェッキーはもういないということですか?」
なるほど。つまりマークが会った男は、今はなきアリゾナ最強最悪の吸血鬼ヴェッキーの名を語っていたということか。それを知ると多くの命を奪った「ヴェッキー」の名をみだりに語ることがいかに不謹慎であるかがわかった。確かに悪趣味だ。
「まぁあまり気持ちのいい話ではなかったね。もう店を出ようか……」
モンローがマークの分の昼食代も払うと言った。そのつもりでなかったのでランチの量を加減していなかったマークは、少し申し訳ない気分になった。モンローは「どうせ普段ろくな食事をしていないんだから今日ぐらい奢ってあげるよ」と言っていたが、どうにもモヤモヤした気分が残るのだった。そんな彼がドアを開けるとーー
外の交差点では大混乱が起きていた。泣き叫ぶような女性の悲鳴。逃げ惑う市民ら。一体何が起こっているのだろうか。
「あっ……あれは⁉」
マークがいた料理店の反対車線には白いタンクトップを着た青年が立っていて、その腕の中にはまだ五歳ほどの少女が抱きかかえられていた。
青年の異常に太い腕の中で顔面蒼白のままぴくりともしない少女。おそらく青年の人間離れした丸太のような豪腕、「ショベルカー型吸血鬼」だ。彼女と青年に向かって一人の女性が必死に叫び声をあげているのが見えた。
「ウゴォォォッ!」
変わり果て、我を失った青年が凄まじい雄叫びをあげる。
「お願い、娘を返して!」
しかし、極度に興奮して息を荒げた青年は女性の言うことを全く聞こうともしない。
体は勝手に動いていた。マークは背中に意識を込めた。すると背面に集中させた質量エネルギーが背中の幾何学模様すなわち焼門印に流し込まれ光を放つ……はずだった。
だが、
「くそ、やっぱりAVWが使えない!ロックをかけられている!」
焼門印は全く反応しなかった。とっさのことで忘れかけていたが、マークはペナルティとしてAVWの使用を制限されていたのだった。
「こんな時に限って……」
泣き言を言っている暇はなかった。彼はもう一度店のドアをくぐった。
「おや、マーク君?どうしたのかね鬼気迫った表情をして」
何も知らずに店の店主と話し込んでいたモンローを無視し、店のカウンターに置いてあったタバスコの瓶を手に取る。
「ちょっと、マーク君? 君は一体——」
思いっきりドアを蹴って外に出ると、マークは瓶を何車線も向こうの吸血鬼に向かってぶん投げた。ゆるい放物線を描いて空中で回転しながら車道を通り越え、吸血鬼の足元で瓶は派手に割れた。惜しくも命中はしなかったが、それでも奴の気を引くのには十分だった。
「よし、こっちを見たな!」
ものすごい剣幕でマークの方へ向き直った吸血鬼は、少女を抱えたまま肩を怒らせて車道上に放置された真っ黒いSUVに歩み寄る。運転手が目の前のパニックに思わず乗り捨てた車だ。そして、丸太のような右腕をSUVのボディの下にくぐらせた。
「嘘だろう?まさか、あいつ!」
低い雄叫びをあげながら右腕だけで大きなSUVを持ち上げた吸血鬼。その怪力からマークは通常の人間ではもはや暴走した吸血病患者には太刀打ちできないことを痛感した。
吸血鬼はSUVを右腕の筋肉だけでこちらに投げ飛ばしてきた。素早く右にダイブして助かったマーク。だが、歩道の上で丸くなっていた彼が顔を上げると恐ろしい光景が広がっていた。
SUVの車体は先ほどまでマークたちがいたテックスメックス料理店のドアを突き破り、店内にめり込む形で横転していたのだ。吸血鬼は現場を離れて8階建てぐらいのアパレルショップのショーウィンドウに突っ込んでいった。それを呆然と見送ったところで、彼は重要なことを思い出した。
「まずい!中にはミスターモンローと店主がいる!」
マークが駆け寄ると店の入り口はめちゃくちゃになっている上に巨大なSUVの車体が蓋をする形になっていて、とても入れそうになかった。ひび割れたガラスの向こうには苦しそうに腰をさすりながら奥の壁に倒れこんでいるモンローの姿があった。
「ミスターモンロー!」
マークの声に気づきモンローは起き上がってこちらに近づいてきた。彼は額の上を少し切っているようで、流血で左目が開けられないようだった。モンローはガラス越しにマークに聞いた。
「吸血鬼かね?」
「はい。女の子を襲っているようで、このままでは彼女の命が……」
「なら私の心配はいい、早く行きなさい。入り口がこれではどちらにせよ私は店から出れない」
モンローは「それに、」と言って奥の方で伸びている店主を指差した。彼には彼でやることがあるようだ。
「しかし、僕はAVWが使えません!まともに奴と戦えるとはーー」
「君しかいないじゃないか」
モンローはポケットからダーツの形をした金属の器具を取り出した。投擲タイプのエイドスアブソーバー。彼はそれを割れたガラスの隙間を通して、マークの足元に二、三本落とした。
「ヴァンパイアハンターの責務は暴走した吸血病患者を保護または捕獲し、場合によっては仕方なく殺し、迅速に騒動を沈静化させて市民の安全を守ることだ。今は君がやるしかない、君が女の子を助けるんだ」
「でも、AVWを持たず経験も薄い僕にできるかどうかーー」
「やるんだ!」
今までにないほどはっきりした口調でモンローは叱咤した。
「君はプロだろう? AVWがないからといってどうした! AVWがなくても任務をこなしているヴァンパイアハンターなんて山ほどいる! 君にもやれる、いや、やってみせろ!」
力強い言葉に気圧されたマークは覚悟を決め、吸血鬼の入り込んだアパレルショップのビルディングへと走り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます