アシモフの氷室 1@アリゾナ州 キングマン
ヴェッキーとマルタウスはキングマンにあるダウンタウンの雑貨屋で時間を潰していた。
一昔前のカキコークギャルが描かれたポスターや真空管むき出しのヴインテージアンプなど年季の入った品物が所狭しと敷き詰められる。前世紀の古き良き銘品の数々、こういうのを集めているコレクターも少なくはないはずだ。
「ねぇねぇヴェッキー、この帽子なんかどうだい?」
「あぁ?」
マルタウスが持ってきたのは西部劇でよく見る、いかにもなカウボーイハットだった。
「被ってごらんよ、絶対似合うから!」
「そうか? オレ、帽子は持たねぇタイプなんだけどな……」
言われた通り、被ってみる。するとヴェッキーの不恰好に広がっていたぼさぼさの髪は、根元が帽子の中でまとまって幾分かいい感じになった。心地よい通気性としっかりとした生地の質感を残した良品だ。
「やるじゃねぇか!」
ヴェッキーは帽子についたタグを裏返してみた。
百二十ドル……いや、高いよ。
そうこうしているうちにミリアーナが向かいの修理屋から出てきた。浮かない顔をしながら彼女は、車がまばらに走るストリートを横切ってこちらに歩いてくる。
「ミリアーナ聞いて欲しい、この帽子ヴェッキーによく似合うと思うんだ!」
マルタウスが先ほどの帽子をミリアーナに見せる。彼女は力なくふぅんと言ってタグを裏返すと、いきなり血相を変えた。
「百二十ドル⁉ ふざけんじゃないわよ! アタシは今そこで二千五百ドルをカードで払ってきたとこなのよ?」
ミリアーナはそこらへんの棚の上に適当に帽子を戻すとずかずかと店の外に出ていってしまった。ヴェッキーとマルタウスもそのあとに続く。
そもそも事の発端はミリアーナが国立道路US-89の道中で『モルディの剃刀』のヴァンパイアハンターに接触した時、彼女がクーパーを無理に急発進させたことが原因だった。駆動系に負担のかかるロケットスタートでトルクコンバーター(エンジンとトランスミッションを繋げる装置)にトラブルが生じたのだ。
「しかも他の客の依頼がいっぱいだから、一日じゃ終わらないらしいのよ……もー最悪!」
ミリアーナが前に話していたが、ヴェッキー達は現在西海岸最大の街ロサンゼルスへと向かっている途中だ。そこにある情報信用会社で、知り合いに会う約束を一週間後に控えている。
キングマンは、アリゾナ州の西端。
ロサンゼルスのあるカリフォルニア州に隣接する街だとしても、何日も足止めを食らっていては約束に間に合わない。
「ミリアーナ、そう気を揉むんじゃねぇぜ。イライラしたって何も変わらねぇ。どうせかかって一日ってとこだろ?今は車の修理が終わるのを辛抱強く待とうじゃねぇか」
ヴェッキーは近くのバーで夕食ついでに一杯やることを提案した。
「さすがヴェッキー! 気が利くじゃないか!」
「ミリアーナ、そういう事だ。果報は呑んで待て」
もちろんお代はミリアーナ行きだ。
「トホホ……ポケットマネーがゴリゴリ削られるわ」
♢
「……⁉︎」
クリーム色の天井と目に刺さるような白熱灯。すぐ右にある窓からはカーテン越しに柔らかい日光が入り込んでいる。
「もうやめてくれ……飲みたくない」
マルタウスの呻き声が左から聞こえる。
次の朝、目覚めたのはモーテルのベッドの上だった。
ずきずきと押しつぶされるような頭痛。どうしようもなくむかついた胸。
昨晩は少しでやめておこうと思ったのだが、どうも調子に乗りすぎてしまったらしい。
ブラッディマリーというカクテルーーウォッカをベースにレモンとトマトジュースを加えたものーーが最高で、それだけで10杯は越したと思う。
眠い目をこすりながら時計を見るとすでに時計は昼の2時になっていた。
「おいおい、どんだけ寝たんだよ……」
酒が抜けきらずに重い体を、ベッドからのそのそと起こしてシャワーを浴びる。服を着替えると、隣のベッドでうなされているマルタウスと荷物を放置して、ヴェッキーは部屋を後にした。どうせ今晩もここで寝泊まりすることになるだろう。
モーテルの廊下はしんと静まり返っていて人の気配がしない。昼下がりのこの時間帯は気温も最も高い時間帯となり暑さでボーッとしてくるのに加え、何だか時間を無駄にした気分になるのでもやもやとした倦怠感を感じる。
ヴェッキーは屋外へ出た。このモーテルはすぐそこがダウンタウンのストリートだ。ダウンタウンとは言ってもちょっとした町のそれなので駅の南に数区画のショッピング街があるのみ。
空はどんよりと曇っていて二日酔いの気分をさらに悪化させる。目的もなく彷徨う。
アリゾナ州北西部に位置するキングマンはど田舎のフラッグスタッフや「どどどど田舎」のウィリアムズよりは幾分か大きな町だ。
この街の名前はカリフォルニア州ニードルズと、ニューメキシコ州アルバカーキの間を大陸横断鉄道敷設のために調査したルイス・キングマンに由来する。
コロラド高原の南西端にあるフラッグスタッフとは違って、今ヴェッキー達が進んでいる西の方向には南北に長いモハーヴェ砂漠が待ち構えている。よってこれから先進んでいけば更に乾燥が激しくなるが、ここキングマンも十分に乾いた空気をしている。背の高い建造物もないので、カウボーイがうろついていそうな西部劇的町並みだ。
古くは軍の地理調査関係者や労働者が馬車で移動するための道が建設され、軍事物資の運搬手段としてのラクダの有用性が調査されたり、第二次世界大戦中は合衆国最大の空軍訓練基地になるなど、軍事との関係が強い場所でもある。
ヴェッキーはハンバーガーチェーンに寄って、ミリアーナに貰っていたお小遣いでコーヒーとアップルパイを買った。一人でボックス席を陣取り、それをつまみながらゆっくりしていた。
そういえばミリアーナの車はどうなったのだろう? もうそろそろ修理の順番が回ってきて、最低でも明日までには取りに行けるだろうか?
「ウ……ャシャ……シャ」
ふと、ボックス席の仕切りの向こうから薄気味悪い男の笑い声が漏れ出ていた。まるでムカデが地を這う時に出しそうな息が微かに歯の隙間と擦れる音。
「?」
ヴェッキーは妙に思って、腰を浮かして左隣のボックスを見る。
初老の男性が一人窓の向こうを見つめて笑っていた。音の主はそいつだ。
ねずみ色のパーカーのフードを口髭の上までが隠れるぐらいにかぶっている。髭面のそいつは怪しげな笑い声を立てて、ブツブツと独り言を言っていた。
「ウシャシャシャ……あいつめ、ワシのAVWの餌食になっていることに気づいていないみたいだな。ウィリアムズから目をつけてはおったが、やはりこの街に来ておったみたいだ!遅かれ早かれこのワシがお前を捕えてみせる!」
(ヴァンパイアハンターか……もう、あんな厄介ごとには巻き込まれたくねぇもんだ)
フラッグスタッフへの道の途中でのことが思い出される。ヴァンパイアハンターとの戦闘は疲れるし、何より捕まったらどんな目に合うか予想もつかない。腫れ物に触るような気分だ。
関わりたくないので、音を立てずそのまま乗り出した身を退こうとしたその時、不意にそいつの目線の先を追った。
ヴァンパイアハンターの目は一人の人物を捉えていて、その人物はヴェッキーも知っている人物だった。
マルタウスがハンバーガーチェーンの反対側の歩道をぶらぶらと歩いている。
改めて気持ちの悪い含み笑いをしている初老の男の方を向きなおるヴェッキー。
「ウシャシャシャシャシャ、待っていろ金髪の吸血鬼が!」
(いや、おめぇかよぉぉぉぉ……)
マルタウスは彼の前方にいた若い少女のグループに走り寄り、背後から話しかけ始めた。女の子達は始め警戒している様子だったが、人当たりの良さに好感を持ったのかすっかり意気投合して右手の角へ消えてしまった。
(しかもナンパ中かよぉぉぉぉ……)
正直ドン引き。
どうやら自分たちはマルタウスと一緒に、予期せぬ面倒ごとまで乗せて来てしまったようだ。ヴェッキーはそそくさと冷めかけたコーヒーを腹の中に流し込むと、ヴァンパイアハンターに顔を見られないようにして店外に出た。
この街を早く出た方が良さそうだ。マルタウスが先ほどの男と鉢合わせればトラブルは免れないだろう。しかし、ミリアーナの車は運悪く故障してしまうし……。何より先ほどの男、すでに「AVW」とかいうあの、国道US-89で会ったヴァンパイアハンターも持っていた妙な武器の餌食に、マルタウスがすでになっていると言っていた。
一体どういうことなのだろうか?
そんなヴェッキーの不安もつゆ知らず、マルタウスは角を曲がったところにやはりいて少女達と立ち話をしていた。
「ねぇ、お兄さんどこから来たの?すっごくオシャレなんだもの!」
ブロンドの髪をカールさせた血色のいい女の子が質問する。
「アハハハ、水の都ヴェネツィアだよ!ヨーロッパからはるばるやって来たのさ!」
「ヴェネツィア?道理でオシャレだと思ったわ〜素敵!」
すごいわ〜と三人の少女たちが口を揃えて感嘆した。
マルタウスは女の子たちにもてはやされて、いかにも得意げな顔で空を仰いでいる。
「まぁ、僕ぐらいになるとやっぱり毎日をどうエレガントに過ごしていくかが重要なんだよね。今朝だって朝早くに起きてワインをグラスの中で回しながら朝日が昇るのを見ていたのさ!」
またもやワーオと黄色い歓声が上がる。
こいつ、迎え酒をして体調を崩していたのか。
とにかくマルタウスが外をほっつき歩いていると彼自身が危険だ。ヴェッキーは恐る恐る女の子たちの元へと近づいていた。マルタウスがこちらに気づいて振り返った。
「おぉ、ヴェッキーじゃないか!聞いてくれ、この女の子たちがとてもチャーミングだからね、声をかけてみたんだよ!で、これからそこのハンバーガーチェーンでお茶しようじゃないかって話なんだ。君もいくだろ?」
「何なの、この強面の人。私たちに近づかないでくれる?」
人を見た目で判断するなんて、この時ばかりは自分もマルタウスみたいな美青年になりたいと思う。もっとも外見だけだ。知能ガタ落ちは勘弁してほしい。
「あぁ、大丈夫!彼は僕の心の友、決して君達に危害を加えたりはしないよ!ほら、ヴェッキーにも至極のシニョリーナ達を紹介してあげよう!」
「お取り込み中のところ悪いんだがマルタウス、ここにいちゃ危険だ。さっさとヅラかるぞ」
マルタウスは信じられない、というように両手を上げて首を傾げた。
「そんなぁ!それじゃあ僕が彼女たちとお茶できないじゃないか!」
「嬢ちゃんたちやめとけ、だってもうこんなに暗くーー暗く……なんだと?」
ヴェッキーは左手の人差し指を向けた空を見上げた。もう日が暮れていたのだ。
「本当ね、もう夕方六時だわ!どうやら私たちヴェネツィアのお兄さんと話し込みすぎたようね!」
少女たちはまた明日会いましょ、と言ってダウンタウンのけばけばしいネオンの中へと消えていった。
「あぁ、早すぎる別れ! 僕とは所詮遊びだったってことなのか⁉︎ 傷ついたよ、僕の心!」
ヴェッキーは頭の中で今日起こったことを見つめ直す。昼二時ごろにホテルを出て、ハンバーガーチェーンでアップルパイを食べて、マルタウスと話した。ただそれだけだ。もう、4時間近くも経ったのか……。
♢
ヴェッキーたちはモーテルに戻る途中で悪態をついているミリアーナに出くわした。
「冗談じゃないわよ……あと三件⁉私のクーパーの修理はいつ始まるのよ!」
ミリアーナは携帯電話で修理工に電話をかけているところだった。どうやら車の修理はまだ始まってすらいないようだ。
「昨日もアタシの車の修理にかかるまで、あと三件あるって言ってたじゃない!一日中一体何をしてたのアンタは!」
ミリアーナは携帯をポケットにしまうと深いため息をついた。お気の毒に……。
「この調子じゃ、ロサンゼルスでの約束に間に合わないわ……」
ふと気がついてあたりを見回すと、観光客が大通りにどっと増えていた。レストランやダイナーのネオン光が色とりどりにアベニューを彩る。もうダウンタウンが賑わう時間帯に差し掛かっていたのだ。
「マジかよ……もうそんな時間か?」
あっというまにキングマンの街はとっぷりと夜に浸かってしまった。
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